東武20000系、日比谷線直通撤退① | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

閑話休題。
ずっとスーパービュー踊り子ばかり追い続けてきて、少しばかり満腹感が増していた2月末。
西武鉄道ニューレッドアローが池袋・秩父線から完全撤退するという話で動きはじめていたところに
もう一つ、引退していく車両の存在が明らかになった。

東武鉄道20000系。
(1月31日金曜日、草加駅にて)

1988年以来長いこと、伊勢崎線と営団地下鉄日比谷線の相互乗り入れ用に活躍してきた電車。
営団地下鉄が東京メトロに変わり、東武側も日光線の南栗橋まで乗り入れるように改められたものの
一貫して相互乗り入れの各停に専用で使用されてきた18m級車両・8両固定編成だ。
営団地下鉄03系に合わせて5扉車20050系を投入するなど、バリエーションも多く存在した。

東京メトロ側の20m車7両編成への置き換えに歩調を合わせて東武側も70000系電車を新製、さらに
6月の虎ノ門ヒルズ駅開業に合わせて運行を開始する予定の「THライナー」用に70090系も投入して
2019年度中には27年ぶりの世代交代を完了することとなっていた。
ちなみに、東京メトロ03系についてはすでに2月28日をもって運用を終了。
東武20000系も時間の問題と見られていたところで、一斉に記念乗車券の発売告知が出た。
この辺の企画は、いかにも東武鉄道らしいなとニヤリとしたところで。



2月29日、浅草で購入。

そして、3月に入って最後の記録を収めるべく行動に移した。

3月2日月曜日、北千住駅にて
向かった先は北千住駅。
行動範囲と時間の関係から、スタートは東京メトロと東武の接続点である北千住からになった。
まだ3月前半でも4本程度残っていたから、捕捉は思っていたよりも楽ではあったが…

南千住にて
最初に捕捉したのは21855F。
いわゆる20050型は、関東では最後の5扉車のうちの1本となっていた。
すでに03系5扉車は全廃されていて、最後までラッシュに威力を発揮し、務めを全うしたことになる。

恵比寿にて
ひたすら地味に、各駅に実直に止まり続けてきた32年だった。
03系と同様に車体更新もされず、オリジナルスタイルを維持し続けた稀有な形式だった。

運転席後部の仕切り窓のスタイルは、製造当初の流行か。

20050型は3扉ベースに2扉を増やしたので、製造当時では珍しくなりつつあった戸袋窓付きに。
中間車や20000系に比べると、車内は気持ち明るかったように思う。

中目黒にて
昔も今も、東武車の運用はここ中目黒まで。
東急東横線に直通することはない。
しかし今は、東上線から9000系・50000系が副都心線を介して直通運転してくるようになった。
時にはこの中目黒で共演が見られるようになったのだから、時代の流れには驚かされた。

中目黒に到着した電車は全て、横浜側の引き上げ線で折り返す。

毎日毎日、黙々と繰り返し。

日常に溶け込み、乗客を運び続けた。

そして、後継の70000系にバトンは渡された。

日比谷線直通運転を示し、誤乗防止に一役買った日比谷線 直通のプレート。
70000系への置き換えにより、このプレートも見納めになった。

日中は東武線に戻らず、日比谷線内を往復する運用が多かったようだ。

そして、2000年春に発生した脱線事故現場をゆっくり上ってきたのは…

現役最古参にして最後の方向幕装備車だった、20000型21807F。

以後はオリジナルスタイルを維持し通したこの編成を中心に、しばらく追うことになる。