今ここから茶人への道~第二席-111109_185006_ed.jpg

或る日の自服。

菓子 焼き栗きんとん

御製 若菜屋


最近、茶道に対する気持ちが変わったように思う。

以前は、早くお茶名を頂ける日が来るといいな~と思っていた。

最近は、お茶名に対する気持ちが薄れた。

茶道の楽しみ方はイロイロある。

私の場合、アウェーなお茶会(知り合いがいない、しかもあまり行ったようにことの無い?土地)も体験した。

これがまた楽しくて(笑)

色々な会場(茶室)へ行けるというのも楽しいしね。

何かの記事で、「茶人への道」ではなく「茶会マニアへの道」になりそうだ~と呟いたことが、、。

私は将来的に、指導者になるつもりはない。

もちろん、社中をもつ気はない。

そうなると、お茶名を焦って取得することもない。


以前、お茶会に出られるマナーを習うだけで十分だという方がいらした。

お点前などは習わず、社中にも属さない方が良いのだと。

以前は、お点前も楽しいのに~と思った。

だが、これもありかなと最近思う。

人それぞれだしね(笑)

茶道はお金がかかる。

これを職業にできる人は少ない。

また、いい年から始めた裕福でない、社会的地位も低い者には壁のような物もある。

私は、お金と時間が許す限り自分なりに楽しんで、好きなことをブログに書いて生きていけたら幸せだな~

それで、もしも私が今のレベルで茶会マニアになるとしたら、、、

今のような初心者レベルでは、醍醐味の一部しか味わえないだろう。

やはり、色々知っているからこそ、楽しみが倍増!

茶人になるにしろ、茶会マニアになるにしろ、まだまだだな、、、

まあ、行く末に興味のある方は、これからも見守ってくださいませ。
先日、名古屋にある松坂屋美術館へ行った。

「茶碗今を生きる…楽歴代と時代を語る名碗」

の展示が開催中である。

名古屋は詳しくないし、松坂屋美術館は初めてだ。

混んでいて、入場制限になっていたらヤダな、と思ったが、それほど混んでいなかった。

会場は全体的に暗めで落ち着いている。

楽歴代の茶碗が展示されているが、観たかったのは

長次郎「ムキ栗」

他にも名品が並んでいるため、「ムキ栗」だけ特別にオーラを放っているわけではない。

しばらく見ていると、栗に見えてくる。

形は栗っぽくないけど、、

見れば見るほど不思議な茶碗、、

と、しばらく「ムキ栗」の前にいた私である。


楽美術館でも歴代の作品を観たことがある。

それぞれの特徴などは、まだ知識の乏しい私には難しいが。

ただ、今回の展示の方がそれぞれの個性が出ているように思えるが。

初代の長次郎の作る形が筒のように整っている。

だが、そのままそれを次の世代が受け継いでいる訳ではないし。

一人一人手の大きさ、手の形も違うだろうから、そのようなことも作る時に影響があるのかな。

このような家に生まれ、跡を継ぐことになったら、自分はどうするか随分悩むのだろうな。

今回の展示は、楽家だけではなく尾形兄弟、本阿弥光悦などの茶碗も並ぶ。

本阿弥光悦作の国宝「不二山」と同じ白楽茶碗も展示されていた。

「冠雪」である。こちらも、山に関する銘が付けられているのだな。

茶碗に付けられている銘も楽しく見させて頂いている。

志野茶碗「老の友」が単独でガラスケースに展示されていた。

その前で、アラセブン(アラウンド70才)くらいの紳士と淑女が!

楽しそうに話に花を咲かせていた。

鑑賞するにはちょっと邪魔だったが、茶碗の銘にピッタリで(笑)

偶然だが、良い光景に巡り会えた。


展示の最後は楽当代の作品が並ぶ。

かなりインパクトがあり、大きい。

次に継ぐ方は、悩みそうだな。(余計なお世話で…)

出口近くには、当代の手記から抜粋した文章が展示されていた。

かなり気になる内容だ。

茶の湯が「何でもありのティータイム」になり、大切なものを失い、滅びてゆく~

茶の湯とは何か、茶碗とは何か、今一度考える必要があるのでは?~

というような内容。

これから茶道はどうなってゆくのだろう、、、

帰りに図録を買ってしまった。

以前は買わなかったが、最近は買う傾向がある。

私も変わったな(笑)
NHKアニメ「へうげもの」は、小田原城攻めの真っ最中。

この戦のさなか、千利休により後に伝わる茶道具が生まれている。

利休は戦場である小田原などで茶を点てた。

道具は旅箪笥に入れて運んだという。

この「旅箪笥」は、現在も茶道の棚の一つで、お点前にもなっている。

まだ経験はないが。

また、伊豆・韮山の竹林の竹で花入を作った。

その一つが、一重切の「園城寺」である。

展覧会で「園城寺」花入を観た時、まだお道具に関心がないころだったが、面白いなと思った。

花入のキズが、やはりキズを持つ別の物とリンクさせ、、そうか~と。

「俊寛」という名の茶碗が、茶碗の運命?と俊寛の人生と似通っているからついたというのも面白いと思ったが、、

「へうげもの」では、道具がクローズアップされなかったな。


これから出番が増えそうな「小堀遠州」

利休が亡くなった時には、まだ10代だった。

一説によると、人のお点前を見て一回で覚えてしまったとか。

センスもいいしな~

うらやましい~

その才能のひとカケラでも頂きたいものだ(願)


また、奥州・黒川城の伊達が小田原に向かう。

黒川城については、「なりきりウォーカーがゆく」にも書かせていただいた。

そして、伊達政宗の小田原への大遅刻については、

来週の水曜日、TBS「今夜はヒストリー」で放送。

その場面は、「へうげもの」の方が先になりそうだが、、

興味のある方は、ぜひ!
NHKアニメ「へうげもの」29話は、泣けてしまう場面があった。

この物語はフィクションにて候~

とはわかっているのだが、、

※録画を観ていない方はネタばれ注意

千利休の元に山上宗二の首が、、、

へうげものだけでなく、実際の利休は、人の心、世の中の動きを正確に掴んでいたと思う。

それが、偉大な茶人というものだ。

しかし、最後の方では正確にとらえていない。

破滅に向かう時は、誰でもそうなんだろうな。

山上宗二に秀吉へ詫びを入れ、戻るように説得する利休。

しかし秀吉は宗二を許さなかった。

自分の思ったことをハッキリ言うことは、いつの時代も難しいと思う。

言論の自由な現代も、周りに気を使って言えなかったり、、

立場が強い人を意識して、本心を言えないなど、、

これが普通の人間だろうな。


山上宗二があの時死を免れたら、、

やはり利休が罪に問われた時に、秀吉に怒鳴りこんで殺されてそうだしな。

また、秀吉の元に行かず、小田原から逃げ延びたら?

宗二も目の前に権力がちらついたかな。
まあ、小田原の者たちを助けるためかもしれないが、、

どちらにしても、山上宗二は長生きできなかった茶人だろう。

現代の山上宗二っぽい人は、むやみに殺されはしないが、不遇な生活を送ってそうだ。

自分の中に志があるならば、時に我慢も必要かも。

せっかくの才能を無駄に枯らしてはいけないぞ!

って、身近にそういう人はいないけど(笑)


中途半端な暴言吐きとして、ちょっとしんみり、、

だから続きはその二へ

最近、自分の足元というか現実をないがしろにしていたように思う。

もう少ししたら、社中で「茶事」をする。

姉弟子が亭主役で私が半東。

私は社中でも迎える側は経験がない。

そのため、先生から奨められた「正午の茶事(炉編)」を古本で手に入れた。


正午の茶事 (炉編) (茶の湯実践講座)/千 宗室
¥2,625
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この本を使って予習しなければ、、

せっかく半東役をいただいた訳だし。


まだ社中では、炉開きをしていない。

いきなり茶事で「炉」か~と心配していた。

しかし先生の配慮で、リハーサルのような打ち合わせのようなことをさせていただくことに。

もちろん、姉弟子と私の亭主&半東だけだが、、。

もっと現実を足元を見よう!

でもブログも書くけどね(笑)