さて、缶バッジも無事に貰い終わって新習志野駅構内に再度入ろうとしたが…
1編成くらいならまだしも、日常業務の傍で2年半の長期に渡って42パターンも考えて作られた。
中にはどうにもネタがない時もあったようで、作っていた人の苦労が偲ばれる。
これまで様々な方面から警鐘が鳴らされていたにも関わらず、だ。
…それでも、僅かながら良い部分を書くとすれば。
・三脚、脚立が(見ていた限りでは)使われていなかった
・罵声と、目立つ奇声が無かった
ことくらいか。
いや、当たり前のことなのかもしれないのだが、これまで何度かその場面を目撃してきていただけに
あえてこうして書いてしまうのはなんか不本意ではあるけど。
そして、見ていた限りではJR東日本側もギリギリまで【妥協】しようとしていた。
妥協なのか、もはや言っても無駄なんだろうという【諦め】とも言えるのか。
ただ、その妥協は今の撮り鉄に対して必ずしも良薬だったのかと問えば、それは【否】であろう。
その不穏たるものが、全体にかかる割合がたとえ1%未満だったとしても、それが安全・安定輸送の
根本を脅かすものならば、一瞬のうちに全てに波及しかねない【劇薬】になりかねないからだ。
ここでゆっくり、歩みを止めた。
いよいよ、最後の別れの始まりだ。
◀︎◀︎◀︎ ①はこちらから