工具マニアで困ってます -14ページ目

工具マニアで困ってます

営業職なのに工具大好きで、営業中にホームセンターに入り浸り・・・

このプロダクトーサイクルは本来、製品が市場に出てから衰退までを一つのサイクル(導入期・成長期・成熟期・衰退期)として考え、このサイクルの各局面を通じて国際分業パターンがどのように変化するかを論じるもので、アメリカのR・バーノン教授が一九六六年に発表した論文において提示されたといわれる。サイクルの各局面(時期)において、国際間の直接投資などを通じてその商品の生産技術が国際的に伝播し、労働豊富な発展途上諸国に比較優位が移行する可能性があるというのである。その際、発展途上国にそれなりの「社会的能力」とりわけ熟練労働力、企業経営能力、行政的能力がそなわっていることが重要視される。


しかしながら、この説だけでは必ずしもニックス化の要因を完全にとらえたとはいいきれない。インダストリアリズムの波及という発展史観に立つこの説は。「後発性利益」によって現代の発展途上国が「先進国」をモデルに単線的発展をなしとげられるとみているからである。もしそうであるならば、発展途上国の多くは、つぎからつぎにニックス化しても怪しくないはずであるが、なぜアジアの四ヵ国・地域にかぎってニックス化したのかが説明されないし。また、なぜ七〇年代に入って以降にニックス化したのかも説明できない。前述の「社会的能力」が、まさか七〇年代に入って急速に高まったわけでもあるまい。


ニックス化「成功」の要因について、いま一つの説は、社会組織編成の原理からとくアプローチ、すなわちアジアニックス化を儒教文化圏諸国・地域の発展とみる、いわばコンフューシヤニズムの倫理に求められる。韓国を含む儒教社会において、儒教が確固たる社会組織の編成原理を有しているものとみなされ、とりわけ「家族」内の倫理秩序を基礎に、「国家」というマクロ社会の上下秩序を築き上げるその「忠孝信義」の原理の貫徹によって、基層倫理と政治秩序が一体化され、君主を頂点におく天下国家観が樹立される。


こうした儒教社会において、「一君万民」という集権的中央政府、上下関係の強い社会秩序が定着し、文武百官を擁した官僚組織の広範な発達がみられる一方、他方ではそれに歩調を合せた儒教特有の「徳治主義」が民衆を教化し、「一君万民」の社会秩序を根底から支えていくことになる。中国の官僚制度のなかに、儒教的素養を無上のおもむきにした文官が「科挙」という手続きをふまえて。はじめて中枢の地位に定められることは、まさしく儒教の政治的転化であり、それに適応する社会組織編成原理に儒教がうまくインプットされた象徴的なシステムであると考えられるのである。


しかしながら、こうした社会組織編成原理としての儒教がニックス化とどういう因果関係にあるのかといえば、いまひとつはっきりしない。かつて比較社会経済史に大きな足跡を残したM・ウェーバー(一八六四―一九一九年)は、ピューリタニズム(清教徒主義)の倫理は現世に対して合理的に「構築」していく内在的条件を備えていたが、儒教の倫理は、むしろそれに対して自己禁欲的に「適合」していくことに価値観をおき、それゆえに儒教社会においては、原理的に近代資本主義の生成になじまない、という趣旨のことを述べたことがあった。それがいつのまにか逆説的にとられ、儒教社会が追求している価値は、権威主義ではなく経済の近代化にほかならないといわれるようになった。


強力な家族制に根をおろした儒教社会において、韓国では「財閥」の成功にみられるように、同族的経営の効串化をもたらし、また台湾では、科挙の伝統が教育を通じて出自を問わない社会的上昇のチャンネルを敷き、社会経済の活力を再生させるということで「古き皮袋にあたらしき酒を注ぐ」ものと再評価される。そして、シンガポールは「儒教社会主義者の資本主義国」、ホンコンは「中国的奇跡の国」(『脱アメリカの時代』ホクハインズ‥カルダー、日本放送出版協会、一九八二年)という評価も生まれている。


この説は、前の説すなわち「後発性利益」に比べて、儒教社会という条件から、対象となる国家・地域が限定され、さしずめアジアニックス(それに日本)に限っていi点で、それなりの適用範囲が狭められ、その意味で一歩前進といえるかも知れないが、しかし、それにしても、難点がある。一つは儒教圏以外のニックス化が近い将来において出現した場合、どういうふうに再説明をすればよいのか。


信用あるブランドは、新製品やサしビスが素晴らしいことを顧客に保証する。こうした保証は、まったく新しい製品カテゴリーをつくり、新しい競争の場をつくり出そうとしているときには、特に重要かもしれない。製品が革新的であればあるほど、顧客は安全策として過去に信頼できたブランドをますます求めるだろう。IBMが当時始まったばかりのパソコン事業で最初に成功したのは、混乱していた慎重な顧客にブランドの安全性を訴えたことによることが大きい。


オズボーンやケイプロ、そしてアップルコンピュータでさえも、IBMのブランド保証には勝てなかった。ブランドの保証は、品質と性能の保証としては、実際の製品保証よりも重要かもしれない。保証を求めて争いが起こる。顧客が納得してソニーやキヤノンやトヨタの商品を購入するのは、保証期間の長さからではなく、ブランドの意味する品質の確かさからである。


企業の顔である旗手ブランドの目標は単純である。他の商品やこれから出る商品を顧客に買いたいと思わせることである。キヤノンのコピー機を家に持っているだけでなく、キャノンの三五ミリカメラを二台、キヤノンの八ミリーカムコーダー、小型のキヤノン製電子タイプライター、そしてキャノン製ファクスを所有している人もいるかもしれない。別に家の中をキヤノンだらけにしようと決めたわけではないが、結果としてそうなってしまった。


購入決定時の選択肢にキヤノンが入っていたときはいつも、誰もが直感的に他のキャノン製品の信頼性、性能、価値を思い出したはずだ。そういった長所のお陰で、キャノンの製品を買うたびに、安心な買い物というだけでなく、賢い買い物のように思えるのである。生活のペースはどんどん早まり、そして人々の買い物は幾何級数的に複雑化しているので、キヤノンやソニーのような一流ブランドは、ものごとにせき立てられて混乱している消費者の意識の中で、品質と価値の象徴として記憶されるようになるのである。


企業は市場セグメント内のシェアを争うために、自社のブランドを細かく分けた。これがGMが多数のブランドを抱えている論理である。控えめなシボレーから最高級のキャデラックまで、各ブランドはある程度の収入とライフスタイルを持った消費者に合うようになっている。同じ論理展開で、フィリップスの経営者はかつて、イギリスで競合していて、しかも重なっているいくつかの自社のブランドについて、パイは初心者向けブラッド、フィリップスは中間から上級向けブランド、そしてグランディンクは最上級向けプレミアムーブランドであると説明していた。


日本企業の一流ブランドはかなりそれとは違った論理に基づいてつくられている。どんな価格帯であっても、最高の価値を約束するというのである。だから顧客はトヨタのカローラを一万一九〇〇ドル(一九九三年現在)で買っても、スープラを四万ドル以上も出して買っても、どちらでもそのクラスでは最高の車であることを期待する。ソニーのミ三アレビを二〇〇ドルで買おうとも、巨大なワイドスクリーンを六〇〇〇ドル出して買おうとも、革新的で美しい、持っていてうれしくなるような製品が期待されている。



〈アメリカ連邦政府によって法律により設置を義務付けられた倫理委員会(IRB)》一九六〇年代に、黒人を用いた梅毒の人体実験を取り上げたタスケジー事件など、患者の人権を無視した非倫理的な臨床実験がアメリカ社会の批判の対象となっていた折、ビーチャーという学者が一九六六年に「非倫理的な医学研究症例」についてアメリカの医学雑誌に報告論文を発表した。


これが引き金となり、アメリカ連邦政府から研究費助成を受ける、ヒトを対象とした研究については、「施設内研究審査委員会」(Institutional Review Board=IRB)が審査して、研究実施責任者として申請した者が「政府の定めた倫理基準ならびに法的規制に抵触しない義務」を順守していることを確認することが義務づけられたのである。そのため、各医系大学や研究所では、連邦政府から研究助成金を受けるためにはIRBを設置しなければならなくなったのである。この審査に合格すれば研究課題の実施は承認されるし、政府の定めた倫理基準あるいは法的規制に抵触していれば不合格となり、実施は承認されないのである。


この委員会では、委員の個人的な倫理的価値観によって判定するのではなく、政府の定めた倫理基準ならびに法的規制に抵触しているかどうかを判定する。したがうて、判定としては。「承認するかしないか」という形になる。政府からの研究助成金を管理することによって、ヒトを対象とした医学研究の倫理面を政府の監督下におく方式は、アメリカのみならず、カナダでもフランスでも行なわれているが、わが国にはそのような制度はない。


IRBの設置が義務づけられてからちょうど十年後の一九七六年に、アメリカのニュージャージー州の最高裁判所が、クインラン嬢に関する医療訴訟で「生命維持装置を取り外してよいかどうかを決定する前に、病院内の倫理委員会の意見を聴取するべきである」との判決を下した。ところが、その当時、まだ、病院内の倫理委員会はアメリカでも一般的ではなく、この判決は裁判所の認識不足を示していた。


しかし、興味深いことに、この判決を契機として、アメリカの病院では「病院内の倫理委員会」の在り方、役割、IRBとの関係などについての議論が起こり、病院内に自主的に種々の名称をつけた委員会が作られ始めたのである。一九八二年には、アメリカの病院にはほとんど「病院内の倫理委員会」が設置されていないに等しかったのに、その翌年の一九八三年にはワシントン特別区で全米病院倫理委員会大会が開催されたほど、急速に普及していった。