「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -427ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヨハネ1:1,38-39
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
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イエスはふり向き、彼らがついてくるのを見て言われた、「何か願いがあるのか」。彼らは言った、「ラビ(訳して言えば、先生)どこにおとまりなのですか」。イエスは彼らに言われた、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」。そこで彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を見た。そして、その日はイエスのところに泊まった。時は午後四時ごろであった。


「主は,飢えている者を良いもので飽かせなさいます」(英文)1998年10月、ジエフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
皆さんは覚えておられると思いますが, アンデレともう一人の弟子, 恐らくヨハネは最初にキリストの御言葉を聞いたときに, 深く感動して, イエスに引きつけられ, 群衆を後にする主に従って行きました。キリストは御自分の後についてくる二人に気づいて振り返り, お尋ねになりました。「何か願いがあるのか。」(ヨ八ネ1:38) 彼らが「どこにおとまりなのですか」あるいは「どこにお住まいですか」と聞くと, キリストは「きてごらんなさい」(ヨハネ1:39)とだけ言われました。それから間もなく, キリストはペテロとほかの新しい使徒たちを同じような霊的な招きをもって, 正式に召されました。キリストは彼らに「わたしについてきなさい」(マタイ4:19)とおっしゃいました。

わたしたちのこの世の旅の本質と,人生で最も重要な疑問に対する答えは, 結局, 救い主の地上における業のごく初期に見られる二つのとても簡潔な要素に集約されるようです。1番目の要素は地上に住む「あなたがたは何を求めているのか。何が欲しいのか」というわたしたち一人一人に対する問いかけです。そして2番目の要素は,わたしたちがどう答えるかに関係なく、わたしたちの答えに対する主の反応です。わたしたちがどのような人間で,どのように答えるかに関係なく,主はいつも「従ってきなさい」という答えをなさいます。愛を込めて「わたしについてきなさい」とおっしゃるのです。どこへ行くにしても,まず来て,わたしのすることを御覧なさい。わたしがどこで, どのように時間を使うかを御覧なさい。わたしに学びなさい。わたしとともに歩き,語り,そして信じなさい。わたしの祈りに耳を傾けなさい。そうすれば, あなた自身の祈りに対する答えを見いだすことでしょう。神があなたがたの魂に休みを与えてくださるでしょう。わたしに従ってきなさい。

わたしたちは声と心を一つにして,イエス・キリストの福音がひどい霊的な飢えと渇きを満たす唯一の道であることを証します。わたしたちがこの時代に受けている傷を癒す方法を御存じなのは, 自らもひどい肉体的な苦しみを味わわれた主だけなのです。神とともにいて,神であられた御方(ヨハネ1:1)だけが,わたしたちの魂の最も奥深くにある,切なる願いにこたえられるのです。死と地獄の扉を開け放つことができるのは,主の全能の腕だけでした。それがなければわたしたちは永遠に束縛の境涯にとどめられていたのです。わたしたちを乗せて,日の栄えの栄光へ連れて行けるのは主の勝利の肩だけです。それはわたしたちがそれぞれの忠実さによって選択しさえするならば可能なことなのです。

自分は主の食卓に着く権利を失ってしまったと感じているかもしれない人々に対して,わたしたちは預言者ジョセフ・スミスとともに,「神は罪を赦してくださる御方」(Lecture on Faith, Joseph Smith, p42)であり, キリストは「憐れみに富み, 恵み深く, 怒ること遅く, 長く堪え忍び, 慈しみに満ちた御方」(Lecture on Faith, Joseph Smith, p42)であられることを再度お伝えします。わたしは, マタイが記した「それだから, あなたがたの天の父が完全であられるように, あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ5:48)という救い主の御言葉を読むといつもうれしくなります。ルカも主のほかの御言葉を次のように記しています。「あなたがたの父なる神が慈悲深いように, あなたがたも慈悲深い者となれ。」(ルカ6:36) あたかもそれは,「憐れみ」は,神が有しておられ,わたしたちがそれに向かって遭進すべき「完全」という特質の同義語であると説いておられるかのようです。憐れみは,それと深く結びついた赦しという徳性とともに,イエス・キリストの贖罪と永遠の救いの計画のまさに中核を成すものです。福音のすべては,わたしたちは自分が必要と思えば変わることができ,心から望むなら助けを受け,過去にどのような問題があったにしても癒しが得られると教えています。

 

 

 

今週の「わたしに従って来なさい」

 

 

ヨハネ1:45-49
このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。 ナタナエルは彼に言った、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。ピリポは彼に言った、「きて見なさい」。 イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。 ナタナエルは言った、「どうしてわたしをご存じなのですか」。イエスは答えて言われた、「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た」。 ナタナエルは答えた、「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。


「偽りのない者」(英文)1988年4月、ジョセフ・B・ワースリン、十二使徒定員会
イエスがペテロとアンデレ, ピリポを召された後, ピリポはナタナエルにイエスのことを話しました。一部の学者は彼が使徒バルトロマイであると信じています。ピリポはナタナエルにこう言いました。「わたしたちは,モーセが律法の中にしるしており, 預言者たちがしるしていた人, ヨセフの子, ナザレのイエスにいま出会った。」(ヨハネ1:45) ピリポはこの中で, イエスがメシヤであることを証しました。ナタナエルは, 「ナザレから, なんのよいものが出ようか」と言いました。これは, 当時のナザレの評判が比較的悪かったことを示しています。そこでピリポは「きて見なさい」と言いました。(46節) これはキリストについて真理を知りたいと願うすべての人々への完全な答えです。偏見のない求道者は,実際に来て見るときに改宗します。

イエスはナタナエルがご自分の方に来るのを見て, 大きな声でこう言われました。「見よ, あの人こそ, ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない。」(47節) このときナタナエルは, イエスが自分の心の中を見通されたのを知り,驚いて尋ねました。「どうしてわたしをご存じなのですか。」(48節)救い主の答えには, さらに偉大な主の知覚の力が表われていました。主はナタナエルにこう言われました。「ピリポがあなたを呼ぶ前に, わたしはあなたが, いちじくの木の下にいるのを見た。」(48節)

どうやらナタナエルは, いちじくの木の下で祈りや瞑想,あるいは礼拝をしている間に、非常に霊的な経験をしたようです。主の体はそこにはなくても、主のみたまがナタナエルと共にいたのです。ナタナエルはイエスが救い主キリストであることを認めて言いました。「先生,あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」(49節)

ナタナエルの言葉に偽りはありません。それは心から出た言葉であり, 真理に対する確信を表わしています。ナタナエルは救い主に従いました。

偽りがないということは, 思いと行ないの中にうそやごまかし, 偽善, 不正直がないことです。偽るとは, ルシフェルがエデンの園でエバをだましたように,人を欺いたり, 迷わせたりすることです。偽りのない人は, 汚れがなく, 正直で,清い目的を持ち, その生活には, 日々誠実に行動するという簡潔な習慣が表われています。

 

 


今週の「わたしに従って来なさい」

 

 

ヨハネ1:29
その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。…」
 

 

「見よ,神の小羊」2019年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
バプテスマのヨハネが水辺から見上げて,バプテスマを受けるのを待ちきれない様子の群衆の後方に目をやると,遠くに,いとこであるナザレのイエスがバプテスマを受けようと,しっかりした足取りでこちらに歩いて来られるのが見えました。ヨハネは,敬意を込め,しかし近くにいる人たちによく聞こえるように称賛の言葉を述べました。その言葉は,2,000年後のわたしたちを今なお感動させます。「見よ,神の小羊。」(ヨハネ1:29)

イエスに先駆ける者として昔から預言されていたこの人が,イエスのことを「エホバ」とも「救い主」「贖い主」「神の御子」とも呼ばなかったことは,銘記すべきことです。そのすべてがふさわしい称号であったにもかかわらず,ヨハネは,民の宗教上の伝統の中で最も早い時期の,恐らく最も広く知られていた象徴的な呼称を選んでいます。堕落した世界とその世界の堕落したすべての人の罪と悲しみ,試練と苦しみの贖いとしてささげられる犠牲の小羊の象徴を用いているのです。