2023.9.26 南武支線E127系半月越しの“初乗車” | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

8月に入ってから、半月に一度のペースで記録の頻度を上げていた南武支線。
ことに8月30日と9月4日は朝運用後の弁天橋入庫回送も追い、ほぼ満足できる記録を収めた。

それを経て、いよいよ9月13日から予告通りE127系が営業運転を開始した。

まず一気に2編成とも運転を開始し、入れ替わり205系1000番台が運用を外れた。

14・15日には、205系W1・W2編成がそれぞれ国府津車両センターに疎開回送されている。


…そこから3週間余り、9月いっぱいまでは南武支線ではE127系のみの運用が続けられた。

定期検査の時と同じように、実質予備車無しの状態での運用であった。


そんな状況下の9月26日、初めて南武支線E127系へ乗車した。

思えばこの日はああしておけば…とか、後から残念に思う事柄が周囲にあったが。

それでも、この時に乗っておかないとまた後回しになりかねなかったので。

最初に乗車したのは、尻手→浜川崎の片道のみでV2編成。

記憶が確かならば2003年5月新潟訪問時以来、何とおよそ20年半ぶりの乗車となった。


首都圏では、キハ110に次ぐ片側運転台構造。

こと鶴見・南武界隈では、何とクモハ12052・053以来となる。

半自動扉ボタンは存置されたが、運賃表・運賃箱・整理券発行機は撤去された。


運転台も新潟時代とほとんど変化が無い(らしい)。

ATS-Psも本体はSNに換装されたそうだが、運転台の表示器は“統合分離型”となっているために

P型関連の表示をする関係からそのまま残されている。

ただ、全線P型化した現在になぜ今更SNにしたのかはよくわからないのだが。


前面・側面とも、行き先表示は205系の3色LEDから方向幕に“回帰”となった。

これによって方向幕も新調され、南武支線・鶴見線の駅名が収められている。

但し、かつての103系のように行き先別での色分けはなされていない。


そして、下枠交差式パンタグラフは首都圏の電車では初登場になる。


トイレは“業務用室”とされて使用停止になった。


メーカープレートはステッカー式であるが、製造当時の209・E217系と違い車号とメーカーが

それぞれ独立して貼られているのが特徴的であった。


205系に比べ低加速だったり、自動放送の声も発車サイン音も変わり、ドアチャイムにおいては

101系ワンマン車と同じものに“回帰”してみたり、なかなか違和感はものすごい。

そして、貫通扉の幌とスノープラウも取り外された。

それでも、E127系は運用開始後、違和感を跳ね返して急速に沿線に馴染み始めている。


と思う。


4扉から3扉になったことも、言われていたより違和感は少ないと思う。

まあ大阪環状線の前例もあるし、朝以降の輸送ボリュームを考えれば十分なのでは。

ショートリリーフになるのかもわからないが、まずは長い目で活躍を見守りたい。


八丁畷では、EF65 1115号機とのすれ違いも…

何かの訓練だったのだろうか?


そして、ATS表示器はしっかり活用されている。


低加速とはいえ、ほぼ従前通りのダイヤで浜川崎に到着。


車内は新潟時代と変化無し…らしい。

どちらかと言うと新潟訪問時は115系がメインだったからか、E127系の記憶が希薄。

写真は残っていたが、乗ったかどうかの記憶もあやふやである。


そして、E127系にも広告掲示が一切ない。

この置き換えに関連して、南武支線で広告の売り出しは行われなくなったようである。


貫通路の両開き扉も、電車では首都圏初登場。


ここで、米タンの返空輸送安善行きに遭遇。

この遭遇が、この日のこの後の行動を決することとなった。


まずは、初撮影初乗車無事に完了。

とりあえず、無事に走り始めたことに安堵。

これから先、さまざまな場面を見れることに期待したい。