マタイ4:4
イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。
「主は,飢えている者を良いもので飽かせなさいます」(英文)1997年10月、ジエフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
……快楽の滅びの道を猛スピードで進みながら,自分たちはパンだけで生きていく,パンはあればあるほどよい,と叫んでいる人々もいます。しかし,どれほど多くのパンを持っていたとしても,パンだけでは十分ではありません。わたしたちはそのことを,信頼できる筋から知らされました。そうです,「言」とも呼ばれる主御自身から知らされたのです。(マタイ4:4)
救い主はガリラヤで人々を教え導いておられたとき,わずか5つのパンと2匹の魚で5000人に食事を与えたという話を聞いて自分たちもただで食事にあずかりたいと期待してやって来た人々をたしなめられたことがあります。確かに食べ物も大切でしたが,主が彼らに与えようと努めておられた真の食べ物に比べれば,それほどのものではなかったのです。
「あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが,死んでしまった。」そして主は彼らにこう言われました。「わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は,いつまでも生きるであろう。」
しかし,それは彼らが求めていた食べ物ではありませんでした。記録にはこう書かれています。「それ以来,多くの弟子たちは去っていって,もはやイエスと行動を共にしなかった。」(ヨハネ6:49,51,66)
この短い話は, 現代のわたしたちが直面している危機的な状況にも幾分通じるものがあります。わたしたちもこの時代に成功や高度な知識を得る一方で,ほんとうに大切な永遠の命のパンから離れ去ったり, 霊的な拒食症のようなものに自らはまり込んで,一種の霊的な栄養失調になったりする道を選んでしまうこともあります。昔の子供じみたガリラヤ人と同じように,わたしたちは神から食べ物を目の前に並べられても,それを鼻先であしらってしまうことがあります。主が言われたように,「あなたがたの思いがけないときに,夏が過ぎ去り,刈り入れが終わり,〔自分たちは〕救われない」と気づくという事態に陥ってしまうのは,言うまでもなく,今も昔も悲劇であることに変わりありません。(教義と聖約45:2。エレミヤ8:20)


