西武秩父線開業50周年記念車両基地まつり in 横瀬 | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

11月9日。
もう一週間以上も前になるが、西武秩父線横瀬車両基地で行われた、車両基地まつり。
初夏の武蔵丘、盛夏の南入曽と並び、西武鉄道の三大イベントといっても良かったが、近年はそのリズムが
少しばかり崩れてきているように感じられた。
南入曽も今年は10月開催だったし、横瀬は去年は廃車車両を利用した「ちちぶ車両基地酒場」なるイベントが
開催されたものの、鉄道フェスティバルという体裁ではやらなかった。
2014年2月の大雪で検修庫が潰れて解体撤去されてから、やりづらくなってしまったのだろうか。

しかし今年は、西武秩父線が開業50周年。
同時に有料特急列車も運転開始から50周年になるわけで、なにかしらあるだろうと期待はしていた。
これまで横瀬という場所はうちからは遠くて敬遠してきたが、先月に西武秩父を電撃訪問してみて利便さも
魅力も再認識できたので、イベント開催が打ち出された時点で見に行こうと早くから決めていた。

特に、西武電車には何かと愛着や思い入れが強い。
11月初めに体調を崩した影響からその他のスケジュールが乱れた懸念はあったが、どうにか調整を済ませて
9日当日、所沢から4000系の快速急行に乗って横瀬へ向かったのだった。

横瀬駅に降りたのは、101系さよならイベント以来約7年ぶり!
それを含めてもこの四半世紀でまだ3回目という少なさ。
しかしこの日は少し暑いくらいの快晴で、そのことが前回降りた時よりは幸いだった。

この日のメインはやはり、歴代3代特急の並び。
開場から列を区切って1グループの撮影時間を3分にするほどの盛況ぶり。
特に当地に保存されている初代レッドアロー・クハ5503が久々に引き出され、感涙の並びになった。

先月、運転台だけになったクハ5504を西武秩父駅で見ているけれど、1両まるまるを見るのは24年ぶり。
しかも、1995年10月14日に池袋〜横瀬間に運行されたさよなら列車の編成の先頭に立っていた。
連結器とヘッドマークは登場当時の原型に復元されているが、やはり懐かしさに感涙。

通勤電車は保守重視の設計だった西武鉄道だが、このようなデザインの特急電車を半世紀も前に送り出して
いたことについては、今更ながらに感嘆するものがある。
そしてその先進的なイズムは、間違いなく現在のLaviewにも受け継がれているし…

たまたまS-TRAIN運用間合いで休んでいた40000系とも並んで、非公式4種並びとなるサプライズも。
ことに近年の西武鉄道の攻めの姿勢は小気味良いものがあり、また楽しみが増えてきた。

そして、ついに10000系も後進に道を譲る時が来た。
とはいえ、まだ新宿線ではもう少し頑張れそうだが。
それでも旧101・5000系などの足回りを流用している11編成は、遡ればおよそ半世紀の走り。
ここまでよく走ってきたものだと、その健脚と保守の手厚さは讃えねばなるまい。

さて、横瀬といえば保存車両の展示がなにより楽しみ。
まず電車は、2014年に引退した3000系。
初代銀河鉄道999デザイン電車の3011編成が3両、当地に保存されている。
1両だけでも大したものなのに、3両保存の心意気!
短くはなったが、往時の記憶が蘇るには十分。
あのさよならイベントの時も寒かったよねぇ、久野ちゃんw

そして、旧型電気機関車群。
長くなるので細かい説明は避けるが、昭和期の西武鉄道を語る上では外せない車両たち。
このうちE71は、旧国鉄時代のED10 2の姿に復元されている。

西武鉄道を語る上で外せない私鉄最大の名機、E851形電気機関車。
国鉄EF65とEF81を基本設計の範にしつつ、側面の丸窓がチャームポイントだった名機。
終始貨物専業だったが、1996年の貨物廃止により惜しまれつつ引退。
その引退の花道に、JR東日本から12系客車を借り入れて牽引したことはもはや伝説になっている。

そして、E31形。
旧型電気機関車の置き換え用に、旧国鉄80系電車の台車を流用して西武所沢工場で新製。
甲種輸送や工事列車、時に貨物列車の代走で活躍していたが2009年に引退。
4両中3両は大井川鐵道に譲渡され、最近EL急行列車の牽引役として走るようになった。

西武秩父方には、さよならマークがそのまま残されていた。
イベントの開催は知っていて見に来たかった記憶があるのだが、その頃土日関係なく忙しい時期だったから
止むを得ず参加を断念したんじゃなかったかな。
E851形の時と同様に客車を牽引する計画も噂されたが、それは結局大井川鐵道で実現したのだった。

そして、個人的に一番会いたかったのがこのモハ505。
現役最終時の車号はクモハ355、多摩湖線で走っていた最期の赤電・351系だ。
西武球場に野球応援に行っていた以来だから、対面はおよそ30年ぶりになるのだろうか。

もっとも乗車していた頃は完全なライオンズキッズで、缶バッジを帽子いっぱいにつけてメガホンを抱えて
応援に行っていたので、351系は意識の片隅にはあったもののライオンズ最優先、写真を撮って残そうとの
意識は一切なく、現役当時の工藤選手のブルペンでの写真はあるのに351系の写真はまるでないw
引退後も横瀬での展示機会には行っておらず、保存初期の351系最終形態の写真も無かった。
だから、この復元スタイルは少々複雑な気持ちではある。

ただ、車内は現役最末期のまま、なんと当時の広告もそのまま残されていた。
遠目に眺めて見ると…なんと1990年6月当時のライオンズニュースも!
あの頃、日本シリーズ前後は胸を張っていられたライオンズファンとしても黄金時代を思い出し感涙!

今年も近い奮闘は見せたが、クライマックスシリーズで残念ながら2年連続の敗退。
来年こそは更なる投手力強化を成し遂げ、雪辱を!!

クハ1224は、101系さよならイベント以来7年ぶりの再会。
早いもので引退からも9年が経ち、歳は間違いなく取っているのだなぁと実感させられる。
旧101系はすでに譲渡先の鉄道会社でも引退・消滅しており、近代西武鉄道の貴重な1両となりそうだ。

古い貨車も残されている。
こんな車両がかつて走り回っていたのは、もはや自分ですら知らない遠い昔。

そして、今は解体を待つ9000系電車の姿が。
しかしこの日は、中間車のうち4両が同時開催の「ちちぶ車両基地酒場」の休憩スペースに開放されていて
廃車解体前の最後の奉公になったのだった。
ちなみにクハ含む4両はなぜか武蔵丘に送り返されたとの由で、再転用が噂されるがどうなるか注目。

本当なら、たんまりお酒を飲んで行きたいところだったが…
前週に風邪を引いた影響で夕方に歯科治療を振り替えていたため、わらじかつ丼だけ食べて撤収(´・ω・`)
イベント前後に、酔っ払っていた知り合いに会うたびに悔しかったですよ!ww

カナヘイ列車はタイミングを逸しうまく撮れなかったが、50周年記念装飾の10000系と「52席の至福」を!
ことに「52席の至福」は、走行写真は初撮影となりました。

この日は終始天気に恵まれ、また顔なじみにも多数遭遇。
歯科の予約のため15時前に撤収しましたが、終始穏やかで楽しい時間になりました。
お会いした皆様、企画運営していただいた西武鉄道の皆様、ありがとうございました!