毛沢東の「冒進」を諭す実務派官僚「実権派」との軋蝶は、不可避であった。現実的基盤を欠いたユートピア思想は、それが見果てぬ夢であるがゆえに、これを現実に引きもどそうとするもうひとつの社会的勢力を恒常的に生みつづけたのである。毛沢東には、このもうひとつの社会的勢力「実権派」は己れに刃向かう「階級敵」としてしか映じなかったのであり、それゆえ毛沢東にとって階級闘争はほとんど恒常的であり、またそれをみずからよしとしてきたのであった。毛沢東のこの階級敵との闘争が、「整風運動」であり、「反右派闘争」であり、「廬山会議」であり、そしてなによりも「プロレタリア文化大革命」であり、つまりは建国後の毛沢東の政治的エネルギーのほとんどすべてが、毛流の階級闘争のためについやされてきた。
郵の現実主義は他の指導者のいずれに比較してもいっそう徹底したものであった。この現実主義は、これを追求すればするほど当の社会主義それ自体がすっかり「脱色」してしまい、はたしてこれがほんとうに「社会主義」なのかといぶからざるをえないまでに、「後退」してしまうほどのものであった。郵小平のイメージしている社会主義は、もういちどいえば「生産力主義」である。「社会主義を建設するには、かならず生産力を発展させなければなりません。貧困 は社会主義ではありません。われわれは当然、社会主義を堅持します。だが、資本主義よりも優位性をもつ社会主義の建設をさらに一歩進めるためには、なによりもまず、貧困からぬけだすことができる社会を建設しなければなりません。