VSE Final Run 2023.12.10〜外から見た惜別と狂騒の最終記録⑨ | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

秦野での記録・見送りは終わった。

ここからは…帰りしなのちょっとしたおまけ、である。


秦野から乗った後続の快速急行も、車内の雰囲気は独特なものがあった。

車掌氏の車内放送も折々にVSEに関する案内放送が入るなど、明らかに異質であった。

多くの乗客にとっては「ラストランとは何ぞや?」な状況だったと思う。

それほど、冷静に振り返るとその盛り上がりぶりはカオスに感じる部分が多々あったのである。


16:40。

海老名に着いてみると…

既に新宿方はギャラリーが集結していた。

前日の撮影会の時と同様、相当な人の密に、またまたたじろぐこととなった。

 

冬の日暮れは早く、1分1秒刻々と暗くなっていく。

日没の速さに気を揉みつつ、待つこと5分。

電車基地内から、ゆっくり歩み出してきた。

 

ただこの時、日没と寒さと周りの雰囲気に飲まれてしまったか、少しシャッターがもたついた。

ピント合わせも渋く、いよいよ疲れがピークに達したようだ。

 

…それでも、ここで全て終わる。

そう決めたから、もう少し身体を動かす。

 

新宿方先端は、ロマンスカーミュージアムの前に停車。

ロマンスカーミュージアム屋上からも、お見送りの手振りが見えた。


次は、ロマンスカーミュージアムで会おう?!

 

とそこに、

 

無情にも、待避する各停が入線。

 

電車の中から、最後の姿を覗く。

 

もう少し、せめて各停が発車するまでは居て欲しいと思ったが…

 

16:51。

 

いよいよ、箱根湯本へ最後の旅へ。

 

もうこれが、精一杯。

 

もう、これでいい。

 

これが(現時点での)ラストカット。


記録と記憶があるだけで2006年11月から、延べ17年ちょっと。

これだけ尽くしたんだから、もういい。

ここにきての感慨はもはやなく、夕闇に消えていくVSEをただ眺め見送るのみだった。

約2年に及んだ異例づくめの集中記録の最後は、切れかけのHPに息も絶え絶え。

疲れもピークになってきていたギリギリのところで、半ば強制的に幕を下ろしたのである。

 

…そして成城学園前駅の最終到着、喜多見電車基地への回送は自宅でYouTubeの生中継を観た。

自宅でゆっくり観ていて、つくづく思った。


その場に立ち会わなくて、良かったと。


まず、あの成城学園前駅の地下ホームが人で埋まっているのを見ただけで激しく目眩がしたが…

VSEが着いた瞬間からまた始まったのは、相変わらず性懲りも無くどうにも汚く感情の見えない

「ありがとう〜」との酔狂きわまりない掛け声、とも言えない奇声悪声の乱発。

これを見て聞いて感動したなどとは、やっぱりどこをどう譲歩してもセンスがなさすぎる。

罵声が無かったから別に良いじゃないか、という偏屈な論調ともまた違う。

曲がりなりにもアナウンスメントを学生時代にかじったり、歌を歌っていた身として、さらには

プロのアナウンサーやミュージシャンと接点を持つ身としては実に見苦しく聞き苦しいラスト。

そもそもそんな声を出しているのは公共交通機関の一般客も通常利用するホーム、との大前提が

まったくもって何処か忘却の彼方へ置き忘れられてしまっている、嘆かわしい現実。

いつまで経っても学習しない実状に、心の奥底から失望を感じた。


さらにはしまいにここに、あまりにもお粗末なVSEコールが飛び出した時には…
激しく頭を抱え、興醒めし、遂にはYouTubeをも閉じてしまった。
ある意味予想・危惧していた通りの結末には、怒りを通り越してただただ失笑するのみだった。

 

さらに問題視したのは、このVSEを回送する影響で後続の上り各停が一時抑止状態になった様で

普通に家路を急いだり出かけている一般の乗客はどんな思いで再開を待っていたのか?と慮ると

なんとも遣る瀬無い思いになったのは、自分だけだったのだろうか?

それは、小田急側も成城学園前駅を終点にした対応は正しかったのか?と疑問を強く呈したい。

いくら大事なロマンスカーのラストランであっても、比較多数の利用客の利便を低下させるのは

公共交通機関に資する使命という前提を鑑みると、適切では無かったと考えざるを得ない。

知らず知らずのうちに大事にすべきもの、のバランスが内も外も歪なものになってきていた事に

気づいていない人が多くなってしまっていたのは、最後非常に残念に感じた事だった。

それは後年、反省点として生かされていくことを心の底から期待している。


…長かった。

自分もようここまで、追ってきたものだ。

今回のように、苦言もずいぶん呈してきた。

しかし、いち一般人の嘆きは浸透することはなく、最後まで嫌らしい現実も見えた。

これからも、そのジレンマとは一生付き合っていくのだろう、との諦めの境地にも達した。


ただ、いくらそんなマイナス要素がある一方で、こと小田急ロマンスカーにおける一時代を築き

歴史に残る活躍を刻んだ名車であることは寸分も疑いなく、それは半永久的に書き遺しておく。


営業運転での追跡は、終わった。

まずは大晦日を目処にこれまでのブログのリンクを纏め終えて、来年以降には何か…?

再会はあるのか、それとも??


だから、ありがとう、さよなら、と叫ぶことはせず…

とりあえず、もうちょっと続きはある、とだけ思っておきたい。