【90's DOOR 018】あー夏休み'95①富士急行線から中央線へ、懐かし色の電車たち | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

早いもんで2019年も2月…
1月は始業後3週間繁忙期に巻き込まれて連日残業でヒーヒーと言ってたわけですが、後半に久々のライブを
組み入れたり、あれやこれやとリフレッシュを画策しつつ前を向いております。

…このシリーズも、連日の疲れを言い訳に、日々仕込みが遅れております。
ようやく手につけたらつけたで、なんかスキャンアプリが調子悪いし(´-ω-`)
ネタはこんもりあるのですが、なかなか消化できません。
そんな状況なので、今年はしばらくは

最低でも月に2回

の更新を目指していきます。
一番の理想は週に1回なんだがね。
折返場点描(今年は曜日不定月に4回更新を理想)と共に、核になるシリーズにしてまいりたい。

今回は、1995年の夏休みシリーズ。
うちの高校は前・後期の二期制だったので、いざ夏休みとなってもなんとなく感慨は少なく。
それでいて8月に10日間の実習が組み込まれていたから、いざ遠出という気持ちにはならなかったようだ。

いざなったらなったで、当時の校長先生には

毒ガスには気をつけなさいよ

と笑って注意されてみたりねw←当時の社会情勢がわかるネタ
それでも、割と近場であちらこちらに足跡を残していたことは、いざ写真を見返すと思い出せる。

1995年7月30日、日曜日
1991年の暮れに続き、大月に立っていた。
この時は、8月からの実習に備えて母方の祖父母の家に珍しく2泊3日の日程で泊まりに行って、休養をして
髪を切ってもらったりしていたようで、また経緯は忘れたがまたここまで足を伸ばしていたのだ。

しかし4年の時間の流れは無情で、この時にはすでに富士急行は京王電鉄から5000系を購入し1000形として
運用を始めており、青地に富士山をイメージした白帯を巻いた斬新なカラーで甲州を走っていた。

田野倉にて

そしてこの時は、初めて富士急行線への乗車を敢行。
ずっと車から遠目に眺めていた富士急電車に、ようやくの初乗車となった。
種車の京王5000系に乗るのも、3年ぶりくらいだっただろうか。
しかし車内は一部が1200形として転換クロスシート装備車となり、あまりの変化ぶりに唖然とした記憶が。
それでも自社5000形に続いてクロスシート化したことは当時としては大英断で、この頃から観光への需要を
見計らっていたようだし、実際に好評だったために予定よりも多く増備されるに至っていた。

今はこのオリジナルカラーは廃車や京王色など各種復刻・コラボ塗装、更には富士登山電車への改装に伴い
姿を消してしまっているが、今年再デビューからも25年、富士急行の移籍車のグループでも長生きとなるが
元JR東日本205系を改造した6000系の追加投入で車両自体も先は長くないと見られているだけに、少しでも
記録に精を出して悔いのないように努めていけたらいいなと考えている。
そして、そんな中から第三の働き場所を見出して岳南鉄道に再移籍した車両についてもね。

谷村町にて

さて、この時何故だか谷村町まで行って下車。
ここから引き返す。

田野倉での交換と同じく、今では見られない1000系のオリジナルカラーを見つつ待った交換電車は…

5000形!

1975(昭和50)年に1編成2両のみが製造された、富士急行(現時点で)最後の自社発注車。
国鉄417系やキハ66・67などのような大型の車体で国鉄用部品も使用されているが、走り装置は富士急行の
標準装備だったWNカルダン駆動を採用、冷房も装備するなどオリジナリティも多様に取り入られていた。
当時の地方私鉄としてこれらの意欲的な設計が評価され、翌1976年に鉄道友の会ローレル賞を受賞した。

さて、この5000形に乗っていったのだが。
ATS未設置!

運転台を撮った写真を見返してビックリしたが、当時の5000形にはATSが設置されていなかったらしい。
もっとも、詳しい人に聞いてみると、当時はこういうのは地方私鉄ではよくあることだったみたいだ。

但し、わずか一区間、都留市でさっさと降りる。
今なら全線乗り通すところなのだろうが。
ちなみに、今のところ旧塗装の記録はここに上げただけである。
方向幕の様式も、なんとも懐かしい。
今年には引退の噂があるが、なんとかもう一度だけでもこの塗装が見られないだろうか。

そして、この都留市から乗っていたのが…

ホリデー快速ピクニック号

この時は、田町区167系アコモ改善車が運用に入っていた。
167系や169系、時には115系も走る面白い列車だった。

大月では、甲府編成と連結。
田町車の時は8両編成で新宿を目指していた。

まだまだ幕張区の183系による臨時「かいじ」も健在。
ただなこの時は、大船〜小淵沢間運転の「きよさと・かいじ」だったようだ。
今なら乗ってみたいのだろうが、当時は大月くらいなら鈍行で行って鈍行で帰るスタイル…

いや、今も大して変わらないかww

相模湖にいたのは相模湖始発の臨時立川行き。
昔は相模湖発着の臨電もよく見かけたものだったが。

やっぱり今なら新宿まで乗りたいところだが、帰りが遅くなるからと立川までの乗車。
167系も消えてから、早くも15年が越えてしまった。
この電車にはいろんな場面でまたお世話になることがあるが、それはまたいずれ。