マタイ3:16-17
イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。 また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
「家庭で教える—神聖で喜びに満ちた責任」2018年4月、デビン・G・デュラント、中央日曜学校会長会
家族の祈りは,教える絶好の機会です。
N・エルドン・タナー管長の父が家族の祈りのときに教えたことに感銘を受けました。タナー管長は言いました。
「ある晩,家族でひざまずいて祈っていたときに,わたしの父が主にこう言いました。『今日エルドンがしてはいけないことをしました。エルドンは悪いと思っています。もし彼を赦してくださるのなら,もう二度としないでしょう。』
その言葉は,もう二度と過ちを繰り返さないとわたしに決意をさせてくれました。」
子供のころ,家族のちょっと度が過ぎた祈りに時々イライラすることがあり,「さっき祈ったばかりなのに」と思うことがありました。今は親として,家族として祈りすぎることはないと知っています。(3ニーファイ18:21)
わたしは,天の御父がイエス・キリストを愛する御子として紹介することにいつも感銘を受けてきました※。 わたしは,子供のために祈るときに,彼らを名前で呼び,天の御父に彼らがわたしにとっていかに大切であるかを伝え,そのことを子供たちが聞けるように祈ってきました。子供を祝福しているときや,子供と一緒に祈っているときは,子供への愛を伝える最良の機会のように思います。家族が集まり謙遜な祈りをささげるとき,力強い印象に残るレッスンが教えられます。
※マタイ3:16-17;3ニーファイ11:6-8;教義と聖約18:34-36;ジョセフ・スミス—歴史1:17参照


