「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -433ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ルカ1:48

この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう

 

 

「栄えある女性の務め」(英文)1981年10月、エズラ・タフト・ベンソン、十二使徒定員会

聖徒の中には、より多くのより良い環境が自分の自己イメージを向上させると誤って信じている人がいます。肯定的な自己イメージは、物質的な環境とはほとんど関係がありません。救い主の母マリアは最も質素な境遇にありましたが、自分の責任をよく理解し、それを喜びとしていました。従姉妹のエリサベツに対する彼女の謙遜な言葉を思い出してください。「この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう」ルカ1:48)。 彼女の強さは内側にあり、外側にある物質的なものからではありませんでした。

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ルカ1:37-38

「…神には、なんでもできないことはありません」。 そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。

 

 

「このかたが,あなたがたに言いつけることは,なんでもして下さい」2017年4月、L・ホイットニー・クレートン長老、七十人会長会

マリヤは驚いて言いました。「どうして,そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに。」


天使はごく簡単に説明し,マリヤにこう断言しました。「神には,なんでもできないことはありません。」
 

マリヤは,具体的なことを知りたいと要求することなく,しかも自分の人生にどんな影響があるかという点で明らかに無数の疑問があったにもかかわらず,主に命じられたことはすると,へりくだって答えました。どうして神が自分にお命じになるのか,その後どうなるのか正確に理解できなくても,決意したのです。前途に何が待ち受けているのかほとんど知らなくても,マリヤは神の御言葉を,無条件に,また前もって受け入れたのです。神を素直に信頼し,マリヤはこう言いました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように。」ルカ1:37-38
 

神がわたしたちに「言いつけることは,なんでも」しようと決心するとき,わたしたちは日々の行動を神の御心に合わせようと熱心に全力を注ぎます。日々の聖文研究,定期的な断食,心からの祈りといった簡単な信仰の行いによって,現世の様々な要求を満たす源となる霊的能力は非常に高まり,時を経ると,信仰の簡単な習慣は奇跡的な結果を生じます。わたしたちの信仰は,幼い木から,日々の生活に益をもたらすダイナミックな力へと変貌を遂げるのです。そうすると,試練に見舞われても,キリストの土台にしっかりと根付いたことにより,確固としていられます。神はわたしたちの弱さを支え,喜びを深め,「万事を〔わたしたちの〕益となるように」してくださるのです。ローマ8:28教義と聖約90:24
 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ピリピ4:8

最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。

 

 

「あらゆる思いの中でキリストを求める」2020年10月、ウリセス・ソアレス長老、十二使徒定員会

あらゆる思いの中でキリストを求め,心を尽くして主に従うためには,思いと望みを主の御心と一致させなければなりません。(教義と聖約68:4)  聖文ではこの一致を「主にあって堅く立〔つ〕」と言っています。(ピリピ4:1)  これは,常にキリストの福音と調和した生活を送り,日々あらゆる善いものに着目するということを意味しています。(ピリピ4:8)  そうして初めて,「人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安」を得ることができ,それによって,「〔わたしたちの〕心と思いとを,キリスト・イエスにあって守る」ことができるのです。(ピリピ4:7)  1831年2月,救い主御自身が教会の長老たちに次のように教えられました。「これらのことをあなたがたの心の中に大切に蓄えておきなさい。 永遠の厳粛さを心にとどめなさい。」(教義と聖約43:34)

わたしたちが主を求める努力を続けていても,ふさわしくない思いが心に入ってくるかもしれません。そのような思いが入るのを許したり,ましてや抱き続けたりすると,そうした思いはわたしたちの心の願望を形成し,それがわたしたちがこの世でなる人物となり,やがてわたしたちが永遠に受け継ぐものとなってしまう可能性があります。 かつてニール ・A・マックスウェル長老は,この原則を強調してこう言っています。「望みが行いの結果を左右する〔のです。〕『召された者は多いが,選ばれた者は少ない』理由もそこにあります。」(マタイ22:14教義と聖約95:5)

 

箴言23:7エレミヤ17:102ニーファイ9:39モーサヤ4:30アルマ12:14教義と聖約137:9