「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -64ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約76:24

彼によって、彼を通じて、彼から、もろもろの世界が現在創造され、また過去に創造された。そして、それらに住む者は神のもとに生まれた息子や娘となる」と。

 

「キリストの言葉と聖霊はわたしたちを真理に導く」2024年10月、和田貴志、七十人

神は天の御父であられます。使徒17:29ローマ8:16へブル12:9教義と聖約76:24参照)わたしたちは御父の霊の子であり,神のかたちにかたどって造られました。創世1:26-27モーセ2:27参照)ですから,神の子として,わたしたち一人一人には神のようになる神聖な可能性があります。

 

この世に来る前,わたしたちは霊として神とともに住んでいました。エレミヤ1:5教義と聖約93:23アブラハム3:22-23参照)霊の親として,天の御父はわたしたちを愛し,わたしたちにいちばん良いものを与えたいと望まれ,最もすばらしい祝福である不死不滅と永遠の命をわたしたちが得るための計画を備えられました。教義と聖約14:7モーセ1:39アブラハム3:24-27参照)そして,わたしたちには御父の計画を自ら選ぶことのできる,選択の力が与えられています。2ニーファイ2:27モーセ7:32参照)わたしたちは神の御前を去るときに,前世の記憶を忘れ,この地上で骨肉の身体を得て,自らの経験で,信仰を養います。アブラハム3:25参照)わたしたちは,生まれながらの人として,誘惑に負け,清い状態ではなくなり,神から遠のき,神の聖なる御前に帰ることができなくなります。しかし,御父は無限の愛により,長子イエス・キリストを救い主として送られました。贖いという犠牲により,イエス・キリストはわたしたちが罪から救われ,復活し,永遠の命を受けることができるようにしてくださったのです。1ペテロ1:19-20黙示13:8モーセ4:2アブラハム3:27『わたしの福音を宣べ伝えなさい—イエス・キリストの福音を分かち合うためのガイド』50;『総合手引き―末日聖徒イエス・キリスト教会における奉仕』1.1,「福音ライブラリー」参照)

 

わたしたちが御父の救いの計画,憐れみの計画,偉大な幸福の計画と呼ぶ,その神聖な真理に深く感謝しています。この重要な真理を学ぶことにより,自分が何者なのかについて,また昇栄と永遠の命という神が備えてくださった大いなる祝福について知ることができました。預言者ニーファイがその方法を教えています。「さて,……キリストの言葉をよく味わ〔いなさい〕。見よ,キリストの言葉はあなたがたがなすべきことをすべて告げるからである。」2ニーファイ32:3続けてこう述べています。「あなたがたがその道によって入り,聖霊を受けるならば,聖霊は,あなたがたがなすべきことをすべてあなたがたに示されるであろう。」2ニーファイ32:5

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約76:20,22

そして、わたしたちは御父の右に御子の栄光を見、その完全を受けた。

そして今、小羊についてなされてきた多くの証の後、わたしたちが最後に小羊についてなす証はこれである。すなわち、「小羊は生きておられる。」

 

「そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ」(英文)1999年4月、ゴードン・B・ヒンクレー大管長

主は復活後、西半球の人々に御姿を現されました。主が天の雲から降られたとき、このように厳かに宣言する永遠の父なる神の御声が再び聞こえました。「わたしの愛する子を見なさい。わたしの心にかなう者である。わたしは彼によって、わたしの名に栄光を加えた。彼に聞きなさい」3ニーファイ11:7

 

主はここでもまた、主の御名と神の御子であることを証する十二使徒を召されました。主はパレスチナでされたように、人々を教え、祝福し、癒しを与えられました。人々は主の教えに従って生活したために、それからの200年間平和が続きました。

 

もしこれらすべての事実をもってしてもまだ十分でないならば、この神権時代の偉大な預言者ジョセフ・スミスの明白で、疑う余地のない証があります。少年ジョセフは森に入り、光と知識を求めて祈りました。筆紙に尽くし難い輝きと栄光を持つ二人の御方がジョセフに現れ、空中に立たれました。そのうちの御一方が彼に語りかけ、彼の「名を呼び、別の御方を指して、『これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい』と言われた」のですジョセフ・スミス—歴史1:17

 

このジョセフは後になって、このように宣言しました。「そして、わたしたちは御父の右に御子の栄光を見、その完全を受けた。…そして今、小羊についてなされてきた多くの証の後、わたしたちが最後に小羊についてなす証はこれである。すなわち、『小羊は生きておられる』」教義と聖約76:20,22

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約76:17

「善を行った人々は正しい者の復活の時に、また悪を行った人々は正しくない者の復活の時に出て来るであろう。」

 

「神の御心への改心」2022年4月、クエンティン・L・クック、十二使徒定員会

ジョセフ・スミスの預言者としての数多くの役割の一つが,教義と聖約第76章に見られます。それは,栄えの王国を含む天の示現についての明確な記録です。預言者ジョセフとシドニー・リグドンが,祝福されて1832年2月16日に受けたものです。当時,大多数の教会は,救い主の贖罪はほとんどの人に救いを与えないと教えていました。救われるのは少数であり,大多数の人は,「最もすさまじい言語に絶する厳しさの」(フレデリック・W・ファーラー,Eternal Hope: Five Sermons Preached in Westminster Abbey, November, and December 1877 (1892年刊), xxii.)無窮の苦痛を含む,地獄(「hell」)と罰の定め(「damnation」)を受ける運命にあると,信じられていました。

 

第76章にある啓示は,栄光の階級についての輝かしい示現を伝えています。前世において勇敢であった天の御父の子供たちの大多数は,究極の裁きの後,そこで大いなる祝福を受けるのです。※1 その最も低い階級でさえ「人知ではとうてい計り知れない」教義と聖約76:89ものである,この3つの栄光の階級についての示現は,大多数の人は地獄と罰の定めを受ける運命にあるという,当時有力ではあったものの間違った教義に対する直接の反証です。

 

ジョセフ・スミスは当時まだ26歳で,大した教育も受けておらず,聖書の原文を成す古代の言語に接したことがほぼ皆無であったことを考えると,確かにジョセフは主の御手に使われる者でした。ジョセフは第76章17節で,ヨハネによる福音書で用いられた「damnation」(「さばきを受ける」)という言葉の代わりに 「unjust」(「正しくない」)という言葉を使うよう霊感を受けています。ヨハネ5:29参照)

 

その45年後,聖公会の指導者であり,高い教育を受けた古典学者であり,※2 The Life of Christ(『キリストの生涯』)の著者でもある(See Frederic W. Farrar, The Life of Christ (1874))フレデリック・W・ファーラーが,欽定訳聖書の中のdamnation〔訳注:口語訳聖書では「さばきを受ける」と訳出〕という言葉は,ヘブライ語とギリシャ語から英語に翻訳する際の誤訳の結果であると強く主張しているのは,興味深いことです。※3

 

現在,多くの人が,罪の結果などあり得ないという考えを受け入れ,悔い改めなくても罪は無条件に容赦されることを支持しています。わたしたちの啓示された教義は,大多数の人が永遠の地獄と罰の定めを宣告されるという考えを否定しているだけでなく,救い主の贖罪にあずかって日の栄えの王国を受け継ぐには,個人の悔い改めが前提条件であることも立証しています。(悔い改めと贖罪の関係については,教義と聖約19:15-18,20に述べられています。さらに,無窮の罰については,教義と聖約19:10-12で明確にされています。)ジョセフ・スミスは,まことに主の御手に使われる者であって,主の福音の回復をもたらしたことを,わたしは証します。

 

※1 その示現には,現世でキリストについて学んでいない人々や,責任を負う年齢以前に亡くなる子供たち,理解力のない人々が含まれます。

※2 ファーラーは,ロンドンのキングス・カレッジとケンブリッジのトリニティ・カレッジで教育を受けました。そして,イングランド国教会(聖公会)聖職者,ウェストミンスター寺院の大執事,カンタベリー大聖堂の主任司祭,王室の牧師を務めました。

※3 Farrar, Eternal Hope, xxxvi–xxxvii参照。フレデリック・ファーラーは,“damnation”(罰の定め)と“hell”(地獄)についての教えを正さざるを得ないと感じました。そして,「簡潔で,明白で,議論の余地のない事実……」と呼んだものを力強く宣言しました。「‘to damn’(「罰に定める」)という動詞とその同族語は,旧約聖書に一度も出てきません。このような意味を伝える言葉は,ギリシャ語新約聖書の中にありません。」さらに,“damnation”という言葉は「ひどい誤訳であり,……主の言葉のほんとうの意味を曲解,また曖昧にしている」と説明しています(Eternal Hope, xxxvii)。ファーラーはまた,天の御父が愛に満ちた御方であられることが,聖典を通して圧倒的に示されており,そのことが英語の翻訳で用いられているhelldamnationの定義が不正確であることのさらなる証拠であるとも指摘しています(Eternal Hope, xiv–xv, xxxiv, 93参照。クエンティン・L・クック「御父の計画─すべての子供たちを救う壮大なもの」『リアホナ』2009年5月,36も参照)。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)