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工具マニアで困ってます

営業職なのに工具大好きで、営業中にホームセンターに入り浸り・・・

「共通支配下の取引等」と言うときの「共通支配下」とは、同一の企業(個人も含みます)に支配されている関係(いわゆる兄弟関係)または一方が他方を支配している関係(いわゆる親子関係)を言います。ただし、一時的な支配に過ぎない場合を除きます。一つの企業グループ内の当事会社同士の組織再編に関する会計処理では、「共通支配下の取引」と「少数株主との取引」があり、これらをまとめて「共通支配下の取引等」と呼びます。合併においては、企業結合の当事者、すなわち消滅会社の資産・負債の引継ぎを生じる取引の当事者は同一企業グループ内の会社同士ですので、合併自体は「共通支配下の取引」にあたります。消滅会社に少数株主がいる場合には、消滅会社の資産・負債について少数株主の持分に相当する部分を存続会社が合併対価と引換えに少数株主から取得するという側面を有します。このような少数株主持分の会計処理については、パーチェス法に準じて処理されます。


「共通支配下の取引等」を吸収合併に即して見ると、大きく分けて①グループの最上位の親会社による子会社の合併、②子会社による孫会社の合併(グループの最上位の親会社以外の親会社が存続会社となるものを指します)、③それ以外の合併(兄弟会社間の合併など)の三つがあります。これらの会計処理は、それぞれいくぶん異なりますので注意が必要です。最上位の親会社と子会社の合併の会計処理。例えば、最上位の親会社による子会社の合併のシンプルなケースについて見てみます。親会社は子会社の株式の70%を有しており、残りの30%は少数株主が保有しているとします。親会社が子会社(消滅会社)から引き継ぐ資産・負債の受入の会計処理は、合併の効力発生日の前日に付された適正な帳簿価額により計上します。


「適正な帳簿価額」と言うのは、一般に公正妥当と認められる企業会計の基準に準拠した帳簿価額を指し、消滅会社の会計処理や評価に誤りがある場合には、引継前に修正を行わなければならないという趣旨です。増加株主資本の計算については、親会社(存続会社)持分相当額と少数株主持分相当額とに分けて考えます。親会社持分相当額(70%分)については、自己の保有する子会社(消滅会社)株式(いわゆる抱合せ株式)について合併対価を割り当てるということはできませんので、対応する株主資本の増加はありません。資産・負債の受入価額合計のうち70%分相当額と、親会社がすでに保有していた子会社株式(抱合せ株式)の帳簿価額との差額を特別損益として計上し、損益計算書を通じて処理します。


少数株主持分相当額(30%分)は、資産・負債の受入価額合計のうち30%分相当額を少数株主に交付した合併対価によって取得したと考えることができ、いわゆる「取得」の企業結合(パーチェス法)に準じて処理します。すなわち、少数株主に合併対価としての株式を交付した部分について、株式の時価(取得原価)分だけ株主資本を増加させます。株主資本のうち、資本金・資本準備金・その他資本剰余金のいずれに振り分けるかは、合併契約において自由に定めることができます。「取得」の会計処理について述べたとおり、資本金・資本準備金の増加分をゼロと定めることにより、全額剰余金配当の原資に回すことができます。


また、少数株主に交付した合併対価の時価(取得原価)から、資産・負債の受入価額(簿価)合計のうち30%分相当額を控除した差額をのれんとして計上することになります。このように、グループ内再編としての合併であっても、一定の場合にはのれんが発生します。この場合の株主資本の変動分は、図表Ⅶ-2のとおりです。なお、右は同一企業グループ内の最上位にある親会社とその子会社との合併の場合の会計処理を示したものですが、最上位でない親会社とその子会社の合併(いわゆる子会社・孫会社間の合併)の場合には、少数株主持分相当額の取扱いが異なりますので、注意が必要です。



これは父親が子どもに対して絶対的な命令者として振舞うヨーロッパの社会を前提にした理論である。そのような親子関係の中では、父は子に対してマイナスのイメージをもって現れる存在となり、子は父に対して黙って従うか、敢然として戦うかしかなくなってしまう。それに対して、父親に肯定的なイメしシを見て、それを目標にして自我を形成する側面もあるということに着目する者がフロイト派の中にも現れた。たとえばローワルドは一九五一年に、男の子が幼いころから父親に対して肯定的なイメージを見て、それに積極的に同一化しようとし、それが自我の発達にとってきわめて重要であると述べている。また彼は男の子が母親から分離するさいに、子どもが母親に呑み込まれる危険の中に陥ったときに、子どもが母親に対抗する力を父親が与えるとも述べている。


すなわち父親は、男の子が自我形成以前の無構造な母子結合の中に沈みこんでいくのを阻止する役割を果たすというのである。これは後述するユング派の、とくにノイマンの捉え方とほとんど同じである。さらに一九七〇年代にE・アペリソが父親について詳細な研究を行い、とくに母親からの分離・個体化過程における父親の影響の重要性を明らかにした。マスターズ子どもセンターにおける四年間にわたる彼の観察によれば、父親に対するときと母親に対するときとでは、子どもの反応がはっきりと異なっていた。子どもは分化期になると、はっきりと父親に対して特別な関心を向けるようになり、練習期になると父親は最も魅力ある対象となる。幼児はある種の興奮、活力を父親に結びつけるようになり、探索活動の高まりに呼応してくれる存在であることが分かり、父親は母親とは異なる対象として好まれるようになる。それに対して母親のほうは、幼児が疲れを癒すためのホームペースとみなされるようになる。


自我の形成を、母からの分離、自立の問題としてとくに重要視したのがユング派の心理学者たちである。ユングのフロイトからの決別の書『変容の象徴』はまさにその問題を中心的テーマとしていたが、さらにこの問題を焦点にして掘り下げたのがE・ノイマンの『意識の起源史』である。ノイマンによれば、出来上がりつつある自我は絶えず母なるウロボロスの中に引き戻され、呑み込まれ、溶解してしまう危険にさらされている。この危険に対抗して、自我・意識の発達を促し守るのが男性性と父性である。


ヨーロッパでは母からの自立は「英雄の母殺し」(竜との戦い)としてイメージ化されることが多いが、その母殺しのイメージの中で、父なる存在が英雄を助ける場合が多く見られる。たとえばノイマンが最も典型的な英雄神話と呼んだペルセウスのメドゥーサ退治の図には、つねにヘルメスが「援助する男性」として共に描きこまれている。ここには母からの分離・自立を助ける父親的な存在が重要であるという認識がはっきりと見られる。母子共生の中にある子どもにとって、父は最初の対象であり、初めて出会う現実である。


母が安心してくつろげるふところ、要求を満たしてくれる味方であるとすれば、父は新しい刺激を与え、外の現実を体験させ、未知の冒険にさそい、好奇心をわきたたせ、興奮をもたらす存在である。とくに父親は外の現実を体験させるという重要な役割を担っている。野山に行くと、草にさわっただけでも手が切れるという現実、虫を握ると刺されたり噛まれたりするという体験、しかしさおっても危険でない虫もいるという体験、牛小屋や鳥小屋は臭いという体験、叩かれたり転んだりすると痛いという体験、山に登ったときのすがすがしい体験、自然の中で火や水を扱い道具を使うという体験など、いろいろな体験をしながら子どもは現実感覚を身につけていく。個々の体験が大切だと言うより、そういう体験の中から現実感覚を獲得することが大切なのである。


地域でバラバラに展開している各種のサービス事業者間の連絡・調整のための、利用者本人の代理人としてケアマネージャーの必要性も論議された。ちなみに、この研究会の検討段階では、要介護認定を含めた「ケアプランナー」としては、既存の「在宅介護支援センター」などを拡大強化することが想定されており、要介護認定機関としての「介護認定審査会」の設置などは論議されていなかった。また、認定機能を行政直轄とするか、民間に委ねるかは以後の検討課題として残されていた。


研究会による報告書が厚生大臣に提出された後、一九九五年以降になって、「要介護認定」とは、介護保険という社会保険制度において、利用者本人がこの制度の中で与えられる「権利の範囲を確定」することと位置づけられ、厚生省が全国共通標準化することになった。また、「ケアプラン作成」については、現場に権限が委譲され自由裁量化された。研究会の議論では、この両者―「要介護認定」と「ケアプラン作成」―を、制度概念としては分けて考えながらも、実際の運用においてはできるだけ一体化する、少なくともそのための基礎データの収集やニーズ評価手法を、一体化したものとして開発するという案が、かなりの段階まで検討された。


サービス利用者について、ニーズ判定とケアプラン作成は、一体化して評価することが可能ではないかと期待していたからである。本書の第四章で説明する、個別サービス申請者をグループ化し、そのグループごとに必要となる介護サービスの平均的な必要量を、ケアプランと切り離して推計学的に予測するという方法論は、研究会の議論では想定されていなかった。ニーズ評価とケアプランの一体化の方法としては、「高齢者ケアパッケージ方式」の導入が検討された。老人のプロフィールが与えられれば、必要な介護量とケアパッケージとが連動して分かるようになる、というのがその基本的な考え方であった。


個別のニーズに応じて必要なサービスを、総合的に「パッケージ」として提供するという原則は最終段階まで堅持されたが、紆余曲折をへて最終的には、要介護認定とケアプラッは概念的にも制度的にも分離という形になった(しかし、対象者ごとに標準化された有限な数のケアプランがありうるとしたら、まずなんらかの方法論でそのケアプランが決まり、次にそのための費用を保証する「要介護認定」があるべきだという発想は、今後も論議に値する課題である)。一九九四年八月末の合宿討論をふまえて、第五回研究会において、(一)新しい介護システムに関する基本理念について(二)サービス利用手続きの基本的しくみなどについて(三)包括的な地域ケアの構築についての三点についてのこれまでの議論が集約され、この時点で新しい社会システムである介護保険の骨格が固まったといえよう。


高齢者が自らの意思に基づき、サービスを選択し、決定することを基本とすべきである。そのために、高齢者に対し適切な情報提供と専門家によるサポートを行うシステムを整備する必要がある。一方、高齢者の状態からみて自己決定による契約に馴染まないようなケースについては、行政による関与も考慮すべきである。高齢者ができる限り住み慣れた家庭や地域において自立した生活を送れるよう、必要なサービスが社会的に提供されるべきである。家族同居の場合であっても、家族に過重な負担がかからぬよう、外部からのサービスが必要かつ十分に利用できるようにすることが重要である。