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長い通路をテクテクと整然と歩いて、すっかり寂しい秘境駅然とした東成田駅に到着。
そしていよいよ東成田駅からは、3600形リバイバルカラーの乗車となるのですが…
発車ホームはなんと旧特急ホーム!
自分は30年前にたった一度だけ、初代AE形のイブニングライナーで降りて以来。
現成田空港駅開業に伴って閉鎖されてから約29年、以来固く閉ざされてきたタイムトンネル。
近年イベントで再公開されるようになったのは知っていたが、ようやく足を踏み入れる機会が!
…まぁ東成田駅から乗ると聞いた時点で、期待はしていましたけどね♪w
30年前の夏、11歳だった自分もその一人だったはずだ。
しかし、当時からの鬱とした暗い雰囲気に気圧されていたのか、細かい記憶はまるで残っていない。
話には知っていたものの、いざ現実を見て子供心に暗い影を落としたのかもしれない。
父の社員旅行に同行する形の海外旅行へのワクワク感など、この駅に降りた時にはまるでなかった。
(実際には空港近くのホテルに宿泊後、翌朝早い便で飛び立ったからというのもあるが)
スカイライナーこそ自らのリクエストで乗車が叶ったものの、イブニングライナーだったこともあり
またその感慨には乏しく、少ない撮影記録もどこかの奥にしまわれたままにまだ出てきてはいない。
ここは空港アクセスとしては極めて中途半端で、幾多の運命に振り回されて不遇を囲ってきたという
京成電鉄にとっては寂しく苦しい負の歴史の残骸でもある。
それは、成田空港の存在そのものにおいても同じにほかならない。
今でこそアクセスは格段に整備されてスカイライナーの地位も向上したとはいえ、その寂しい記憶は
成田空港が、そしてこの東成田駅が存在し続ける限りは残り、後世に伝えられていくのだろう。
京成電鉄が1991年に空港ターミナル下にJR東日本と共に乗り入れた後もこの駅を敢えて残したのは
芝山鉄道の計画が既にあったにせよ、苦悶の歴史遺産を残していこうとの一種の意地もあったのでは
ないかと考えるのは、少し行き過ぎなのかなとも思えるのだが、さてどうなのだろうか。
特筆すべきは、当時の広告すら手付かずで残されていること。
空港アクセス特急としては極めて不遇で、実働15年という短命だったが(暫定運用は1973年末から)
その命脈と理念は間違いなく現在のAE形に引き継がれ、令和の今もなお生き続けている。
また、足回りは3400形に流用・車体更新されて生き続けていることも忘れてはならない。
いまはドアで仕切られた降り口を抜けると、そこは…
しかし、もともと薄暗かったところに蛍光灯が半減し、さらに輪をかけて薄暗い。
しかし、発車案内表示器や番線表示は撤去済みで、跡がクッキリ。
しかし、トイレはスカイライナー頼みだったのか…?
スペーシア、当時こそ最新鋭だったが、もう30年も経ってしまったのだなぁ。
それにしても、当時の駅名標や広告がそのまま残る空間は、まさにタイムトンネルそのもの。
次々と出てくるレアなアイテムの数々に、感嘆しっぱなしの滞在時間。