「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -432ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ルカ1:37

「…神には、なんでもできないことはありません。…」

 

 

「彼らはイエスがどんな人か見たいと思っていた」2022年10月、ジェームズ・W・マッコンキー三世、七十人

2013年に妻のローレルとわたしは,チェコ・スロバキア伝道部で伝道部指導者として奉仕するように召されました。…家族で伝道地に入ったとき,ジョセフ・B・ワースリン長老の教えを携えて行きました。「いちばん大切な戒め」と題する話の中で,ワースリン長老はこう問いかけています。「皆さんは主を愛していますか。」「はい」と答えるわたしたちへの彼の助言は,簡潔かつ深遠でした。「主とともに時間を過ごしてください。主の御言葉について深く考えてください。主のくびきを負ってください。理解と従順を求めてください。」その後,ワースリン長老は,イエス・キリストに時間と場所を喜んでささげる人々に変化が生じるという祝福を約束しました。
わたしたちはワースリン長老の助言と約束を心に留めました。宣教師たちと一緒に,新約聖書のマタイ,マルコ,ルカ,ヨハネ,またモルモン書の第三ニーファイを研究しながら,イエスとともにさらに時間を過ごしました。…
わたしやローレル,また宣教師たちにとって,聖文の中でイエスと時間を過ごすことはすべてを変えました。イエスがどのような御方で,何を大切にしておられるかということに対する感謝の念が深まりました。わたしたちはともに,イエスが教えられた方法やその内容,愛を示された方法,祝福し,仕えるためにされた事柄,主の奇跡,裏切りへの対応方法,人間の難しい感情への対処,イエスの称号と名称,話を聞き,争いを解決された方法,住んでおられた世界,たとえ話,一致と思いやりを促された方法,イエスの赦しと癒しの力,説教,祈り,贖いの犠牲,復活,そして主の福音について考えました。
わたしたちは,イエスがエリコを通られたときに,走って行っていちじく桑の木に登った「背が低かった」ザアカイのように感じることがよくありました。ルカの記録にあるように,「イエスがどんな人か見たいと思っていた」ルカ19:1-4からです。 見たかったのは,わたしたちがそうであるように望んだり,求めたりしていたイエスではなく,過去と現在に実在したありのままのイエスでした。ワースリン長老が約束したように,わたしたちは,次のことを非常に現実的な方法で学びました。「イエス・キリストの福音は変化の福音です。この福音は,地上の存在であるわたしたち人間を精錬し,永遠の存在へと変化させます。」
それは特別な日々でした。わたしたちはこう信じるようになりました。「神には,なんでもできないことはありません。」ルカ1:37

 

「いちばん大切な戒め」2007年10月、ジョセフ・B・ワースリン長老、十二使徒定員会

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ルカ1:7

ところが、エリサベツは不妊の女であったため、彼らには子がなく、そしてふたりともすでに年老いていた。

 

 

「姉妹のきずな―わたしたちは何と互いを必要としていることでしょう」2014年4月、ボニー・L・オスカーソン、中央若い女性会長

わたしはルカ1章 に書かれている話が好きです。そこには,イエスの母マリヤと,いとこのエリサベツのすばらしい関係が描かれています。神の御子の母親になるという驚くべき使命を告げられたとき,マリヤは若い女性でした。初めは,一人では背負い切れないほど重い責任のように感じたことでしょう。主御自身が,マリヤが重荷を分かち合える人を用意されました。天使ガブリエルの御告げを通して,信頼でき思いやりのある女性,その人にならマリヤが支えを求められるような女性の名前が告げられました。すなわち,いとこのエリサベツでした。

この若い女性と彼女の「年老いていた」(ルカ1:7)いとこは,奇跡的な妊娠をしたという共通点がありました。二人がともに過ごした3か月は,ともに語り合い,共感し合い,それぞれの特別な召しにおいて支え合う,どちらにとっても非常に貴重な時間だったことでしょう。二人は,異なる世代の女性が養い合う姿を表したすばらしい模範です。

わたしたち少し年配の姉妹は,若い世代に大きな影響を及ぼすことができます。わたしの母が幼かったころ,彼女の両親はどちらも教会に活発ではありませんでした。母はまだ5歳だったにもかかわらずで,一人で教会まで歩き,初等協会と日曜学校,聖餐会に出席しました。当時,それらの集会はそれぞれ別の時間に開かれていました。

最近わたしは母に,家族の支えや励ましがない中,毎週毎週,どうして教会に行っていたのか尋ねました。母はこう答えました。「わたしを愛してくれた初等協会の教師がいたのよ。」教師たちは母を気にかけ,彼女に福音を教えました。母を愛してくれる天の御父がおられることを教え,母が毎週通い続けられるように心に掛けてくれました。母はわたしにこう言いました。「わたしの子供時代で,最も大切な影響だったわ。」このすばらしい姉妹たちにいつかお礼を言うことができればと思います。キリストのような奉仕をするのに年齢の壁はありません。

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ1:23

「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。

 

 

「ふさわしさは完璧さではない」2021年10月、ブラッドリー・R・ウィルコックス、中央若い男性会長会

あまりに多くの人が,神の哀れみの情と寛容を信じるのが難しくなるほど,人間関係の崩壊やストレスに苦しんでいます。必要を満たしエテル1:42-43,「求めてくる者に良いものをくださ〔る〕」3ニーファイ14:11愛ある御父という神の本来の御姿を見ることに苦労しています。神の恵みは,ふさわしい者たちへの褒美というだけでなく,ふさわしくなれるよう助けるために「神が与えられる支援」でもあるのです。神の恵みは,義人への報いというだけではありません。義にかなう者となれるよう助けるために「神から授けられる……力」2ニーファイ2:3モルモン書ヤコブ4:7なのです。わたしたちはただ神とキリストに向かって歩んでいるのではありません。御二方とともに歩んでいるのです申命記2:7マタイ1:23教義と聖約100:12