「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -421ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ4:16
暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった。


「曇りの時も晴れの時も,主よ,われと共におりたまえ」2019年10月、レイナ・I・アブルト、中央扶助協会会長会
もしあなたが「暗黒の霧」に常に囲まれているならば,(1ニーファイ8:231ニーファイ12:4,173ニーファイ8:22も参照) 天の御父に頼ってください。あなたが経験したどのような事柄も,あなたが天の御父の子供であって御父に愛されているという永遠の真理を変えることはできません。(詩編82:6ローマ8:16-18教義と聖約24:176:24モーセ1:1-39参照) キリストはあなたの救い主,贖い主であり,神はあなたの父であるということを覚えていてください。御二方は分かっていらっしゃいます。御二方があなたの近くにおられ,耳を傾け,助けを申し出てくださっている様子を想像してください。(ミカ7:8マタイ4:16ルカ1:78-79ヨハネ8:12も参照)「〔御二方〕は苦難のときにあなたがたを慰めてくださ〔います〕。」(モルモン書ヤコブ3:1エペソ5:8コロサイ1:10-14モーサヤ24:13-14アルマ38:5も参照) 自分ができることすべてを行い,主の贖いの恵みに頼ってください。

苦闘は,あなたを定義づけるものではなく,あなたを精錬するものです。(2コリント4:16-18教義と聖約121:7-8,33122:5-9参照)「肉体に一つのとげが与えられた」ために,(2コリント12:7) ほかの人に対してさらに思いやりをもつことができるのかもしれません。聖霊の導きに従って,「弱い者を助け,垂れている手を挙げ,弱くなったひざを強め〔る〕」ために,あなた自身のことを分かち合ってください。(教義と聖約81:5イザヤ35:3も参照)

 

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ4:10-11
するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。 そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。


「あらゆる思いの中でキリストを求める」2020年10月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会
愛する友人の皆さん,誘惑は人生の中で突然来ることがよくありますが,わたしたちが小さな誘惑を退けるとき,深刻な罪を避けるうえでより良く備えることができます。スペンサー・W・キンボール大管長は言いました。「大きな背きを犯す人は,たいていその前に小さな背きを犯しています。小さな背きが,さらに大きな背きへの扉を開くのです。……きれいに手入れしてある畑が突然雑草に覆われたり……〔す〕ることはありません。(サムエル下11章も参照)

この世における主の神聖な使命を成し遂げるための備えをしていたとき,救い主イエス・キリストは,御自分の永遠の目的の実現を妨げるものはすべて常に退けることが大切だということを強調されました。サタンは救い主を御自身の使命から引き離そうと何度も攻撃しましたが,救い主は次のように言って,断固としてはねのけました。「『サタンよ,退け。』……そこで,悪魔はイエスを離れ去り,そして,御使たちがみもとにきて仕えた。」(マタイ4:10-11)

兄弟姉妹の皆さん,わたしたちが救い主から力と勇気を得て,ふさわしくない考えが心の中に入って来たらすぐに断固としてはねのけ,「退け」と言えたらどうなるか,皆さんは想像できますか。わたしたちの心の望みにどのような影響を与えるでしょうか。それにより生じる行動は,どのようにわたしたちを救い主に近づけ続け,生活の中で聖霊の影響を常に受けられるようにしてくれるでしょうか。イエスの模範に従うことにより,家族間の問題や不和,否定的な感情や傾向,不正や虐待を行うこと,憎むべき依存症の奴隷になること,そのほかのあらゆる神の戒めに反することを引き起こす可能性のある多くの悲劇や好ましくない行いを避けるようになることを知っています。
 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ4:8-10
次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。


「ああ、聖なる贖い主」(英文)1981年10月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会
自分の地位を求める強い誘惑があったからといって,妥協したことへの言い訳をすることができるでしょうか。サタンがこの世のすべての国々とその栄華とを見せ, 「これらのものを皆あなたにあげましょう」,と言って巧みに誘惑した時,御父への驚くべき忠誠を示されたのは,ほかならぬ主でありました。主は断固としてその誘惑を拒まれたのです。(マタイ4:8-10参照)



何ひとつとして私たちが主に教えることはありません。しかし, 私たちは主のみ言葉に耳を傾け,主を愛し,敬い,礼拝することはできます。主の戒めを守り, 聖典に親しむことができます。そうです,主を忘れてみこころに背きやすい私たちではありますが, 決して主から忘れられることはないのです。私たちは主の「業」であり主の「栄光」です。主は決して私たちを迷わせたりされません。(モーセ1:39参照)

ですから,私は主を讃美し,主のみ業をたたえます。主の栄光を表わすにはあまりにも拙い言葉ではありますが,この時満ちたる時代に特に召された主の証人として,主のみ業が完きものであることを証します。