「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -65ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約76:17

「善を行った人々は正しい者の復活の時に、また悪を行った人々は正しくない者の復活の時に出て来るであろう。」

 

「神の御心への改心」2022年4月、クエンティン・L・クック、十二使徒定員会

ジョセフ・スミスの預言者としての数多くの役割の一つが,教義と聖約第76章に見られます。それは,栄えの王国を含む天の示現についての明確な記録です。預言者ジョセフとシドニー・リグドンが,祝福されて1832年2月16日に受けたものです。当時,大多数の教会は,救い主の贖罪はほとんどの人に救いを与えないと教えていました。救われるのは少数であり,大多数の人は,「最もすさまじい言語に絶する厳しさの」(フレデリック・W・ファーラー,Eternal Hope: Five Sermons Preached in Westminster Abbey, November, and December 1877 (1892年刊), xxii.)無窮の苦痛を含む,地獄(「hell」)と罰の定め(「damnation」)を受ける運命にあると,信じられていました。

 

第76章にある啓示は,栄光の階級についての輝かしい示現を伝えています。前世において勇敢であった天の御父の子供たちの大多数は,究極の裁きの後,そこで大いなる祝福を受けるのです。※1 その最も低い階級でさえ「人知ではとうてい計り知れない」教義と聖約76:89ものである,この3つの栄光の階級についての示現は,大多数の人は地獄と罰の定めを受ける運命にあるという,当時有力ではあったものの間違った教義に対する直接の反証です。

 

ジョセフ・スミスは当時まだ26歳で,大した教育も受けておらず,聖書の原文を成す古代の言語に接したことがほぼ皆無であったことを考えると,確かにジョセフは主の御手に使われる者でした。ジョセフは第76章17節で,ヨハネによる福音書で用いられた「damnation」(「さばきを受ける」)という言葉の代わりに 「unjust」(「正しくない」)という言葉を使うよう霊感を受けています。ヨハネ5:29参照)

 

その45年後,聖公会の指導者であり,高い教育を受けた古典学者であり,※2 The Life of Christ(『キリストの生涯』)の著者でもある(See Frederic W. Farrar, The Life of Christ (1874))フレデリック・W・ファーラーが,欽定訳聖書の中のdamnation〔訳注:口語訳聖書では「さばきを受ける」と訳出〕という言葉は,ヘブライ語とギリシャ語から英語に翻訳する際の誤訳の結果であると強く主張しているのは,興味深いことです。※3

 

現在,多くの人が,罪の結果などあり得ないという考えを受け入れ,悔い改めなくても罪は無条件に容赦されることを支持しています。わたしたちの啓示された教義は,大多数の人が永遠の地獄と罰の定めを宣告されるという考えを否定しているだけでなく,救い主の贖罪にあずかって日の栄えの王国を受け継ぐには,個人の悔い改めが前提条件であることも立証しています。(悔い改めと贖罪の関係については,教義と聖約19:15-18,20に述べられています。さらに,無窮の罰については,教義と聖約19:10-12で明確にされています。)ジョセフ・スミスは,まことに主の御手に使われる者であって,主の福音の回復をもたらしたことを,わたしは証します。

 

※1 その示現には,現世でキリストについて学んでいない人々や,責任を負う年齢以前に亡くなる子供たち,理解力のない人々が含まれます。

※2 ファーラーは,ロンドンのキングス・カレッジとケンブリッジのトリニティ・カレッジで教育を受けました。そして,イングランド国教会(聖公会)聖職者,ウェストミンスター寺院の大執事,カンタベリー大聖堂の主任司祭,王室の牧師を務めました。

※3 Farrar, Eternal Hope, xxxvi–xxxvii参照。フレデリック・ファーラーは,“damnation”(罰の定め)と“hell”(地獄)についての教えを正さざるを得ないと感じました。そして,「簡潔で,明白で,議論の余地のない事実……」と呼んだものを力強く宣言しました。「‘to damn’(「罰に定める」)という動詞とその同族語は,旧約聖書に一度も出てきません。このような意味を伝える言葉は,ギリシャ語新約聖書の中にありません。」さらに,“damnation”という言葉は「ひどい誤訳であり,……主の言葉のほんとうの意味を曲解,また曖昧にしている」と説明しています(Eternal Hope, xxxvii)。ファーラーはまた,天の御父が愛に満ちた御方であられることが,聖典を通して圧倒的に示されており,そのことが英語の翻訳で用いられているhelldamnationの定義が不正確であることのさらなる証拠であるとも指摘しています(Eternal Hope, xiv–xv, xxxiv, 93参照。クエンティン・L・クック「御父の計画─すべての子供たちを救う壮大なもの」『リアホナ』2009年5月,36も参照)。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約76:12-13

神にかかわる事柄を目にし理解できるように、御霊の力によってわたしたちの目は開かれ、わたしたちの理解に光が注がれた。

それらの事柄は、世界が存在する前に初めからあったこと、まことに初めから御父の懐におられた御父の独り子を通して御父によって定められたことである。

 

「堅固な土台」2002年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会

この教会は永遠の真理の原則という、独特な岩盤の上に築かれています。兄弟姉妹、わたしたちが携わっている聖なる大義は1820年にニューヨーク州で始まったのではありません。ベッレヘムで始まったのでもありません。エデンの園で始まったのでもありません。永遠の福音の土台が築かれたのは、世界が創造される以前のことでした。

 

この事実は聖文の中で繰り返し確認されています。わたしは地球が創造される以前の永遠について扱っている聖文を研究してきました。心配しないでください。それらの聖文をすべて引用するつもりはありません。しかし、この話が印刷物となる時点では、その中から一部の聖句を付録に添えるつもりです。これらの目に見えない、永遠の真理は「前世から存在する柱」であって、この教会の土台を支えています。

 

救いの計画が備えられたのは地の基が築かれる前のことでした。1ニーファイ10:18モーサヤ15:19アルマ12:25、3018:3922:13-1442:26教義と聖約76:12-13参照)その計画には神の王国を受け継ぐ栄えある可能性が含まれていました。(昔の人々に対して主はこう言われた。「わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。」(マタイ25:34)古代アメリカの人々はまた、こう教えられた。「イスラエルの聖者を信じてきた者たち〔は〕世の初めから彼らのために用意された神の王国を受け継ぐ。」(2ニーファイ9:18エテル4:19も参照))

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約76:5-10

「主はこのように言う。すなわち、主なるわたしは、わたしを畏れる者に憐れみ深くかつ恵み深く、また最後まで義をもって真理にかなってわたしに仕える者に誉れを与えるのを喜びとする。

彼らの受ける報いは大きく、彼らの栄光は永遠である。

わたしは彼らにすべての奥義を、すなわち昔から隠されていたわたしの王国のすべての奥義を明らかにし、また来るべき時代におけるわたしの王国に関するすべてのことについても、わたしの思いのよしとするところを彼らに知らせよう。

まことに、永遠の驚異さえも、彼らは知るであろう。また、わたしは来るべきこと、多くの時代のことさえも彼らに示そう。

彼らの知恵は大いなるものとなり、彼らの理解は天に達する。彼らの前で知者の知恵は滅び、賢者の理解も無に帰する。

わたしは、わたしの御霊によって彼らに光を注ぎ、またわたしの力によってわたしのひそかな思い、すなわち、目が見ず、耳が聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったそれらの事柄を彼らに知らせるからである。」

 

「信仰によって歩む」2002年4月、ゴードン・B・ヒンクレー大管長

信仰はこの業を強める基本要素です。世界中でこの教会が設立されている所ならどこでも、このことは明らかです。一つの国や国民、言語や民族に限ったことではありません。どこでもそうです。わたしたちは信仰の民です。わたしたちは信仰をもって歩みます。永遠の旅路を一歩一歩前進するのです。

 

世界中の忠実な人々への主の約束は偉大なものです。主は言われました。

 

「主なるわたしは、わたしを畏おそれる者に憐あわれみ深くかつ恵み深く、また最後まで義をもって真理にかなってわたしに仕える者に誉れを与えるのを喜びとする。

 

彼らの受ける報いは大きく、彼らの栄光は永遠である。

 

わたしは彼らにすべての奥義を、すなわち昔から隠されていたわたしの王国のすべての奥義を明らかにし、また来るべき時代……のことについて… …

 

まことに、永遠の驚異さえも、彼らは知るであろう。… …

 

彼らの知恵は大いなるものとなり、彼らの理解は天に達する。彼らの前で知者の知恵は滅び、賢者の理解も無に帰する。

 

わたしは、わたしの御霊によって彼らに光を注ぎ、またわたしの力によってわたしのひそかな思い、すなわち、目が見ず、耳が聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったそれらの事柄を彼らに知らせるからである。」(教義と聖約76:5-10)

 

これ以上を求めることができるでしょうか。わたしたちが携わっているこの業は何と栄えある業でしょうか。主の御前に信仰をもって歩むわたしたちにとって、全能者の方法は何と驚くべきものでしょうか。

 

求道者の信仰とは、赤々と燃える炎の中に投げ入れる若木のようなものです。炎に暖められ、木は乾燥し燃え始めます。しかし、炎の中から抜き取ると、木は自らの状態を維持することはできません。揺らめく炎は消えてしまいます。でも、炎の中に置いておけば、次第に明るく燃え始めます。やがてそれは、燃え立つ炎の一部となり、ほかの若木を燃え立たせるのです。

 

兄弟姉妹、これまで述べたように、この偉大な信仰の業は広い地球の各地に住む人々を奮い立たせます。そして、主の道をさらに深く理解させ、主の方法に従うことによってさらに大きな幸福に至らせるのです。

 

神の子どもとしてわたしたちが信仰によって歩むとき、永遠の父なる神がこれからもこの神の王国の業を認めてくださり、業が発展しますように。主イエス・キリストの御名によりへりくだり祈ります。アーメン

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)