これがわたしのマニフェスト。『幸せ』はわたしが決める。
さあ、堂々とお通りです。 明日も、幸せも、当たり前も、 全部「わたし」が決める。 前回の『借り物の言葉じゃ、トべない』に引き続き、 中王区のお姉様方に心を打ちぬかれたまま、 『Femme Fatale』のハードリピートが止まりません。 ちぇりです。 東方天乙統女様なら、 すべてはわたしの意のままに進む。 今日も明日も、 満足も幸せも、 常識も当たり前も、 わたしが決める。わたしがルール。 当たり前のようにそう言ってくれそう。 実際言ってるわけですけども。 そんな姿に、 嫌われないように、 否定されないように、 周りの顔色伺って生きてる人間は、 カッコよさと憧れを感じるわけです。 そんな芯持って生きれたら 人生バラ色じゃんね。 そう感じちゃう人と東方天乙統女様って、 何がそんなに違うんでしょうか。 もちろん、二次元と三次元の違い以外で、ね!笑<!-- コピーにて作成 * 目次 *「みんなと同じ」がくれる、安心と無個性いわゆる「幸せ」と言われるものを満たさなくてもこれがわたしの「幸せ」だ.box2 { padding: 0.5em 1em; margin: 1em 0; font-weight: bold; color: #000000;/*文字色*/ background: #FFF; border: solid 2px #cccccc;/*線*/ /*border-radius: 10px;/*角の丸み*/}.box2 p { margin: 0; padding: 0;}-->*目次*「みんなと同じ」がくれる、安心と無個性いわゆる「幸せ」と言われるものを満たさなくてもこれがわたしの「幸せ」だ.box1{ text-align : center; } .box3{ padding: 1em; margin: 1em; font-weight: bold; color: #000000;/*文字色*/ background: #FFF; border: solid 2px #cccccc;/*線*/ /*border-radius: 10px;/*角の丸み*/ } a{ text-decoration: none; /*リンクのアンダースコアを非表示*/ } a:hover { text-decoration: underline; /*カーソルを合わせた時だけアンダースコアを表示*/} この物語を紡ぐわたし、ちぇりについては、 こちらで紹介しています。「みんなと同じ」がくれる、安心と無個性.m1{ border-left : 10px solid #ff0000; border-bottom : 2px solid #ff0000; padding-left : 10px; } わたしはわたしでありたい。 周りに迎合せずに、自分「らしく」生き抜きたい。 そう思いながらも、 「みんなと違う」ことに不安になって、 やっぱり足並み揃えちゃいませんか。 あんまり好きじゃないなー、って思いながらも、 流行りのテレビはチェックしておかないと みんなとの会話についていけないし、 自分の趣味じゃないなー、って思いながらも、 お揃いの小物を持ち歩いてないと 友達レベルが下がると思ったり、 自分の趣味全開の小物やアクセサリーを身に付けてたら、 変わってるね、って言われて 次からは一般ウケする格好しよう、と思ったり。 「自分はコレがスキなのになー」という気持ちがあるのに、 伝えられない、全面に押し出せない。 そんな経験、少なからずあるんじゃないかなと思います。 わたしはわたしで、わたしの好きを貫きたいのに、 「みんなと同じ」でないといけない。 その気持ちが奥の方でちらちら見え隠れして、 強迫観念のように感じてしまうのは、 右に倣え教育 が、根幹に根付いてしまっているからなのではないかと思います。 つまり、学校で習った、 「マジョリティが正義である」という教育のこと。 学生の方は、クラスの人の顔を、性格を思い出してみて、 社会人の方は、職場の人の顔を、性格を思い出してみて。 いろんな人がいると思いませんか? ほぼ無作為に、3,40人単位で区切られて構成されるクラス。 その中には、必ずマジョリティとマイノリティが生まれます。 それこそ、 夏がダメだったり、 セロリが好きだったり、笑 必ず、 どこかのカテゴリではマジョリティで、 どこかのカテゴリではマイノリティになります。 にもかかわらず、 好きなこと嫌いなことも、 得意なことも苦手なことも違うのに、 「こうあるべき」という枠を当てはめようとする。 たとえば、 「学校には行かなきゃいけない」という、 こうあるべき、の枠。 学校に来て、 みんなと仲良くして、 テストの点数を取るために勉強して、 受験をして、 進学して、 いい学校に、 いい会社に、、、 それでいい、って思える生徒にとってはいいけれど、 たくさんの生徒の中に、そうでない生徒が存在するのは当たり前で、 その生徒たちを「マジョリティに矯正しようとする」のが、 今の学校教育な気がします。 休み時間に外でドッジボールをする生徒もいれば、 一人静かに本を読む生徒もいる。 それと同じように、「たまたま周りと少し違う」立ち振る舞いをする生徒もいる。 それを「個性」として見ずに、 矯正するべきものとして見てしまって、 みんなと同じ様にしなさい。右に倣え。と、 マニュアル通りの対応をするわけです。 もちろん、生徒一人一人に向き合って、 それぞれの個性が潰れないように、伸びるように、 考えて、行動されている教師もいます。 でも、大半はそうじゃない。 1クラス3,40人。 それを、何クラスも持つ。 カリキュラムはみっちりで、 受験で勝てるように、 3,40人みんなを導かなければならない。 その状態の中で、生徒一人一人に沿った教育を行っていくのがどれだけ大変か、と。 その大変さの片鱗は、 教育実習という3週間の短い期間の中でも垣間見ることが出来たと思っています。 とはいえ生徒からしてみたら、 個性や特性を見ようともせず、枠に嵌めようとしてる、と思いかねないわけで。 自分が我慢すれば、みんなに合わせれば、 変な衝突もないし煩わしい思いもしなくていい。 そう思って、我慢を覚えていく。 そうして、 周りに迎合することを覚えて、 それが一番手っ取り早い、と半ば諦めて、 教師が、学校が、世間が求める、 いわゆる「幸せ」と言われる道に自分を当てはめていって、 個性を失っていくのです。いわゆる「幸せ」と言われるものを満たさなくても<!--いわゆる「幸せ」と言われるものを満たさなくても--> いわゆる「幸せ」と言われるものって、 どんなものをイメージしますか? 受験戦争に勝っていい学校に入学して、 就職活動で成功していい会社に入社して、 30歳前後にはいい人と結婚して子供を産んで、 マイホームを持って、 毎晩食卓は家族全員で囲って、 休日には家族で遠出したり、家で団欒したり、 年に一度は家族で海外旅行に行く。 いわゆるステレオタイプのテンプレ「幸せ」ですが、 この幸せを目指している方って、 結構いらっしゃるんじゃないかな、と思います。 かく言うわたしも、このテンプレ幸せを目指してました。 で、30歳を超えて、 子供もいなければ結婚もしてないわけで。 幸せ計画は破綻したわけです。 ハタチのころに夢描いてた、 「普通」の未来を掴むのって、難しい。 ただ、この時に思ったんですね。 テンプレ幸せに沿わなくたって、幸せってあるよね。 って。 学生なら、「家族」は両親がいて、 食卓は家族全員で囲って、 っていうカタチじゃなくても、 バスブロのヤマダ三兄弟は どっからどう見ても幸せな「家族」だし、 一郎兄ちゃん、最高の兄で父で母だし。 わたしも一郎兄ちゃんのご飯食べたい。 いい会社に入社して 安定した収入を得るってカタチじゃなくても、 そもそも、シブヤはみんな、お勤めしているわけではないし。 特に帝統は、テンプレ幸せの基本である 地道や堅実、が大嫌いだからギャンブルで生き抜いてるわけで。 とはいえだいたい素寒貧で、 テンプレ幸せから見ると「大丈夫?」と心配されるレベルだけれども 見ていて気持ちいいし、帝統自身も幸せなんだろうな、と思うし。 公園に落ちてたら拾ってあげたい。 そもそもテンプレ幸せに沿えば みんな絶対幸せだ、っていうなら、 独歩ちんがあそこまで日々に疲れ果ててないわけで。 『「キレる中年」の見出しになったろかいぃぃ!』 なんて、ぷっつんしちゃって叫ばないわけで。 (…29歳って中年なの?) 早速自分の趣味全開にしてみてますが、 ヒプノシスマイク、ご存じない方がいらっしゃったら是非 こちらを参照ください。 画像クリックで、ヒプノシスマイクの公式サイトに遷移します↓↓ わたしは、 一兄単体推し からの ポ女 からの 名古屋嬢です。 浮気性と言うなかれ。 ちゃんと、箱推しですよ! ヒプマイ好きがいらっしゃったら、 是非、どのディビジョンの女なのか、 コメント下さると嬉しいです(*^^*) さて、話が逸れましたが、、、 テンプレ幸せに沿わなくたって、幸せってあるよね。 って話。 例に挙げたヒプマイキャラ、一郎や帝統は、 彼らが掲げる「正義」を持ってて、 それに殉ずるから、「幸せだ」と胸張れてる。 独歩ちんは、テンプレ幸せを「正義」だと思って、 それに殉じようと自分を抑制して、押し込めて、 だからあんなにキレちゃうんじゃないかな、と。 なら、自分自身が掲げる「正義」に殉じていくことが、 テンプレ幸せを沿っていくことよりも、 「幸せだ」と胸張れることなのではないでしょうか。 じゃあ、自分の掲げる「正義」や、定義する「幸せ」ってなんだ。 って話。 わたしの正義と幸せは、 誰にも支配されず、 誰にも媚びることなく 「自分」をまっすぐ貫き、 ただ一人の人間として強く在って、 依存ではなく 「素の自分」を受け入れて力を貸してくれて、 自分も全力で力を貸したい、 そんな関係性を築けている相手と、 リアルの空間を共にしていること。 あなたは?これがわたしの「幸せ」だ<!--これがわたしの「幸せ」だ--> 一般的に言われている、 いわゆるテンプレ幸せを満たさなくても、 「幸せ」と思えることがある。 すべてはわたしの意のままに進む。 今日も明日も、 満足も幸せも、 常識も当たり前も、 わたしが決める。わたしがルール。 当たり前のようにそう言える 東方天乙統女様と、 嫌われないように、 否定されないように、 周りの顔色伺って生きてる人間の違いは、 自分で、自分の「正義」や、定義する「幸せ」を掲げてるか否か。 「これがわたしのマニフェスト」と言える、 正義と幸せを言の葉に込めて、輪郭をはっきりさせて。 誰のでもない、 「自分の幸せ」に、自分を連れていく。 「これがわたしの幸せだ」、と。 言の葉に込めて、 「伝わっちゃう」生き方を、姿勢を、行動を。 貫いて、魅せて、継いで行くのは、 わたしの根源的な思考が そこを求めるから。 わたしの根源であり、原動力はなにか。 それについては、 こちらの記事で、紹介しています↓↓ Follow your heart!!