これは父親が子どもに対して絶対的な命令者として振舞うヨーロッパの社会を前提にした理論である。そのような親子関係の中では、父は子に対してマイナスのイメージをもって現れる存在となり、子は父に対して黙って従うか、敢然として戦うかしかなくなってしまう。それに対して、父親に肯定的なイメしシを見て、それを目標にして自我を形成する側面もあるということに着目する者がフロイト派の中にも現れた。たとえばローワルドは一九五一年に、男の子が幼いころから父親に対して肯定的なイメージを見て、それに積極的に同一化しようとし、それが自我の発達にとってきわめて重要であると述べている。また彼は男の子が母親から分離するさいに、子どもが母親に呑み込まれる危険の中に陥ったときに、子どもが母親に対抗する力を父親が与えるとも述べている。
すなわち父親は、男の子が自我形成以前の無構造な母子結合の中に沈みこんでいくのを阻止する役割を果たすというのである。これは後述するユング派の、とくにノイマンの捉え方とほとんど同じである。さらに一九七〇年代にE・アペリソが父親について詳細な研究を行い、とくに母親からの分離・個体化過程における父親の影響の重要性を明らかにした。マスターズ子どもセンターにおける四年間にわたる彼の観察によれば、父親に対するときと母親に対するときとでは、子どもの反応がはっきりと異なっていた。子どもは分化期になると、はっきりと父親に対して特別な関心を向けるようになり、練習期になると父親は最も魅力ある対象となる。幼児はある種の興奮、活力を父親に結びつけるようになり、探索活動の高まりに呼応してくれる存在であることが分かり、父親は母親とは異なる対象として好まれるようになる。それに対して母親のほうは、幼児が疲れを癒すためのホームペースとみなされるようになる。
自我の形成を、母からの分離、自立の問題としてとくに重要視したのがユング派の心理学者たちである。ユングのフロイトからの決別の書『変容の象徴』はまさにその問題を中心的テーマとしていたが、さらにこの問題を焦点にして掘り下げたのがE・ノイマンの『意識の起源史』である。ノイマンによれば、出来上がりつつある自我は絶えず母なるウロボロスの中に引き戻され、呑み込まれ、溶解してしまう危険にさらされている。この危険に対抗して、自我・意識の発達を促し守るのが男性性と父性である。
ヨーロッパでは母からの自立は「英雄の母殺し」(竜との戦い)としてイメージ化されることが多いが、その母殺しのイメージの中で、父なる存在が英雄を助ける場合が多く見られる。たとえばノイマンが最も典型的な英雄神話と呼んだペルセウスのメドゥーサ退治の図には、つねにヘルメスが「援助する男性」として共に描きこまれている。ここには母からの分離・自立を助ける父親的な存在が重要であるという認識がはっきりと見られる。母子共生の中にある子どもにとって、父は最初の対象であり、初めて出会う現実である。
母が安心してくつろげるふところ、要求を満たしてくれる味方であるとすれば、父は新しい刺激を与え、外の現実を体験させ、未知の冒険にさそい、好奇心をわきたたせ、興奮をもたらす存在である。とくに父親は外の現実を体験させるという重要な役割を担っている。野山に行くと、草にさわっただけでも手が切れるという現実、虫を握ると刺されたり噛まれたりするという体験、しかしさおっても危険でない虫もいるという体験、牛小屋や鳥小屋は臭いという体験、叩かれたり転んだりすると痛いという体験、山に登ったときのすがすがしい体験、自然の中で火や水を扱い道具を使うという体験など、いろいろな体験をしながら子どもは現実感覚を身につけていく。個々の体験が大切だと言うより、そういう体験の中から現実感覚を獲得することが大切なのである。