「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -407ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マルコ5:36
イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい」。 


「壊れたものを元どおりに」(英文)2006年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
兄弟,姉妹の皆さん,どのような悩みを持っていようとも,どうかあきらめないでください。どうか恐れに屈しないでください。わたしはヒンクレー大管長の父,ブライアント・S・ヒンクレー兄弟の話を思い出すといつも胸がいっぱいになります。彼は,息子のゴードンがイギリスへの伝道に旅立つ際に別れの抱擁をした後で,マルコによる福音書の第5章にある次の短い言葉を書いた手書きのメモを渡しました。「恐れることはない。ただ信じなさい。」(マルコ5:36) 主は水の上を歩いて来られたあの夜,恐れる弟子のもとに急いでやって来るとおっしゃいました。「わたしである。恐れることはない。」ペテロは叫びました。「主よ,あなたでしたか。では,わたしに命じて,水の上を渡ってみもとに行かせてください。」キリストは,いつものようにこう答えられました。「おいでなさい。」ペテロはその性分から,即座に舟から飛び出し,荒れ狂う海に足を踏み出しました。主を仰ぎ見ていた間は,風が髪を巻き上げようと,波のしぶきが衣服のすそをぬらそうと,何の問題にもならず,ペテロは主の方へ歩くことができました。信仰が揺らぎ,恐怖にとらわれたのは,主から目を離して荒れ狂う波と足もとの暗黒の淵を見たときです。このときに初めて,ペテロは海に沈み始めました。恐ろしくなったペテロは叫びました。「主よ,お助けください。」

あらゆる問題や恐れを収め,落胆している人すべてに解決策をお与えになる主は,明らかにやや悲しみを感じて,おぼれかけている弟子に手を伸ばし,その手をしっかり握ると,優しくたしなめてこうおっしゃいました。「信仰の薄い者よ,なぜ疑ったのか。」(マタイ14:27-31)

孤独を感じたら,慰めが得られることを思い出してください。落胆したら,望みが得られることを思い出してください。心が貧しいならば,力が得られることを思い出してください。もうだめだと感じたら,元どおりになれることを思い出してください。

……

わたしたちすべて,特に心の貧しい人が,主のみもとに来て完全な者となれますよう,ナザレのイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マルコ5:36
イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい」。 


「御国が来ますように」2015年4月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
わたしたちは,他の人の生活に主の御手を見ることができても,「どうしたら自分の生活の中に主の御手をもっとはっきり見ることができるだろう」と考えがちです。

救い主は言われました。

「疑ってはならない。」(マタイ21:21)

「恐れることはない。」(マルコ5:36)

「あなたがたの父〔が知らずに〕……一羽の〔すずめ〕も地に落ちることはない。

それだから,恐れることはない。〔なぜなら,〕あなたがたは多くのすずめよりも,まさった者〔だから〕である。」(マタイ10:29,31)

敵に囲まれた若者が預言者エリシャに「ああ,わが主よ,わたしたちはどうしましょうか」(列王下6:15) と叫んだことを覚えているでしょうか。

エリシャは答えて言いました。

「『恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから。』

〔それから〕エリシャが祈って『主よ,どうぞ,彼の目を開いて見させてください』と言うと,主はその若者の目を開かれたので,彼〔は〕火の馬と戦車が山に満ちて〔いるのを見た。〕」(列王下6:16-17)

皆さんが戒めを守り,自分の生活において主の御手を認められるよう信仰をもって祈るとき,主は皆さんの霊の目をこれまで以上に大きく開き,皆さんが独りではないとはっきり分かるようにしてくださるとお約束します。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マルコ5:28
それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。


「イエス・キリストの力を生活に取り入れる」2017年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会
救い主の力を生活に取り入れるためのもう一つの要素は,信仰をもって救い主に助けを求めることです。それには熱心で,ひたむきな努力が必要です。

12年の間,体を衰弱させる病に苦しんだ女性についての,聖書の物語を覚えていますか。(ルカ8:43-44参照) この女性は救い主への信仰を大いに働かせ,声を上げました。「せめて,み衣にでもさわれば,なおしていただけるだろう……。」(マルコ5:28)

この忠実でひたむきな女性は,主の力を受けるために,力の限り手を伸ばす必要がありました。肉体的に手を伸ばしたことは,この女性が霊的に手を伸ばしたことを象徴しています。

わたしたちの多くが心の奥底から,この女性と同じような言葉を発しています。「霊的に手を十分に伸ばし,救い主の力を生活に取り入れることができたら,この苦しい状況に対処する方法が分かるでしょう。なすべきことを知るでしょう。そして,それを行うための力を,受けられるでしょう。」

おぼれかかった人が空気を求めてもがくように,生活の中に主の力を求めて必死で手を伸ばすなら,イエス・キリストからもたらされるその力は,あなたのものとなるでしょう。救い主の助けを得たいというあなたの心からの望みを救い主が理解されるとき,生活に救い主の力を取り入れるというあなたの心の最大の望みを救い主が感じられるとき,あなたは聖霊に導かれ,なすべきことをはっきりと知ることができます。(教義と聖約88:63参照)

あなたが霊的に,かつてないほど熱心に手を伸ばすとき,主の力はあなたに流れ込みます。(ルカ8:46)※ そのとき,賛美歌「主のみたまは火のごと燃え」で歌う歌詞の意味を,より深く理解できることでしょう。

主はみ教え よく知らしめ……
神の知識,力は伸び
この世の覆い,破れ行く(「主のみたまは火のごと燃え」『賛美歌』3番)

イエス・キリストの福音は,主の力にあふれています。そして,熱心に求めるすべての神の娘,息子はこの力を得ることができるのです。わたしたちが主の力を生活に取り入れるなら,主も,わたしたちも喜びを受けるというのが,わたしの証です。(3ニーファイ17:20参照) 

主の特別な証人の一人として,わたしは神が生きておられることを宣言します。イエスはキリストであられ,主の教会は地上に回復されています。今日,地上における神の預言者はトーマス・S・モンソン大管長であり,わたしは心からモンソン大管長を支持しています。このことを証し,皆さん一人一人への愛をお伝えします。皆さんの祝福を願っています。イエス・キリストの聖なる御名により,アーメン


※忠実な女性が救い主の衣に触れたとき,救い主はすぐに反応された。「力〔語源—『力』を意味するギリシャ語dunamis〕がわたしから出て行ったのを感じたのだ。」