昨日朝、最近【出土】して話題になっている御茶ノ水橋の都電錦町線の廃線跡を見に行ってきました。
戦時中の1944(昭和19)年に不要不急路線として休止され、復活することなくそのままひっそりと廃線。
以来3/4世紀、3元号を股にかけて眠っていたところで橋の改修工事で【発掘】され蘇った軌道に、廃線跡を
愛好する人のみならず、通りがかった多くの人々が足を止めて携帯カメラを向けている姿が見られました。
そこには鉄道趣味を超越して、人々を昭和浪漫・ノスタルジーに掻き立てるものがあるのでしょう。
古き東京の風景を重ねて、あたかもそこに自分がタイムスリップしたかのように。
そしてさらには【もし今も都電がここに走っていたら】という妄想・願望もあるのかなと。
ひたすら自動車優先主義に翻弄されて、多数の路線が消えていった昭和の路面電車。
都電も例外でなく、現在の荒川線である27・32系統以外の路線は約半世紀も前に消えてしまいました。
平成に入って見直しの機運が出てきたとはいえ、その環境には依然厳しさも残されています。
それは令和になった今でも、これからも、一朝一夕には考え方を大転換できるとは思えません。
ただ、この都電錦町線の線路跡の発掘が、これからの公共交通機関のあり方に一石を投じているのでは…と
感じるのは、鉄道趣味者ゆえの論理の飛躍のし過ぎなのでしょうか。
すでに敷石やレールには細かくカッターが入れられ、撤去の時を待っている状況。
重ねられていたアスファルトは僅か5cmほどだったらしいが、よくこうして残されていたなと感心。
この区間は複線だったらしいので、もしかすると隣にも同様にレールが残っているのではあるまいか。
これまでも何回か打ち替えをしたのだろうが、それでもよくこの令和まで軌道が生き残ったものだ。
橋全体の補修という名目でなければ撤去できなかった理由があったのか、それとも予算が無かったか?
施工計画を見る限りでは、来週には姿を消すことになるのか。これから見に行こうと考えている方々は、決して少なくない人の往来や、現場作業の方々の支障にならない
範囲で名残を惜しみ、懐かしみながら自分なりに楽しんでいただきたいと思う。