戦時金融体制のなかで中心的な役割を果たしたのは、日本興業銀行をはじめとする特殊銀行である。一九三九年には、国家総動員法にもとづく「会社利益配当及資金融通令」が施行され、大蔵大臣が日本興業銀行に対して、融資などの命令ができることとなった。一九四〇年には、「銀行等資金運用令」が制定され、これによって、興銀以外の金融機関に対しても、融資などの命令が発せられることとなった。
他方で、企業の経営形態の変化も、金融制度の改革をうながした。配当制限を嫌って株式市場は低迷し、株式市場からの資金調達が困難になったからである。このため、従来は株式によって調達されていた長期資金を、間接金融システムで供給する必要性が強まった。一九四一年には、日本興業銀行を中心とした「時局共同融資団」が設立された。これが、戦後のメイン、。パンク制の始まりであるといわれる。一九四二年には、国家総動員法にもとづいて制定された「金融統制団体令」によって「全国金融統制会」が設立され、これによる共同融資が大規模になされた。
一九四二年には、戦時金融統制の最後の仕上げとして、「日本銀行法」が改正され、総力戦遂行のための金融統制体制が完成することとなった。これは、一九三九年に制定されたナチスードイツのライヒス、、パンク法をモデルとしたもので、きわめて統制色が強いものである。第二条「日本銀行ハ専ラ国家目的ノ達成ヲ使命トシテ運営セラルベシ」といった条文をみるだけで、それが明らかだ。この法律は、戦後長い期間にわたって存続した。それが改正されたのは、一九九五年のことである。
以上でみたような資金配分面での統制とともに、金融機関の整理統合も進められた。金融恐慌によって多くの銀行が休業に追い込まれ、金融システムの安定性に対する不安が強まったため、大蔵省は一九二七年に「銀行法」を制定した。ここには、免許制の導入、最低資本金などによる銀行基盤の強化、預金者保護のための監督権の強化(店舗増設の認可制等)が含まれていた。