借り物の言葉じゃ、トべない。
誰にも支配されず、 誰にも媚びることなく、 ただ「自分」をまっすぐ貫き、 ただ一人の人間として、強く在る。 ヒプノシスマイク、中王区言の葉党の『Femme Fatale』にて 無事、中王区堕ちしました。 ちぇりです。 気品も色気も可愛さも、「女性らしい」と評される全部を持っていて、 でもそれを誰に誇示するわけでも、誰に媚びるわけでもなく。 自分自身が胸張って「乙女」を生きる中王区の女性たち。 めちゃめちゃカッコイイですよね…!! 堂々としてていいし、好きなことやっていい。 消費されるためでも、 鑑賞されるためでも、 守られるためでも、 蔑まれるためでもなく、 ただ、自分のために。 「自分の力で」革命を起こしていいんだ。 性別に関係なく、強く生きていいんだ、って、 力強く歌ってくれてるような気がします。 ヒプノシスマイクとは、 声優さんがキャラクターに扮してラップを行う、音楽CDコンテンツです。 武力による戦争が根絶され、女性が覇権を握るようになった世界で、 武器の代わりに「言葉」を使ったラップでテリトリーバトルを繰り広げる、 という物語。 声優さんがラップ?と侮るなかれ。 びっくりするほど高クオリティです。 今回の記事では、 ヒプノシスマイク中王区の女性たちに心惹かれてしまうのはなんでか? という切り口で、話をしていきたいと思います。日常が、自分が、「最高」「理想」の状態じゃない 「最高」「理想」と言える日常って、 どんな日常を想像しますか? わたしは、 依存ではなく、 幼馴染や同級生のように、 「素の自分」を受け入れて力を貸してくれて、 自分も全力で力を貸したい、 そんな関係性を築けている相手と リアルの空間を共にしていること、 だと思うんです。 つまり、中王区の女性たちの姿そのままかな、と。 もし、 「最高」で「理想」の日常を過ごせているのだとしたら、 日常に不満もないし、 「何かが違う」と感じることもないし、 誰かを羨ましがることもないし、 自分を隠すこともない。 わたしばかり家事をやってるけど、 どうして手伝ってくれないんだろう、とか 部活や委員会、職場のみんなが盛り上がっているのを見て、 「なんか居場所がないなー」って思ったり、とか こんな世界に生きれたら、こんなキャラクターで生きれたら、と 憧れて夢者になったり、とか 土日は何をやってるの?って聞かれて、 ひたすら漫画読んだりアニメ見たりしてることを隠したがったり、とか もし、「最高」で「理想」の日常を過ごせているのだとしたら、 しないわけです。 心当たりはないですか? わたしには、身に覚えがありすぎます。 どうしてそう思ってしまうのか。 どうして、不満や違和感、羨望や羞恥を感じるのか。 その原因は、 「最高」「理想」の日常と、今・現在の日常が乖離していることにあります。 「こうあって欲しい」のに、そうじゃない。 「こうありたい」のに、できない。 その気持ちが、 不満 違和感 羨望 羞恥 として顕在化するわけです。 つまり、中王区の女性たちに憧れる、ってことは、 今の自分は、周りを気にせず「自分のために生きるカッコイイ人」、に なれていないということなんです。 「自分のために」生きれればカッコイイ。 みんな頭ではわかってるし、 そのためにどうしたらいいかって、 これまでもたくさん考えてきているはずです。 だって、「自分のために」生きて、幸せになりたいもん。 でも出来ない。 じゃあ幸せになるために、 多くの人はどんなことをやっちゃってるのでしょうか。仮面を被って、「素の自分」の防衛をする 他者と相対するときの自分って、どんな自分ですか? 「素の自分」ですか? それとも、 「仮面を被った自分」ですか? 相対する相手がどんな人か。 それによって、「自分」の姿って変わると思うんです。 対後輩用の自分 対先輩用の自分 対同期用の自分 対親用の自分 対子供用の自分 対恋人用の自分 対同性用の自分 対異性用の自分 : 相対する相手によって、 自分が振舞うキャラクター、役割、が異なっていませんか? 気に入ってもらえるように。 認められるように。 否定されないように。 傷付かないように。 キャラクターを作って、役割だ、と言い聞かせて。 否定されたとしても それは「自分」じゃない。 自分が演じてるキャラクターだ。 まず、そうやって自分に言い聞かせるわけです。 なぜかって、 「素の自分」じゃ認めてもらえないから 「素の自分」じゃ受け入れてもらえないから 「素の自分」を否定されたら心が折れるから そう思っているからです。 だから何重にも仮面を被って、 間違っても「素の自分」にダメージが行かないように、 防衛するのです。 常に、他者と比較・競争する、されちゃう世界だから。 比較・競争する対象は、 見た目かもしれないし 収入かもしれないし 学歴かもしれないし 地位・名声かもしれない。 いやいや、そんなことないよ。 わたしは他者と比較・競争なんてしないよ。 そう思うかもしれません。 でも、ですね。 FacebookだったりInstagramのSNS。 あの子よりわたしの方がカワイイ、モテる 毎年海外旅行に行くだけの財力がある 駅チカ築浅のブランドマンションに住める収入がある 難関な試験を突破しないとなれない職業についてる 有名大学出身である これだけの額を稼いだ 自分の功績が、名前がバズった 有名企業の社長と、いつでも連絡を取れる仲だ これが全部、 他者と比較・競争していること、になるわけです。 自分が意図して比較・競争しようとしなくても、 他者による比較・競争に巻き込まれることもあります。 もちろん、他者と比較する事が悪いわけではありません。 だって、楽しかったことは記録として残したいし、 「イイね」が増えたら嬉しいですし。 ただ、他者から「イイね」と言われるために、 「素の自分」を隠して、仮面を被ってしまっている可能性があるよ、 ということをお伝えしたいわけです。「負けない」ように頑張るから、幸せが目減りする 他者から「イイね」と言われるために頑張るってことは、 比較・競争して、「負けない」ように闘うということです。 負けないように闘う。 その「なにくそ!」という気持ちって強い原動力になるし、 実際に実行していくわけなので、得られるものがたくさんあります。 ただ、これが常に、常態化していくと、 頑張って闘ってAさんに勝っても、 次はBさんに負けないように頑張る。 というエンドレスバトルに発展してしまうわけです。 人の動向に振り回されて、一生気が休まらない。 最初は「家の条件はバストイレが分かれていること」だけだったのに、 それに慣れてくると 独立洗面台が欲しくなって、 冷蔵庫を大きくしたくなって、 そしたら、もっと大きい部屋に住みたくなって、 ワンルーム、1Kじゃ足りなくなるように、 これまで目標にしていたことが当たり前になってしまうと、 比較・勝負の対象が次の層(レイヤー)に変わっていく。 だから、ずっと、 エンドレスで自分より「少し上」にいる人たちと 闘っていくことになるわけです。 どれだけ頑張っても、 どれだけ勝利を手にしても、 それでも終わらないバトル。 「負けない」ために闘うから、 「誰か」と比較・競争するために闘うから、 引き際がわからなくなってくるんです。 そもそもどうして 他者と比較・競争して、 誰かに勝つことが愉しい、 誰かに負けることが悔しい。 そんな構図になってしまってるんでしょうか。 学生のころから、なんにでも順位がついてたから? 小さいころから、○○ちゃんは、と比較されてたから? 世間が、「勝ち組」「負け組」と優劣を決めたから? まさにその通りで。 そもそも、資本主義という競争思想が、 「他社より価値ある人間でいないといけない」 と、わたしたちに擦り込んでいたわけです。 日本人が日本語をしゃべることに違和感を感じないくらい、 他者と比較・競争することも、日常に浸透しているのです。 優れていれば、「勝ち」を見つければ、喜び、 劣っていれば、「負け」を見つければ、「自分はダメだ…」と落ち込む。 競争で負ける自分は、 弱い ダサい 劣ってる そう、勝手に思い込んでしまっているわけです。 勝手に、他人と比較して、 自分で勝手に、「自分の幸せ」を目減りさせてしまっているんです。借り物の言葉であがくから、トべない 「幸せな日常」とは、 依存ではなく、 幼馴染や同級生のように、 「素の自分」を受け入れて力を貸してくれて、 自分も全力で力を貸したい、 そんな関係性を築けている相手と リアルの空間を共にしていること。 つまり、 誰にも支配されず、 誰にも媚びることなく、 ただ「自分」をまっすぐ貫き、 ただ一人の人間として、強く在る、 中王区の女性たちの姿そのまま、のこと。 なのに、 「素の自分」じゃ認めてもらえないから 「素の自分」じゃ受け入れてもらえないから 「素の自分」を否定されたら心が折れるから 仮面を被って、 他者と比較・競争しては、 優れていれば、「勝ち」を見つければ、喜び、 劣っていれば、「負け」を見つければ、「自分はダメだ…」と落ち込む。 自分「が」どうしたいか、ではなく、 周り「が」どうして欲しいと思っているのか、が、 思考、行動の軸になってしまっていませんか。 周り「が」どうして欲しいのか、を軸にしてしまうと、 どこを切り取っても「自分」を貫けないし、 「自分のために」生きることができないわけです。 周り「が」どうして欲しいと思っているのか、という『借り物の言葉』じゃ、 「自分のために」 トぶことなんて出来ない。 心惹かれた中王区の女性たちみたいに、 胸張って「自分」を生きたい。 そう感じてるなら、 『借り物の言葉』じゃなくて、 「自分の言葉」で、 「自分の強さ」を言霊に宿す。 ヒプノシスマイクがなくたって、 言霊に「自分の強さ」を宿して唄うことが、 依存ではなく、 幼馴染や同級生のように、 「素の自分」を受け入れて力を貸してくれて、 自分も全力で力を貸したい、 そんな関係性を築けている相手と リアルの空間を共にしている、 「幸せな日常」を手に入れる、第一歩です。 ここまで、ヒプノシスマイクを題材に 中王区の女性たちに心惹かれてしまうのはなぜか、を話してきました。 間違いなく「カッコイイ」と思えるので、 是非とも『Femme Fatale』、聴いてみていただきたいです! https://www.youtube.com/watch?v=FcoQUKe9Q90Follow your heart. / Chi*eri