それを経て、いよいよ9月13日から予告通りE127系が営業運転を開始した。
まず一気に2編成とも運転を開始し、入れ替わり205系1000番台が運用を外れた。
14・15日には、205系W1・W2編成がそれぞれ国府津車両センターに疎開回送されている。
…そこから3週間余り、9月いっぱいまでは南武支線ではE127系のみの運用が続けられた。
定期検査の時と同じように、実質予備車無しの状態での運用であった。
そんな状況下の9月26日、初めて南武支線E127系へ乗車した。
思えばこの日はああしておけば…とか、後から残念に思う事柄が周囲にあったが。
それでも、この時に乗っておかないとまた後回しになりかねなかったので。
最初に乗車したのは、尻手→浜川崎の片道のみでV2編成。
記憶が確かならば2003年5月新潟訪問時以来、何とおよそ20年半ぶりの乗車となった。
首都圏では、キハ110に次ぐ片側運転台構造。
こと鶴見・南武界隈では、何とクモハ12052・053以来となる。
半自動扉ボタンは存置されたが、運賃表・運賃箱・整理券発行機は撤去された。
運転台も新潟時代とほとんど変化が無い(らしい)。
ATS-Psも本体はSNに換装されたそうだが、運転台の表示器は“統合分離型”となっているために
P型関連の表示をする関係からそのまま残されている。
ただ、全線P型化した現在になぜ今更SNにしたのかはよくわからないのだが。
これによって方向幕も新調され、南武支線・鶴見線の駅名が収められている。
但し、かつての103系のように行き先別での色分けはなされていない。
そして、下枠交差式パンタグラフは首都圏の電車では初登場になる。
トイレは“業務用室”とされて使用停止になった。
メーカープレートはステッカー式であるが、製造当時の209・E217系と違い車号とメーカーが
それぞれ独立して貼られているのが特徴的であった。
205系に比べ低加速だったり、自動放送の声も発車サイン音も変わり、ドアチャイムにおいては
101系ワンマン車と同じものに“回帰”してみたり、なかなか違和感はものすごい。
そして、貫通扉の幌とスノープラウも取り外された。
それでも、E127系は運用開始後、違和感を跳ね返して急速に沿線に馴染み始めている。
と思う。
4扉から3扉になったことも、言われていたより違和感は少ないと思う。
まあ大阪環状線の前例もあるし、朝以降の輸送ボリュームを考えれば十分なのでは。
ショートリリーフになるのかもわからないが、まずは長い目で活躍を見守りたい。
そして、ATS表示器はしっかり活用されている。
低加速とはいえ、ほぼ従前通りのダイヤで浜川崎に到着。
車内は新潟時代と変化無し…らしい。
どちらかと言うと新潟訪問時は115系がメインだったからか、E127系の記憶が希薄。
写真は残っていたが、乗ったかどうかの記憶もあやふやである。
そして、E127系にも広告掲示が一切ない。
この置き換えに関連して、南武支線で広告の売り出しは行われなくなったようである。
貫通路の両開き扉も、電車では首都圏初登場。
ここで、米タンの返空輸送安善行きに遭遇。
この遭遇が、この日のこの後の行動を決することとなった。
まずは、初撮影初乗車無事に完了。
とりあえず、無事に走り始めたことに安堵。
これから先、さまざまな場面を見れることに期待したい。