マタイ13:21
その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。
「決して主を離れず」2010年10月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
つまずかないという選択をする
救い主が神の御子であられるということに心を乱した人々に,イエスはお尋ねになりました。「このことがあなたがたのつまずきになるのか。」(ヨハネ6:61) 種まきのたとえの中でイエスはこう警告されました。「〔その人は〕しばらく〔堪え忍ぶが〕,のために困難や迫害が起ってくると,すぐつまずいてしまう。」(マタイ13:21)
つまずきは様々な衣装をまとい,絶えずわたしたちの前に現れます。信じていた人に期待を裏切られる。予想外の困難に遭遇する。人生が思いどおりに行かない。間違いを犯し,ふさわしくないと感じ,赦されるかどうか心配する。教義のある点に疑問を抱く。150年前に教会の説教壇で言われたことに心を悩ます。子供たちが不当に扱われる。無視されたり過小評価されたりする。問題は幾らでも挙げることができます。どれもそのときにはきわめて重要に思える問題です。(デビッド・A・ベドナー「何ものも彼らをつまずかすことはできません」2006年10月)
心が弱くなると,サタンはわたしたちの霊的な約束を奪おうとします。注意していないと,傷ついた子供のようなわたしたちの霊は,救い主の温かいしの光に背を向け,元の冷たく暗い自我の殻へ後戻りしてしまいます。
1835年にパーリー・P・プラットが不当な裁きを受け,本人も家族も当惑し,恥ずかしい思いをしたとき,預言者ジョセフ・スミスはこう勧告しました。「パーリー,……そのようなことを気にしてはなりません。全能の神があなたとともにおられます。」(ジョセフ・スミス,Autobiography of Parley P. Prattパーリー・P・プラット・ジュニア編(1938年),118で引用)
