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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ13:41-43
人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。 そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。


「主は光」2015年4月、クエンティン・L・クック、十二使徒定員会
若い野生のヒマワリのすばらしい特質の一つは,良い土壌でなくても育つことの他に,若い花のつぼみが大空の太陽の動きに沿って動くということです。そうすることで,見事な黄色い花が開く前の命を支えるエネルギーを取り入れます。

この若いヒマワリのように,わたしたちは,神の御子である世の救い主に従うときに,多くの悲惨な状況に取り巻かれているにもかかわらず,花開き,輝かしい者となります。救い主は実にわたしたちの光であり,命であられます。

麦と毒麦のたとえの中で,救い主は弟子たちに,つまずきとなる者と不法を行う者は神の王国から取り去られると述べておられます。(マタイ13:41参照) しかし,忠実な者についてはこう言っておられます。「そのとき,義人たちは彼らの父の御国で,太陽のように輝きわたるであろう。」(マタイ13:43) 文字どおり混乱した厳しい世の中で生活しているキリストの弟子として,わたしたちは,救い主の愛に根ざし,謙遜に救い主の教えに従うならば,成長して花を咲かせることができます。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ13:21
その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。


「決して主を離れず」2010年10月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
つまずかないという選択をする

救い主が神の御子であられるということに心を乱した人々に,イエスはお尋ねになりました。「このことがあなたがたのつまずきになるのか。」(ヨハネ6:61) 種まきのたとえの中でイエスはこう警告されました。「〔その人は〕しばらく〔堪え忍ぶが〕,のために困難や迫害が起ってくると,すぐつまずいてしまう。」(マタイ13:21)

つまずきは様々な衣装をまとい,絶えずわたしたちの前に現れます。信じていた人に期待を裏切られる。予想外の困難に遭遇する。人生が思いどおりに行かない。間違いを犯し,ふさわしくないと感じ,赦されるかどうか心配する。教義のある点に疑問を抱く。150年前に教会の説教壇で言われたことに心を悩ます。子供たちが不当に扱われる。無視されたり過小評価されたりする。問題は幾らでも挙げることができます。どれもそのときにはきわめて重要に思える問題です。(デビッド・A・ベドナー「何ものも彼らをつまずかすことはできません」2006年10月)

心が弱くなると,サタンはわたしたちの霊的な約束を奪おうとします。注意していないと,傷ついた子供のようなわたしたちの霊は,救い主の温かいしの光に背を向け,元の冷たく暗い自我の殻へ後戻りしてしまいます。

1835年にパーリー・P・プラットが不当な裁きを受け,本人も家族も当惑し,恥ずかしい思いをしたとき,預言者ジョセフ・スミスはこう勧告しました。「パーリー,……そのようなことを気にしてはなりません。全能の神があなたとともにおられます。」(ジョセフ・スミス,Autobiography of Parley P. Prattパーリー・P・プラット・ジュニア編(1938年),118で引用)

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ13:20,23
石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。……また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。


「霊の命…を心にかけなさい」2003年4月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会


「霊の命」について深く考えるとき,自分自身の完全な改心を目指して努力することが助けになりますが,その訳は福音の種はまず「良い地」,すなわちイエスの定義された「正しい良い心」を持った人々に落ちるからですルカ8:15。その結果,そのような人は「喜んで」「御言みことばを聞いて悟〔り〕」,「実を結び」,「堪え忍び」ます。そして最後には,「義のために飢え乾く」とはどのようなことかを学ぶのですマタイ13:20,23ジョセフ・スミス訳マタイ13:21〔英文〕マタイ5:6。これが「大きな変化」なのですモーサヤ5:2。改心とは基本的に,「生まれながらの人」から「キリストの人」になる変化を指すものですモーサヤ3:19ヒラマン3:292コリント5:17も参照)。この変化は一朝一夕に起こるものではありません。

改心という継続的な過程によって生まれる結果の一つは,「悪を行う性癖をもう二度と持つことなく,絶えず善を行う望みを持つ」ようになることですモーサヤ5:2。ですから当然なことに,この過程を経てこのように改心した人たちは「兄弟たちを力づけて」あげられるようになりルカ22:32,「あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には,いつでも弁明のできる用意をして」いることによって人を引き上げることができるようになります1ペテロ3:15。このような義人はもう一つ,人類のためにきわめて重要ながら目立たない奉仕を行います。それは,人類全体が大いに必要とする神の祝福を願い求めるために,最低限必要な義人の一人となることです。