山手線E231系500番台、旅立ち〜最後の一週間余と喧騒の是非③〜 | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

1月18日(土)
この日は、大崎駅で行われたE231系の卒業イベントに顔を出しました。
当初は4番ホームでトウ506編成を展示する予定だったらしいのだが、結局中止となりコンコースでの写真や
ヘッドマークの展示、グッズ販売のみとなったのは残念。
やはりここのとこの荒れ具合を鑑みた苦渋の決断になったようで、一部の暴走がここにきてじわりじわりと
全体の首を絞めてきているように感じたものだ。

結局、風の吹き抜ける寒い中数分待って記念ヘッドマーク(のレプリカ)を撮って。

今回の引退を記念して作られた中吊り広告を…

って、んん??

正直、このイベントをもってE231系は引退するものだと思っていた。
それも踏まえて、前日までにあらかた撮り切ったつもりでいた。
それが、ここでまだ走ると暗に予告が出されたので周囲はざわめいていた。

そして実際にこの日、夕方に再出庫して運用に入ったのである。

さすがに寒いし、イベントや週末特有の雰囲気が嫌で、もう待っている気にはなれなかったのだが。

写真展示もちらりと覗いて、バッタリ出会った先輩以外には誰にも会わずに早々に帰路についた。

そして…1月20日(月)
1500G 巣鴨にて(16:39)

この日は夕方早い時間に仕事が捌けたので、運用入りを確認して駆けつけた。
ただ、この時点ですでに雰囲気は怪しくなりつつあった。
もともと人身事故で近隣のダイヤが乱れていたところに、線路内への人の立ち入りがあったために山手線も
重ねて一時的に運転を見合わせていたという話を聞いていた。
それを聞いて、ああ、これは!と最悪の事態を想起したし、実際その通りになってしまった。
たかが一回、されど一回の取り返しのつかない信用失墜行為が行われてしまったわけだ。

これは…今日で終わりかな。

そう思いながら、シャッターを切り始めた。

そして、この巣鴨駅で撮った時にも気づいていた。

背後で脚立が使われたことを!

ガチャ。
シャシャシャシャシャ!
ガチャ。

すぐに振り返って叱ろうとした時には、もうそそくさと畳んで姿を消していたが。
ちなみにこの場所にいたのは自分1人だけで、手持ちで撮るには十分余裕があったはずなのに。
それで風にあおられて、転んで怪我しても自分の責任だよ?
こういう些事の積み重ねが大事につながったことが、まだわからない人がいる寂しさ。
悲しきかな、これが一部の撮り鉄の目の背けられない現実、現在進行形の出来事なのだ。

掲出された特製の中吊り広告。
せっかく作られたものだったのに、日の目を見たのは僅かになった。

それでもまだ、平日の夕方だったからか、乗って撮っている限りは本当に穏やかだったのだ。
こうしてちょいちょい降りてシャッターを切るくらいの余裕は。
ホームドア整備の進展で、停車駅での停車時間が若干延びているのも影響しているかもしれないが。

唯一色めきたったのは新宿くらいだったが、それもラッシュゆえのことで罵声も起こらず穏やか。

自撮りで撮影する女子鉄さんも…

…あ、フォロワーさんだw

E231系がきっかけでつながった縁。
ようやくご挨拶していろいろな思いを聞いただけに、一部の暴走が非常に腹立たしい。

1700G 神田にて(18:32)

1700G 渋谷にて(19:08)

遅れは引きずったままだったが、ラッシュ時間帯にかかったからか運用差し替えは行われなかった。

1700G 目黒にて(19:14〜15)

黙々とラッシュ運用をこなし、

1800G 東京にて(19:35)

黙々と別れを受け入れ、そして、静かに去った。

23日までの運転と言われていた山手線E231系500番台は、20日の定期運転が最後になった。
24日に東京総合車両センターに入場し、18年に及ぶ山手線での歴史に終止符を打った。
ほんの僅かな過ちが、運転終了繰り上げという汚点を後世に遺すことになったことを忘れてはならない。
いよいよ身を引き締めて、これからに臨まねばむすます肩身が狭くなることを自戒していく時だ。

そして、E231系500番台は中央・総武緩行線に活躍の舞台を移した。
本当のさよならはまだ遥か先になるが、その時には慌てず、騒がず、後世に後を濁さぬよう望みたい。