回送
じゃなくて、
回想??
この真相は、後々明らかになる。
方向幕の蛍光灯が、切れかけていた。
しかしそれも、もう補修されることはないのだろうか。
廃車も近づき、なお寂しさが増してくる。
中央線に限らず北関東や上信越、東海、西日本と各地で乗ってきた形式だけど、やはり自分は
この“山スカ色”が一番身近で、たまらなく愛おしい存在だった。
それを噛み締めながら、一分一秒、刻一刻と減り続ける時間を過ごしている。
17:00、発車。
自分が生まれた時には既にホームは本線上にあったが、工臨などの対応で、スイッチバックの
配線はそのまま生かされており、5年前の201系さよなら運転では入線もした。
今回もその再現を期待したが、それは残念ながら叶うことはなかった。
母の話だと、この初狩含め随所にスイッチバックが存在していた頃は(上野原から)甲府まで
二時間はかかったものだ…とよく聞いたものだった。
あと、そういえば母と、祖父の3人で甲府から一緒に115系普通列車に乗って帰ってきた…
なんてことも、実は一度だけあった。
1986年の秋、甲府の親戚の告別式の帰りだった。
(この時の往路に、八王子→甲府で初めて183系特急『あずさ』に乗車している)
祖母とは何回かあったけど、祖父と一緒だったなんて、後にも先にもその一回きりだった。
そして、その時よく覚えているのが、笹子餅の車内販売があったことだ。
これは近年まで見られていたのだが、聞いたところでは一昨年でやめてしまったとの事。
回ってくるようならお土産に、と思っていたので残念なことであった。
この背後では、信じ難い光景がそこにあった。