先日、名古屋にある松坂屋美術館へ行った。

「茶碗今を生きる…楽歴代と時代を語る名碗」

の展示が開催中である。

名古屋は詳しくないし、松坂屋美術館は初めてだ。

混んでいて、入場制限になっていたらヤダな、と思ったが、それほど混んでいなかった。

会場は全体的に暗めで落ち着いている。

楽歴代の茶碗が展示されているが、観たかったのは

長次郎「ムキ栗」

他にも名品が並んでいるため、「ムキ栗」だけ特別にオーラを放っているわけではない。

しばらく見ていると、栗に見えてくる。

形は栗っぽくないけど、、

見れば見るほど不思議な茶碗、、

と、しばらく「ムキ栗」の前にいた私である。


楽美術館でも歴代の作品を観たことがある。

それぞれの特徴などは、まだ知識の乏しい私には難しいが。

ただ、今回の展示の方がそれぞれの個性が出ているように思えるが。

初代の長次郎の作る形が筒のように整っている。

だが、そのままそれを次の世代が受け継いでいる訳ではないし。

一人一人手の大きさ、手の形も違うだろうから、そのようなことも作る時に影響があるのかな。

このような家に生まれ、跡を継ぐことになったら、自分はどうするか随分悩むのだろうな。

今回の展示は、楽家だけではなく尾形兄弟、本阿弥光悦などの茶碗も並ぶ。

本阿弥光悦作の国宝「不二山」と同じ白楽茶碗も展示されていた。

「冠雪」である。こちらも、山に関する銘が付けられているのだな。

茶碗に付けられている銘も楽しく見させて頂いている。

志野茶碗「老の友」が単独でガラスケースに展示されていた。

その前で、アラセブン(アラウンド70才)くらいの紳士と淑女が!

楽しそうに話に花を咲かせていた。

鑑賞するにはちょっと邪魔だったが、茶碗の銘にピッタリで(笑)

偶然だが、良い光景に巡り会えた。


展示の最後は楽当代の作品が並ぶ。

かなりインパクトがあり、大きい。

次に継ぐ方は、悩みそうだな。(余計なお世話で…)

出口近くには、当代の手記から抜粋した文章が展示されていた。

かなり気になる内容だ。

茶の湯が「何でもありのティータイム」になり、大切なものを失い、滅びてゆく~

茶の湯とは何か、茶碗とは何か、今一度考える必要があるのでは?~

というような内容。

これから茶道はどうなってゆくのだろう、、、

帰りに図録を買ってしまった。

以前は買わなかったが、最近は買う傾向がある。

私も変わったな(笑)