205系武蔵野線引退からはや1週間余り。
引退に前後してデータ整理を始めてみたら、案の定折々に撮影していた写真データが出てきた。
1990年代には当然だがメルヘン顔の0番台しかデータはなく、2002年以降に山手線などから転入して
モハ車をVVVF化改造した5000番台の写真は、デジカメを導入してからの記録になっている。
いいとこでここ10年くらいかなと思っていたが、改め直してみて一番古いのは13年も前だった。
もっとも、武蔵野線主目的といえるものはあんまり無かったのもこの路線らしいが。
2007年5月25日金曜日
時期にあたるため、特に近隣で撮影された記録が全く見つかっていない。
このため、武蔵野線に205系が転属したからといって特段撮りに行った様子もないし記憶もない。
そして、山手線でのさよなら運転すらも撮ってもいない。
これは、学生時代6年間ほぼ週5〜6のペースで乗っていたから、慣れきっていたのもあっただろう。
それでも転用情報はチェックはしていたので、特に仙台の遠征時に仙石線の撮影・乗車に寄っているが
本当にそれくらいで、当時あまり深くのめり込んでいた様子もまるで残っていない。
それくらい、当時JR東日本エリアでは205系という車両が日常に溶け込んだ電車だったのだ。
溶け込んだというよりは、溶け込み過ぎたゆえに撮る意欲は湧かないと言ったほうが正しいか。
それでも、京葉線と武蔵野線の一部にあったメルヘン顔と、相模線の500番台はまだ別格だったが。
ほんの軽い気持ちでカメラを向けていたのかもしれない。
大宮駅に行ったら工場にいる車両を見る癖がついていて、その一環だったのだろう。
また、デジカメを導入したばかりで、この直ぐ後に銚子電鉄にツアーで行くことが決まっていたから
試運転を兼ねていたのかもしれないが、いずれにせよ当時のことは写真を見てもよく覚えていない。
…覚えているのは、パワハラを受けていた勤務先から4月にようやく抜け、不安定だった気持ちが少し
落ち着きを取り戻していたが、とか、仕事上のしんどかったことばかりである。
実際ここから半年足らずで、一旦休職に入ることになるのだが…
(結局2ヶ月近く有給消化扱い→配置転換で復職)
既に山手線や京浜東北線、中央・総武緩行線からは撤退していたとはいえ、ごく僅かの余剰休車以外
廃車も皆無な当時の情勢に、まだまだ大丈夫だと高をくくっていた。
2007年10月16日火曜日
これを撮ったのは北朝霞駅だが、時期的に池袋在勤時で東武東上線沿線の現場パトロールに赴いて
直帰するタイミングとかだったのだろうか。
2010年7月15日木曜日
まず中央快速線の201系の完全引退がこの年の10月に控え、それが終わるとJR東日本に残る201系は
京葉線系統のスカイブルー塗装の40両を残すのみになること。
そして、武蔵野線では主に115系で走っていた毎日運転の臨時快速「むさしの号」が12月の時刻改正で
そして、武蔵野線では主に115系で走っていた毎日運転の臨時快速「むさしの号」が12月の時刻改正で
205・209系と共通運用化の上で普通列車化(中央線内は立川のみ停車)されること。
これらのことから俄かに武蔵野線・京葉線での撮影が増え始め、それにつれて205系の記録も増加。
自分の記憶以上の記録が、次から次へと出てきた。
もっとも主目的はあくまで京葉線の201・205系だったみたいだが、それなりに撮っていた自分GJ!
2010年9月6日月曜日
この頃は、少しアカデミックな構図を狙う余裕もあった。
もちろん定番ポイントも手抜かりなく。
2010年10月9日土曜日
京葉線全通20周年記念で一般公開された京葉車両センターで。
早朝から201系絡みで動き詰めで、しかも雨模様の寒い中で疲弊しながら撮り歩いた記憶しかない。
この時、武蔵野線の205系は展示車両ではなかったので、日常と非日常の交じる不思議な記録に。
2010年11月2日火曜日
201系の撮影を中心に、205系にカメラを向ける機会がどんどん増えていく。
主に京葉線のメルヘン車だったが、きっちり武蔵野線のも収めている。
今と違って撮れるものはどんどん、の貪欲な姿勢だったようだ。
どちらかというと定番中の定番は避けるが、この頃はほとんど撮る人もおらず余裕だったのだろう。
後年になればなるほど撮らずにいたのだが、この時はしっかり記録を残していた。
こんな記録をコツコツと、次の10年に向けて少しずつ積み重ねていったのだった。