【90's DOOR 020】あー夏休み'95③えっ、切符が?!ドタバタ部活合宿旅 | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

…すいません、【90's DOOR】シリーズ、前の更新からうっかり4ヶ月も空いてしまってました。
書きたいネタは数あれど、なかなか更新までには頭が回りません。

前は最低でも月に2回なんて言ってたのになー(´・ω・`)

ここから少し気合いを入れて、ネタを順次増やしていきます。
構想だけはすでにたくさんあるので。

今回は1995年夏休みシリーズ(とりあえず)最終回。
実は前回の後も、京葉線やら京急線、相鉄線やら、あれこれ乗って撮った記録がある。
ただ、それをなぜ乗りに行っていたのかというと記憶が曖昧だが…
たぶん部活で学校に登校していたのだろう。

でも、自分は放送部。

もっとも放送部ごときが何をやっているんだと思う向きもあるだろうが、実は夏休みの終わりに我が高校の
放送部は、大きなイベントをひとつ控えていた。

慰安旅行合宿

なんと年に一回、合宿があった。
合宿だったら他の部活でも、それこそ鉄道研究部でも良いじゃないとの声が出てきそうだが。
鉄道研究部は確かに行き先とか魅力的だったが、マニアックに走るゆえ合宿代も高かったんだよな。
それに雰囲気とか馴染めなかったから、鉄道研究部に入らずに放送部を選んだわけで。
だから、合宿があるというだけでも良い方だなと思っていた。

そもそも当時、うちの学校は修学旅行なんて無かったし。

あとは、当時の放送部の先輩とも相性が良かった(と勝手に思っていた)し。
そんなことがあって、数回の打ち合わせを経ていざ合宿へ!

1995年8月28日、月曜日。小田急線新宿駅
確か学校に一度集合して、新宿駅へ。
この合宿で乗るメインの列車は、特急「あさぎり3号」。
自身初の小田急ロマンスカーは、沼津直通のJR東海371系。
これで終点まで乗って、沼津港から戸田(へだ)まで船。
戸田に二泊三日滞在して、また逆のルートで帰ってくる。

はずだった。

ところがここで、大ハプニング発覚!

特急券が、前日のだった?!((((;゚Д゚)))))))

なんと特急券の日付が一日違い、当該列車に乗れないという緊急事態が発覚。
あまりの展開に全員面食らったが、足掻いてもしょうがないのでやむなく見送り。

どーなるのこれ…

とか思いながらも、見送ってからしばらくホームで写真は撮っていたらしい。
さまざま記録はあるが、ロマンスカーは既出なのでここでは懐かしい方向幕原型時代の8000形を。
登場から37年、更新を受けながら未だ全車健在。
しかし新5000形製造が発表され、先日の踏切事故もありそろそろどうなることやら?

…さて、結局ずっと小田急ホームにいてもそれでも時間が余るというので、一行はひとまず東京都庁へ。
そこでどうしたかというと、展望台に上がり、食堂に入って時間を潰したというw
こんなことがなければ、東京都庁に行くのはいつになっていたやらという多摩地域在住民でしたwww

そして結局、どうなったかというと。
「あさぎり5号」に乗って仕切り直し。

結果的に20000形RSEに乗れたのだから良かった、というテツな性w
従いまして、自分の初小田急ロマンスカー乗車記録はRSE。
1995年8月28日月曜日のあさぎり5号、新宿→沼津間になります。

…ただ今にして思えば、約20人分の特急券がすぐ取れてしまうほど当時から結構空いていたんだなと。
世間は普通に月曜日だったっていうのもあるけど、少し寂しい気持ちを抱えながらの旅の始まりに。

…さて、車内ではわりとみんなでにぎやかに過ごしていたようです。
てか、どうしていたかほとんど記憶がありませんw
テツなポイントを押さえるにしても、出色はここのみ。

裾野にて

すでにJR御殿場線内に入ってからの撮影。
ここで交換する上り「あさぎり6号」を、デッキから撮っていました。
ちなみに、この時が在来線でのJR東海管内初乗り(御殿場線松田〜沼津間)になります。
小田急ロマンスカーとJR東海在来線の踏破、ふたつの記録がつきました。

…この日の鉄道記録はここまで。
この後戸田まで結局どうしたかというと、なんと沼津からジャンボタクシーに分乗していったという。
だが今にして思うと、なんで三島から伊豆箱根鉄道を迂回して修善寺からバスに乗らなかったんだろう?
その頃から合う時間のバスが無かったのかな?

それ以前に東京から特急「踊り子」という選択肢は無かったんだっけかな?

…当時の185系に対するマイナスイメージが垣間見える気もするが。
それは185系について書く時が来たら、そこに譲ろう。

なお、現地で合宿中の記録写真は載せません。
記憶だけ少し書けば、2日目の夕方に戸田港に釣りに出かけたっけな。
そこで顧問の先生が魚が釣れて、釣竿持って満面の笑みを浮かべている写真が手元に残されていますwww

さて、帰るのは1995年8月30日、水曜日。
この時はさすがに日付間違いなどはなく、戸田港から船で淀みなく沼津へ。
そこから行きと同じルートでの帰京となりました。

この時、沼津駅ホームに着いて咄嗟に撮った貨物列車の牽引機が、EF65の0番台。
昔からあまり貨物列車って撮ってないのだけど、今見るとやはり撮るって大事だなと。

そして、さりげなく記録に残してあった旧国鉄車の面々。
今やJR東海も、旧国鉄の残存車は211系8両を残すのみ。
原型白熱灯車も居た113系に、インバータークーラーを積んだ115系。
311系は当時名古屋圏のみの導入、313系は影も形も無かったころの姿。
どれもこれも当時はごく当たり前な日常の姿だったのだが、今となっては貴重な記録。

そして帰りは「あさぎり6号」で新宿へ。
ここで乗るのは、JR東海371系。
それも指定された席は二階建て車両の1階(普通席)で、部員全員でその階を占有したというw
結果的に往復であさぎり号の2車種に乗れたから良かったねと、テツな人達は前向きに捉えていました。

もちろん裾野で、行き違い撮影も抜かりなくw
28日と逆パターンで記録ができました。

結果的にこの時が、新宿〜沼津間を乗り通す唯一の機会になりました。
2012年3月のダイヤ改正で再び御殿場止まりになり、この2形式は勇退し一部が富士急行へ譲渡。
現在はロマンスカーの愛称から「あさぎり」の名前も消えてしまっていることに隔世の感があります。

そして、沼津港〜戸田港間の船も今は無いらしい。
戸田へは結局それ以来行っていませんが、ここにきてご縁が繋がったので近く再訪を企んでいます。

…もっとも次に行く時は、東京から「踊り子」に乗っていくことになりそうですが。
すでに計画ダイヤの作成は終えていて、あとはいつ実行に移せるかというところです。