「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -428ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヨハネ1:9
すべての人を照すまことの光があって、世にきた。

 

「恐れることはない。ただ信じなさい。」2022年4月、ジェフリー・R・ホランド 十二使徒定員会
この話を聞いている皆さん一人一人が,神と教会にとって大切な存在です。終わりに当たり,使徒として特別に宣言します。聖霊の賜物を授かる前から,皆さんの魂にはキリストの光が与えられていました。ヨハネ1:9教義と聖約93:2参照) それは「万物の中にあり,万物に命を与える光であり」,(教義と聖約88:13) 過去,現在,未来のすべての人の心に備わっている良心です。その光が与えられたのは,皆さんを守り,教えるためです。その中心となる教えの一つは,命が最も大切な贈り物であり,それは主イエス・キリストの贖罪を通してのみ永遠に得ることのできる贈り物だということです。「世の光であり命であられる」モーサヤ16:93ニーファイ9:1811:11エテル4:12) 神の独り子は,死に打ち勝って人に命を与えるために来られました。

わたしたちは,この命という賜物のために全力を尽くし,その神聖な賜物を自ら断とうとする人を助けるために奔走しなければなりません。指導者やアドバイザー,友人,家族の皆さん,うつや絶望,自傷行為の兆候に気づいてください。手を差し伸べ,耳を傾け,必要に応じて,何らかの介入をしてください。

今苦しんでいる若い皆さん,あなたの悩みや苦難が何であれ,自殺は絶対に答えではありません。あなたが感じている苦痛も,自分が原因だと思っている苦痛も,自殺によって取り除かれることはありません。光に飢え渇く世界において,この世が存在する前に,神があなたの魂にともした永遠の光をどうか消さないでください。だれかに話し,助けを求め,キリストが御自身の命をささげて救おうとされたあなたの命を自ら滅ぼさないでください。あなたはわたしたちの助けを得て,この世の苦難に耐えることができます。あなたは自分が思う以上に強いのです。助けは来ます。人から,そしてだれよりも,神から。あなたは愛され,大切にされ,必要とされています。わたしたちにはあなたが必要です!「恐れることはない。ただ信じなさい。」

あなたやわたしよりはるかに苦しい経験をした人が,こう言い残しました。「前に進んでください。〔愛する若き友よ,〕勇気を出してください。勝利に向かって進み,進んでください。心を喜び楽しませ,大いに喜んでください。」(教義と聖約128:22) 喜ぶべきことはたくさんあります。わたしたちには互いがいて,主がおられます。わたしたちがあなたと一緒にいられるこの機会を,どうか取り去らないでください。
 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヨハネ1:1-3、14
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は初めに神と共にあった。 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。… そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。

 

 

「わたしの証」2000年4月、ゴードン・B・ヒンクレー、大管長
イギリス諸島に伝道に行ってからその証は急速に強められました。わたしは最初の同僚とともに毎朝、ヨハネによる福音書を読んで、一つ一つの節について意見を交換しました。それはすばらしくまた啓発される経験でした。ヨハネによるこのすばらしい信仰の表明は神の御子の神性に関する宣言で始まります。このように記されています。

「初めに言ことばがあった。言は神と共にあった。言は神であった。

この言は初めに神と共にあった。

すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。……

そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。」(ヨハネ1:1-3、14)

そのときにわたしはこの宣言についてよく考えました。それ以来、この聖句をしばしば思い巡らすようになりました。ここには御父と御子が別個の御方であることについて疑問を挟む余地がありません。御父は御子に対して地球を創造するという大きな責任をお与えになりました。そして、「できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった」のです。

わたしはこの世の多くの醜いものを見てきました。ほとんどは人類が造り出したものです。けれどもそれ以上に美しいものを見てきたと思います。創造主の壮大な業に心を奪われます。それらは何と崇高なことでしょうか。すべては神の御子が行われた業です。
 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ2:13-15

彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、 ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。

 

 

「今日の世界のチャレンジに立ち向かう」2015年4月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会

聖文の一つの目的は,義人がどのように誘惑と悪に対処したかを示すことです。一言で言えば,彼らは避けたのです。ヨセフはポテパルの妻から逃げました。(創世記39章) リーハイは家族を連れてエルサレムを去りました。(1ニーファイ2章) マリヤとヨセフはヘロデの邪悪な計画を逃れるためにエジプトに行きました。(マタイ2章) どの場合も,天の御父は信仰深い彼らに警告を発せられました。同様に,御父は,戦うべきか,逃げるべきか,これから明らかになる状況を受け入れるべきか分かるように助けてくださいます。御父は祈りを通して話し掛けてくださいます。そして,わたしたちが祈るとき,聖霊の導きを受けます。わたしたちには,聖文,生ける預言者の教え,祝福師の祝福,霊感を受けた親や神権指導者や補助組織指導者,中でも,御霊の静か​な​細い​声が与えられているのです。

「わたし​が​あなたがた​を​​導いて​行く​から​で​ある」(教義と聖約78:18) という約束を主は常に守ってくださいます。ただ一つの問題は,わたしたちは導かれることを選ぶだろうか,神の御声と神の僕たちの声を聞くことを選ぶだろうか,ということです。

皆さんが主に近づけば,主は皆さんに近づいてくださることを証します。(教義と聖約88:63) 主を愛し,主の戒めを守るなら,​御子​の​​御霊​が皆さんのそばで導いてくださるでしょう。​「善​を​行う​よう​に​導く……​御霊​を​​信頼​しなさい。……これ​に​よって​あなた​は,……​義​に​かかわる​こと​は​何​で​あろう​と​すべて​知る​で​あろう。」(教義と聖約11:12,14)