いい未来になりますように。

 

 願って願って、願い続けて

 何が起きるかは運頼み?

 

 願う未来を、願った通りに創るレシピはある。

 

 創れないのは、材料が足りていないから。

 

 

 いい未来になりますようにと、

 願うだけでは、決して揃わない。

 

 叶うのをただただ待つより

 「叶える」ために、動き出せ。

 

 レシピはすぐ、そこにある。

 

 

 取り込め。

 

 

 

 

 

 ちぇりです。

 

 わたしたちは、

 「気持ちいい」と感じられる日常を

 創り上げるために

 

 「気持ちいい」と感じられる日常を想像し、

 その「結果」に至るための過程を、

 辿る道を想定し、予測し、

 行動しています。

 

 とはいえ、

 予測した未来と、

 実際に迎える未来の「結果」に

 ギャップが起きてしまうのは、

 多々あること。

 

 

 今回は、

 どうしてギャップが起きてしまうのか。

 そして、このギャップは

 どうやって埋めるのか、

 搔き集めた情報に何が足りないのか、

 について、話を進めていきます。

 

 それではいざ、物語の始まりへ。 +゚*。:゚+.゚*。:゚

 

 

予想と予測の違い

 

 前回の記事では、

 

 「自分が理解できる範囲」の

 中だけにとどまり、

 得意、こだわりに固執し、

 相手に勝るために、

 その分野においてのみ知識武装し、

 「範囲」外の世界に目隠ししちゃうことが、

 

 結果として

 自分にとっての「気持ちいい時間」

 を減らしてしまう

 ということ、お届けしました。

 

 

 結局大事なのは、

 

 日常を、24時間を、

 「こだわりがあって、気持ちいい時間」

 にするために、

 

 「自分の理解の範囲」の外に出て、

 自分の「こだわり」を広げていく、

 

 ということ。

 

 前回の記事を読まれていない方は、

 こちらからどうぞ↓↓

 

 

 

 24時間全てを、

 肩肘張らず、自分の意志で過ごす、

 夢中になれる時間

 

 つまりは

 「気持ちいい時間」にして、

 自分にとって「気持ちいい」日常を

 創り上げるために

 

 その「結果」を手に入れるために、

 歩みを進めていく中で、

 

 現実と理想のギャップを感じるとき

 

 があると思います。

 

 

 「こうなるだろう」

 「こうしたら叶う」

 

 そう予測した未来の姿と、

 実際に迎える未来の「結果」に

 ギャップが起きてしまうこと。

 

 

 望んだ未来を、迎えられないこと。

 

 

 今回は、

 どうして、

 予測と実際にギャップが生じてしまうのか。

 

 そしてこのギャップを、

 どうやって埋めるのか。

 

 予測のために搔き集めた情報に、

 何が足りないのか。

 そしてなぜ、

 足りない情報しか集められないのか。

 

 について、話を進めていきます。

 

 

 

 結論から言えば、

 

 予測と実際のギャップが生まれるのは、

 

 「変動する要素」を盛り込んで

 予測できていないから。

 

 変動する要素とは、

 自分でコントロールできないこと。

 

 

 例えば、

 天気なんかはそのいい例です。

 

 家族でピクニックに行く、

 という予定を立てても、

 雨で中止になった、

 なんてときありませんでしたか?

 

 この原因は、

 「雨の日にピクニックを予定したこと」

 にあります。

 

 事前に雨の予報を考慮すれば、

 「雨でも平気な場所」に行く

 という選択をしただろうし、

 

 もしくは、

 ピクニックを延期する、

 という選択をしたかもしれません。

 

 

 なんにせよ、

 自分の予定を立てて、

 当日の「予測」をする際に

 

 「変動する要素」を盛り込めるかどうか、

 

 で、

 予定通り楽しい一日を過ごせるのか、

 予定が狂ってテンションが下がる一日に

 なってしまうのか、

 

 が変わる、というわけです。

 

 その変動する要素までアンテナを立てて、

 情報収集するかどうかが、

 

 日常が心地よくなるか、否かを左右する

 

 ということを

 今回の記事で感じてもらいたいと思います。

 

 

 先程、 

 変動する要素を取り入れて、

 「予測する」とお伝えしました。

 

 なぜ、「予想」ではなく「予測」か。

 

 ここが大事なところになります。

 

 なぜかというと、

 根拠の有無が段違いだから。

 

 つまり、

 違和感なく、

 心地いい

 気持ちいい

 と感じられる日常を

 手に入れられる「精度」が

 段違いである、ということです。

 

 

 予想は

 漠然と、「こうなるだろう」と

 主観に基づいてイメージすること。

 

 対して予測は、

 数値や事実などの、

 客観的根拠に基づいて、

 見当をつけ、推し測ること。

 

 

 予想も予測も、

 どちらも、この先の「未来」に対して、

 見当を付ける、推しはかる、

 という意味では、同じです。

 

 違うのは、

 主観的か、客観的か。

 

 根拠が、あるかないか。

 

 

 

 この違いを考えると

 「気持ち良くて、違和感のない日常」を

 自分の手で創り上げるためには、 

 予測じゃないと、なし得ない

 ということを感じてもらえると思います。

 

 つまり、

 根拠のない「予想」程度では、

 「気持ちいい日常」なんて、

 夢のまた夢であり、

 「運任せ」でしかない、

 ということ。

 

 

 それなら、

 「予測すればいい」となるわけですが、

 実際に予測するときに悩むのは、

 「何を根拠にするか」ということ。

 

 この精度が、

 予測と実際のギャップを埋めるために

 重要になってきます。

 

 

 根拠とする要素の中には、

 数値や事実など、

 「定数」になっているものと、

 人の感情など、

 定数化出来ないものがあります。

 

 この「定数化できないもの」を

 仕方ない、と諦めるのか。

 限りなく「定数」になるためには

 何の情報が必要か、と考えるのか。

 

 この判断次第で、

 

 「予測」と「実際」のギャップを、

 運任せ、から

 コントロールして、

 埋められるか否か、が決まる

 

 と言っても過言ではありません。

 

 

 

 大切なのは、

 

 定数化出来ない

 と思ってしまっている「変数」を、

 どれだけ定数にしていけるか。

 

 ということ。

 

 

 「ある程度の根拠」

 というふわふわしたものではなく、

 

 「限りなく完璧に近い根拠」に、

 どこまでしていけるか。

 ということ。

 

 

 技術者なら、「当たり前」と感じる部分。

 エンジニアの血が騒ぎます。笑

 むしろ、

 テストフェーズなら必ず数値化するのに、

 なんで日常だと

 根拠なしのままでいいと思っちゃうのよ、

 と、自分に対してツッコミ入れたくなります。

 

 

 

 次章では、

 これまでわたしが

 「予測」だと思っていたけれど、

 ただの「予想」でしかなかった、と何で気付き、

 どうやって「予測」に変えていったのか。

 

 「予測」に変えていったことで、

 日常がどのように変化していったのか

 について、

 話を進めていきたいと思います。

 

 

相手の気持ち、を「予測」する

 

 これまでわたしが、

 自分では「予測」だと思っていたけれど、

 ただの「予想」でしかなかった、

 と感じたことは、

 

 自分の文章が相手の心に響くかどうか、

 の精度でした。

 

 

 簡単に言えば、

 自分の言葉で

 相手が実際に行動を起こすかどうか、

 を予測して綴ることができたか、ということ。

 

 

 そして実際に、 

 相手が行動を起こせたかどうか、ということ。

 

 

 

 なぜ、

 自分の文書が相手の心に響くかどうか

 の精度が重要かというと、

 

 わたしが思う「良い文章」が、

 

 相手が実際に行動を起こしちゃえるほどに、

 気持ちを鼓舞できる文章

 

 だから、なのです。

 

 良い文章、の定義には

 賛否両論あると思いますが、

 わたしにとってはそれが答えでした。

 

 

 かつては、

 端的に意図を伝えられればいい

 と考え、

 マイルドな表現をそぎ落とし、

 どれだけ短い文章に意味を詰め込めるか

 にこだわりを感じていました。

 

 プログラマ、

 システムエンジニアとして働いていた経験から、

 この方向での思考、

 が研ぎ澄まされていたように感じます。

 

 

 とはいえ、その中ででも

 「良い表現だな」と思わせないといけない、

 とは考えていました。

 

 文字を扱う、扱いたいものとして。

 

 

 つまり、

 良い文章表現である、と相手に思わせる

 イコール

 人の心を動かす。

 ということです。

 

 これを、常々考えながら、

 メール文章を作成したり、

 提案資料を作成したり、していました。

 

 だからこそ、

 自分の文章がひとの心を動かすかどうか

 の「質」が

 本当に予測と言えるレベルなのか?

 向き合うことができたのです。

 

 

 ここで感じて欲しいのは、

 「良い文章」を創ることに夢中だったからこそ、

 予測ではない自分に気付けた、ということ。

 

 適当にやっていたとしたら、

 予想のままに文章を綴り、

 自分が求めた結果を得られなくて

 腐って、

 あっさり辞めてしまって、

 予測できない自分、に

 向かうことが出来なかったと思います。

 

 

 

 わたしが、

 予測が予想だ、と感じたきっかけは、

 返信を期待して送ったLINEが、

 既読スルーされたままだったことでした。

 

 仲間が、

 共有備品を壊してしまったことがあって、

 その修復または弁償が必要になったんです。

 

 その仲間の過失だったから。

 

 もちろん、壊してしまわないように

 注意出来た部分はあったと思うんです。

 わたしも、「これは危ないかも、、」

 と思う部分があったな、と

 振り返って感じています。

 

 

 当時、それを見て見ぬふりして、

 結果、

 この結末を迎えてしまったことに関して、

 その仲間には、

 本当に申し訳ないな、と思っています。

 

 ごめんね。

 

 

 その仲間に、事の顛末と、

 修復または弁償になるよ、

 という旨をLINEで連絡したんですね。

 想定では、「修復する」または「弁償する」の

 どちらかの返信が来るはずだったのに、

 既読がついても返信がなかったんです。

 

 最初は忙しいのかな、と思った。

 でも、

 流石に1日経って、

 2日経ったら、

 「敢えて」返信していないんだ、

 と確信になった。

 

 正直、ショックでした。

 

 LINEに載せた「言葉」「文章」が、

 自分「が」紡いだ「言葉」「文章」が、

 相手を動かすと思っていたのに

 そうじゃなかったから。

 

 むしろ、

 脚を止めさせてしまう要因に

 なってしまっていた。

 

 

 これは、

 わたしの「言葉」「文章」だったら

 相手に届く、という

 自信過剰の状態であり、

 相手のことを

 何も考えていないにもかかわらず、

 「行動するはず」という予想だった。

 

 振り返ると恥ずかしい過ぎる。。

 

 

 

 つまり、

 自分の意図が伝わればいい。

 自分の言いたいことが伝わればいい。

 自分が「綺麗だ」と思うものが、

 カタチになればいい。

 

 そう思ってしまっていて、

 相手の心情を度外視していたんです。

 

 相手が行動に至らないのは当然。

 相手のことを考えていない「文章」では

 誰であっても鼓舞されるはずない。

 

 この時、

 相手、つまり、その仲間が

 返信を「出来なかった」理由

 を考えたんですね。

 

 仲間は、

 わたしが仲間に対して怒ってるんじゃないか。

 壊したことで、嫌われたんじゃないか。

 そう思っているかもしれない。

 

 なんてことは何一つ考えず、

 仲間のことに目を向けずに

 「なんだよ」と思ってしまってたんです。

 

 「わたしのことが気に食わないってこと?」って、

 勝手に、自分を否定されたように、

 感じてしまっていた。

 

 

 その仲間こそ、

 否定されたように感じていたかもしれないのに。

 

 

 

 この時に、

 良い文章の定義、を思い出したんです。

 

 そして、

 仲間がどう考えるか、どう感じるか、

 に目を向けた。

 

 仲間が「怖がっている」だろう、と予測し

 「怒っていないし、嫌ってもいないよ」と、

 連絡をしたら、

 

 あっさり、反応が来た。

 弁償します、と。

 

 結局そこからは話がスムーズに進んで行って、

 解決に至ったんですけど。

 

 

 わたしがどうして、

 その仲間が「怖がっている」だろう

 と予測できたのかというと、

 

 共に過ごしていた時に、

 その仲間が人の顔色を窺って発言していたから。

 

 そして確かに、「自分だったら、」と考えてみると、

 先程、否定されたように感じていたかも、

 と思うのと同じように

 

 「怒っているかも」、と怖がるだろうから。

 

 

 これは、わたしが

 「いい文章」の定義を体現するために

 届ける相手のことを考える、

 ということの必要性を痛感した

 とても大切な経験でした。

 

 

 この経験でわたしは、

 「良い文章」を体現するために、

 「小説」以外の要素を

 初めて取り入れたんです。

 

 ただ単に「良い表現をする」だけでは

 辿り着けないステージを

 認識することができました。

 

 

 つまり、

 「相手の気持ち」という変動する要素を

 「わからない」と切り捨てず、

 相手の行動、表情、仕草、視線、

 などを根拠にして、

 

 良い文章、を体現するための「予測」をした

 ということ。

 

 

 もちろん、

 気持ちを入れ替えたからと言って、

 すぐに結果が出るわけではありません。

 

 まだ、

 「相手の気持ち」はわからないことばかり。

 根拠が足りなくて、誤った認識をして、

 「予測」に失敗したこともあります。

 

 でも、

 繰り返し、繰り返し、予測を立てていく。

 

 「こうかも」

 「こう思ってるかも」

 「これじゃダメかも」

 「これならいけるかも」

 全部、根拠を付けて。

 

 

 まだ、検証の途中。

 いつまでもきっと、

 証明終了QEDすることはなくて、

 

 ずっとずっと、検証し続けていく。

 

 

 それでも、

 予測を立てていくことが、

 「相手の気持ち」という変動する要素を

 限りなく定数にしていくことが、

 行動していくことが、

 

 自分の想いが届く、

 「気持ちいい日常」を

 手に入れることに繋がるのです。

 

 

 少しだけ、日常に変化がありました。

 「相手の気持ち」を予測して

 言葉を紡ぐ、会話をすることが、

 少しですができるようになったことで、

 

 「気持ちを吐露し合える仲」

 になりやすくなったことです。

 

 自分が、相手が、

 互いに貼っていた「バリア」の層が、

 少しだけ、薄くなった気がしています。

 

 

 つまり、

 というには、まだまだですが、

 自分に対する覚悟、

 も踏まえて言わせてください。

 

 

 自分の文章に酔いしれて、

 自己満足だった頃の「空気読めない私」から、

 気持ちを吐露し合えるような

 「相手の心に寄り添える自分」に、

 変化している、ということなんです。

 

 

 つまりは、

 気持ちいい日常を

 「小説以外」でも

 体現することができたわけです。

 

 それまでは、

 小説を書いている瞬間じゃないと

 自分は存在価値がなく、

 他者の前で自由に振る舞えない

 と感じていたけど、

 

 実際には、

 「人の心」という変動する要素を

 「わからない」と切り捨てて、

 「運任せ」で、「相手任せ」で

 人と付き合っていたから、

 そうなってしまっていたんだ、

 と気づくことができました。

 

 

変動要素が未来を決める

 

 わたしが日常生活で、 

 「人の心」という変動する要素を 

 盛り込んで予測を立てながら、

 文章や、会話を構築することで

 気付いたことがあります。

 

 それは、「全ては小説だな」と言うこと。

 

 

 小説も日常会話も

 抽象的に見れば、

 

 「自分の心を相手に届ける」

 ということであり、

 

 「相手が受け取りたくなる表現」であれば、

 相手は喜ぶし、行動してくれるわけです。

 

 

 そう考えると

 絵でも、

 音楽でも、

 スポーツでも、

 ダンスでも、

 料理でも、

 子育てでも、

 

 相手の心を予測して、表現することで、

 「自分の心を届けて、

 相手が喜び、

 行動しちゃう」なら、

 

 全てが「小説と一緒だな」と

 捉えるようになりました。

 

 わたしは今、

 このブログで文章を書いていますが、

 

 これがまさに、「小説」だな、と感じています。

 なぜなら、

 この文章を読んでいるあなたに、

 わたしの価値観が、考えが届いて、

 ここまで読み進めてくれているから。

 

 

 これってつまり、

 「自分の心を届けて、

 相手が喜び、行動しちゃう」小説

 のこと、ですよね。

 

 自分の表現が相手の心に届くように

 相手の気持ちを、相手の心の動きを「予測」するから、

 

 「相手が喜んで受け取る」という実際の結果を

 予測通りにもたらせるようになるんです。

 

 

 日常すべてで、これが体現できれば、

 仕事も

 プライベートも

 人間関係も

 全部、

 24時間の全てで常に、

 「気持ちいい」時間を

 過ごすことが出来る、ということです。

 

 

 今回は、

 わたしの「小説」を中心に、

 「予測と実際のギャップ」を

 埋められない理由について

 お届けしました。

 

 

 今回の「予測」するべき「変動する要素」は、

 人の心でしたが、

 相手が自然だったら、少し話が変わります。

 

 例えば、

 農業や釣りなど、です。

 

 釣りならば、

 「魚の行動」という変動する要素を盛り込んで

 予測を立てないといけません。

 

 例えば、

 天気

 潮の流れ

 釣れる場所

 などですね。

   

 でも実際には、

 魚の行動を変動させる要素って

 他にもあります。

 

 海に残留する餌を使った、

 釣りをする人の存在。

 海のゴミの存在。

 川から流れる水質を左右する

 近隣の山々の環境。

 その土地で農業している人の

 「農薬」の有無。

 太陰暦。

 月の満ち欠け。

 などなど

 

 

 視野を広げることで、

 魚の行動を変動させる要素って見えてきます。

 

 さらに量子力学的なところを言えば、

 水の波動

 狙った魚が発する音波

 土地に住む人の精神状態

 などなど

 

 

 視点を深めることでも、

 魚の行動を変動させる要素って

 いろいろあるわけであり、

 

 これら全てが

 「魚の行動を予測するために必要な情報」

 と言えるわけです。

 

 これは、農作物を収穫する時の

 「食物の変動する要素」でも同じことだし、

 

 抽象的に見れば、

 「人の心」もまた、

 似たような要素で変動するわけです。

 

 

 わたしがお伝えしたかったのは、

 「予測」を立てて、

 気持ちいい日常を手に入れるには、

 

 予測のために、

 「全ての情報」を掴みに行く覚悟であり、

 その「全て」の精度を、

 「完璧と言えるレベル」に

 磨き上げていく必要があるということ。

 

 

 なぜなら、

 情報の精度が、予測の精度


 つまりは、

 「気持ちいい」と言える未来の精度に直

 結するからです。

 

 

 とはいえ、

 それを感じ取ることが出来ても、

 「わかった」と思っても、

 行動に移せないのが、我々人間です。

 

 次回の記事では、

 なぜ、予測を立てるための全ての情報を

 得ることができないのか?

 

 ということについて、話を進めていきます。

 

 

 結局、

 予測の精度を上げるために必要な情報、を

 得ようとしていないことが、

 

 予測の精度を担保することが出来ずに、

 ただの「予想」になっちゃってる原因、なわけです。

 

 でも、そもそもとして、

 「情報を得ようとすることすらできない要素」

 があるわけです。

 

 その要素がわかれば、

 なぜ、

 自分が「予想」程度の情報収集で

 「これでバッチリ」と感じてしまうのか

 

 の原因がわかります。

 

 

 その原因がわかれば、

 予測の精度を高められる自分を手

 に入れることができるわけです。

 

 次回の記事はこちら↓↓

 

 

 

 

P.S.

 

 わたし、ちぇりが伝えたい、

 「気持ちいい日常」を創り上げるために

 必要な要素、を

 詰め込んだ記事を作成しました。

 

 より深く理解したい方は、

 他の記事も是非、読み進めてくださいね。

 

 わたしがこれまでの人生で

 失敗したことや発見したこと、

 わたしが今の視点で過ごすからこそ

 見つけられることを、

 ふんだんに盛り込んで、

 「気持ちいい日常創り」に

 必要なことをお届けしています。

 

「これがわたしだ」と誇れる、24時間365日

 1記事目:こだわりを、未知の分野に迎えに行く

 2記事目:自分で自分を諦めてた

 3記事目:一切、妥協しないことが「当たり前」

 

予想ではなく予測できて初めて、スタートライン

 1記事目:「知ってること」の殻を破る

 2記事目:願っていても、全ては揃わない ≪本記事≫

 3記事目:自分で背負う。全部。

 

個人で習慣。複数人で文化。未来を創るなら?

 1記事目:才能、利便性は、むしろ邪魔

 2記事目:本音を届けるタイミング

 3記事目:「かっこいい大人」としての「生き方の背中」

 

 

 

 この物語を紡ぐ語り手はわたし、ちぇり。

 

 わたし自身が、

 最高の空間と、

 最高の仲間と、

 最高の自分を創る、

 独創的な創作品に他ならない。

 

 思い出して。

 わたしたちは、何だってできたこと。

 何にだって、なれたこと。

 Remenber the Wizard.

 今こそ、こころがわくわくする方向へ。

 

 

 ここまで読み進めてくれた、あなたに感謝を。

 Follow your heart!!