【激務と多趣味のはざまで02】西武鉄道’09~’13、激動を抜けつつやはり“好き”を知る | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

さて、散りに散った西武鉄道の写真記録の発掘は続く。

次の記録は2009年の晩夏へ。


2009年9月17日木曜日、玉川上水にて

この時は仕事の現場見回り、通称“巡察”の指令が下り汗をかきつつ多摩地区を巡視。

行く先々の現場で問題点を見つめ、配置隊員を激励、指導なんてことをやっていた。

まぁ、最近のビッ●▽ーターに比べたらかわいいもんでしたけどw


その道すがら、西武拝島線玉川上水で東京富士大学の部分広告車だった3000系3015Fを撮影。

部分広告ばかりでなく、ヘッドマークも付いた異端広告編成だった。

現場の稼働時間内に現場を回らないといけず、スケジュールを組むのに制約はあったが…

ちょっとした乗換時間の間隙に、こうして少しだけ撮り鉄をして息抜きをしていたようである。


…デジカメを携行していたのは、現場の稼働状況を撮るためでもあったんだけどね。

現場写真以外でも隊員の身なりチェックなど、当時は業務上での使用はなかなかに多く…

それもあり当時、デジカメの電池は基本的に会社の備品を使用していたのだった。


この日の最終目的地は武蔵砂川。

普段でもあまり行くことのない場所だが、現場が近かったからしょうがないw

そんな武蔵砂川で、たまたま撮っていた新2000系4+4両編成による各停。

当時の拝島線は、確か線内運行と西武遊園地方面の直通運行が主だった記憶がある。


2010年8月31日火曜日、国分寺にて

続けて2010年夏、元職末期の頃。

翌月に退職を控え、諸々の事情で公休が増えていた時期になる。

(労基に関する様々な隠蔽工作に、仕方なく付き合っていた?)


この週の週末、TUBEの甲子園球場ライブに関連した関西遠征を計画していて…

対応する切符手配をするため動いていた時に、ふと撮影していたものだったらしい。

まだ3色LEDがバリバリ健在の旧2000系、何の気なしに随分撮っていたものだった。

この国分寺のポイントも、すっかりお馴染みである。

(なんなら昨日も撮っていた。寝過ごしちゃったからねw↓)


…但し甲子園行きは、母方の叔母の急逝などの事情もあり直後に計画中止。

結局再調整の上、群馬・栃木方面への小旅行に振り替えられている。


2010年11月23日火曜日、国分寺にて

国分寺線では、既に101系が入らなくなって久しかったこの時期だが…

2010年に入って池袋線から3000系が転属、まず3005Fが6両化され9月から運転を開始。

その後12月末には3007Fも転属し、2編成が国分寺〜本川越間で約4年間に渡り運用された。


2011年2月18日金曜日、国分寺付近にて

この頃は仕事を終えた足で、西国分寺から国分寺まで歩きながら撮り鉄していた様子。

主な目的は武蔵野線だったみたいだけど。

特に3000系は、たまたまだったのかもしれないが遭遇機をしっかり押さえている。

しかし、仕事を終えてライブに行く途中に一駅歩いて撮り鉄とか、随分体力があったな。

もっとも、行動パターン的には今もそんなに変わっていなかったりするのだが。


まだまだ若いものには負けんッ!!www



2012年12月1日土曜日


この日は夜明け前から、一念発起して所沢駅へ。

寒い中をひたすらに並んで、さよなら運転の申し込みをしたなんてのは現状この一度きり。

改めて読むと参加費2,000円とか、あまりの安さに溜息…w

今だったら10倍くらいになってしまうのだろうか。なんだかなぁ。


どうにか無事に手配を終え、開放的な気持ちで少し撮り鉄をしていたらしい。


4000系の快速急行は、所沢以西では度々乗っていたようだが…

結局池袋〜所沢間では乗らないままになっている。

まだトータルで全車健在なので、たまに走ってくれないかなぁ?とか。


この頃は、旧2000系の方向幕は普通に存在するものという認識。

だが、それは永遠じゃないということを改めて感じる。


2012年12月17日月曜日、国分寺にて

この時は、近江鉄道に譲渡される101・301系の甲種輸送の撮影に行く途中。

この時点で、新101系の未更新車は姿を消した。


2013年8月25日日曜日、国分寺にて

そして、この時はNACK5の公開録音を見に行くために、国分寺線で本川越へ。

現在東村山駅の高架化工事で休止中の新宿線直通電車、3000系を利用した唯一の機会だった。

3000系は翌年冬、全て引退している。


まだ東村山駅も高架化の兆候が無かった頃。

直通電車に乗りながら、西武園線運用中の新101系に遭遇した場面も。


とにかく3000系はそもそもの勢力もあり、本腰を入れて撮る機会は相対的に多くなかったが…

こうして8両の日常の姿を見れたのは、今思えば貴重なことになった。


そして帰りしな、これまた希少に感じた西武球場前駅の野球ダイヤを具に眺めている。

まだ9000系9101Fも現役の頃だった。

ただ、2010年以降は機会を重ねていくごとに西武鉄道愛を深めていったように感じられた。

その積み重ねが今の自分を形成させたのだなと、改めて感じた振り返りになった。


こうして、はざまでなんとなく積み重ねていた記録は、今改めて見ると貴重になってきている。

積み重ねたまま細かく公開することもしなかったまま、熟成させて実に10年以上。

並行準備中の【90's DOOR】と共に、今後も気が向いたら色々と出してみたいと思っている。


激務シリーズ、第1回はこちら