「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -423ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ3:16-17

イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。 また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。


「家庭で教える—神聖で喜びに満ちた責任」2018年4月、デビン・G・デュラント、中央日曜学校会長会
家族の祈りは,教える絶好の機会です。

N・エルドン・タナー管長の父が家族の祈りのときに教えたことに感銘を受けました。タナー管長は言いました。

「ある晩,家族でひざまずいて祈っていたときに,わたしの父が主にこう言いました。『今日エルドンがしてはいけないことをしました。エルドンは悪いと思っています。もし彼を赦してくださるのなら,もう二度としないでしょう。』

その言葉は,もう二度と過ちを繰り返さないとわたしに決意をさせてくれました。」

子供のころ,家族のちょっと度が過ぎた祈りに時々イライラすることがあり,「さっき祈ったばかりなのに」と思うことがありました。今は親として,家族として祈りすぎることはないと知っています。(3ニーファイ18:21)

わたしは,天の御父がイエス・キリストを愛する御子として紹介することにいつも感銘を受けてきました※。 わたしは,子供のために祈るときに,彼らを名前で呼び,天の御父に彼らがわたしにとっていかに大切であるかを伝え,そのことを子供たちが聞けるように祈ってきました。子供を祝福しているときや,子供と一緒に祈っているときは,子供への愛を伝える最良の機会のように思います。家族が集まり謙遜な祈りをささげるとき,力強い印象に残るレッスンが教えられます。

マタイ3:16-173ニーファイ11:6-8教義と聖約18:34-36ジョセフ・スミス—歴史1:17参照

 

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マルコ1:40-42
ひとりのらい病人が、イエスのところに願いにきて、ひざまずいて言った、「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。 すると、らい病が直ちに去って、その人はきよくなった。


「曇りの時も晴れの時も,主よ,われと共におりたまえ」2019年10月、レイナ・I・アブルト、中央扶助協会会長会
イエス・キリストは現世での教導の業の間,病人と悩める人を癒しましたが,癒された一人一人が主への信仰を働かせ,癒しを受けるために行動を起こす必要がありました。癒されるために,ある人たちは長い距離を歩き,ある人たちは手を伸ばして主の衣に触れ,またある人たちは主のもとに運ばれなければなりませんでした。(マタイ9:2-7,20-2214:35-36マルコ1:40-422:3-53ニーファイ17:6-7参照) 主からの癒しは,わたしたち皆が必要なものではないでしょうか。「わたしたちは皆,物乞いではない〔でしょう〕か。」(モーサヤ4:19)

救い主が歩まれた道に従い,思いやりを深め,人を裁く傾向を減らし,ほかの人の霊性の検査官であるのをやめましょう。愛を持って耳を傾けることは,わたしたちが与えることのできる最高の贈り物です。そうするときに,愛する人や友人を抑圧している重い雲を運んだり,持ち上げたりする手助けができるかもしれません。(ローマ2:1913:12参照) それによって,わたしたちの愛を通して,再び彼らは聖霊を感じ,イエス・キリストから発せられる光に気づくことができるのです。

もしあなたが「暗黒の霧」に常に囲まれているならば,(1ニーファイ8:231ニーファイ12:4,173ニーファイ8:22も参照) 天の御父に頼ってください。あなたが経験したどのような事柄も,あなたが天の御父の子供であって御父に愛されているという永遠の真理を変えることはできません。(詩編82:6ローマ8:16-18教義と聖約24:176:24モーセ1:1-39参照) キリストはあなたの救い主,贖い主であり,神はあなたの父であるということを覚えていてください。御二方は分かっていらっしゃいます。御二方があなたの近くにおられ,耳を傾け,助けを申し出てくださっている様子を想像してください。(『宣教師の生活に適応する』,20参照。ミカ7:8マタイ4:16ルカ1:78-79ヨハネ8:12も参照)「〔御二方〕は苦難のときにあなたがたを慰めてくださ〔います〕。」(モルモン書ヤコブ3:1エペソ5:8コロサイ1:10-14モーサヤ24:13-14アルマ38:5も参照) 自分ができることすべてを行い,主の贖いの恵みに頼ってください。

 

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マルコ1:22
人々は、その教に驚いた。律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。 


「キリストとその福音に畏敬の念を抱く」2022年4月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会
わたしには,大学教授を定年退職した,多くの著作を持つ,聡明で,何より,強い決意を持ったイエス・キリストの弟子である,愛する友人がいます。彼は,会議や学術的な調査,またツアーの案内のために,何度も聖地を訪れたことがあります。彼によると,主が歩まれた地を訪れる度に,救い主や,主の地上における業,また主の愛する故郷について,必ず何か新しいことや,驚くべきこと,興味深いことを学び,驚嘆を覚えるそうです。わたしの友人が聖地で学んだすべてのことについて語るときに示す畏敬の念には,影響力があります。この驚嘆が,彼の人生における偉大な業績と学術研究の根底にあるのです。

彼の経験に耳を傾け,彼の熱意を感じたとき,わたしはイエス・キリストの福音に対して,どれほどの,いわゆる「霊の驚嘆」をわたしたちが感じられるのか,また感じるべきか,そしてそれが弟子としての生き方や永遠の命に向かう自分の旅にどれほどの影響をもたらすのか,思い巡らしました。わたしが言う驚嘆とは,心を込めて救い主とその教えを中心とした生活をする人や,へりくだって生活の中に主の存在を認めるすべての人が共通して感じる感情,畏敬の念,あるいは驚きの感覚のことです。聖霊の影響によって生じるそのような驚嘆の気持ちは,喜んでキリストの教義に従って生活しようとする熱意を刺激します。(『聖句ガイド』「キリストの教義」)

聖文には,この感覚がどのように現れるかについて幾つかの例があります。例えば,預言者イザヤは,主を喜ぶことによって主への深い感謝の気持ちを表しました。(イザヤ61:10) イエスがカペナウムの会堂で教えておられるのを聞いた人々は,主の教えと,教えるときの力に驚きました。(マルコ1:22) 少年ジョセフ・スミスは聖書のヤコブの手紙第1章を読んだとき,この同じ気持ちに心を貫かれ,神の知恵を求めることへと導かれました。(ジョセフ・スミス—歴史1:11-13)

兄弟姉妹の皆さん,イエス・キリストとその福音に真の畏敬の念を抱くとき,わたしたちはもっと幸せになり,神の御業にもっと熱意を持ち,そしてすべてのことの中に主の御手を認めます。さらに,神の御言葉の研究をもっと有意義なものとし,もっと意識して祈り,もっと敬虔に礼拝し,もっと熱心に神の王国で奉仕します。これらすべての行いが,生活の中でもっと頻繁に聖なる御霊の働きかけを受ける要因になります。(『聖句ガイド』「聖霊」) このようにして,救い主とその福音に対する証が強められ,わたしたちはキリストを自分のうちに生かし続け,(ガラテヤ2:20) 「〔主〕に根ざし,〔主〕にあって建てられ,そして……信仰が確立されて,あふれるばかり感謝」(コロサイ2:6-8) するのです。このように生活するとき,わたしたちの霊的レジリエンスが高められ,霊的無関心というわなに落ちないように守られます。