使徒行伝19:2-6
彼らに「あなたがたは、信仰にはいった時に、聖霊を受けたのか」と尋ねたところ、「いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」と答えた。 「では、だれの名によってバプテスマを受けたのか」と彼がきくと、彼らは「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」と答えた。 そこで、パウロが言った、「ヨハネは悔改めのバプテスマを授けたが、それによって、自分のあとに来るかた、すなわち、イエスを信じるように、人々に勧めたのである」。 人々はこれを聞いて、主イエスの名によるバプテスマを受けた。 そして、パウロが彼らの上に手をおくと、聖霊が彼らにくだり、それから彼らは異言を語ったり、預言をしたりし出した。
「聖霊を受けなさい」2010年10月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会
「『あなたがたは,信仰にはいった時に,聖霊を受けたのか』と尋ねたところ,『いいえ,聖霊なるものがあることさえ,聞いたことがありません』と答えた。
『では,だれの名によってバプテスマを受けたのか』と彼がきくと,彼らは『ヨハネの名によるバプテスマを受けました』と答えた。
そこで,パウロが言った,『ヨハネはめのバプテスマを授けたが,それによって,自分のあとに来るかた,すなわちイエスを信じるように,人々に勧めたのである。』
人々はこれを聞いて,主イエスの名によるバプテスマを受けた。
そして,パウロが彼らの上に手をおくと,聖霊が彼らにくだ〔った。〕」(使徒19:2-6)
「水に沈められるバプテスマは,福音の最初の儀式であり,……この儀式の後に聖霊の賜物を受けることによって,バプテスマは完全なものとなる。」(『聖句ガイド』「バプテスマ」の項,208)預言者ジョセフ・スミスは次のように説明しています。「バプテスマは,聖霊を受けるのに備える神聖な儀式です。聖霊を授かるための経路であり,です。按手による聖霊の賜物は,義の原則以外のどのような原則によっても受けることはできません。」(『教え――ジョセフ・スミス』,96)
教会の新しい会員を確認し,聖霊の賜物を授ける儀式は,簡素でありながらも深遠です。ふさわしいメルキゼデク神権者はその人の頭の上に手を置き,その人の名を呼びます。それから,聖なる神権の権能と救い主のによってその人を末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として確認し,次の重要な言葉を言います。「聖霊を受けなさい。」
この儀式が簡素なために,わたしたちはその大切さを見逃してしまうかもしれません。「聖霊を受けなさい」という言葉は受け身でいるよう言い渡すものではありません。むしろ,神権の命令,すなわち単に作用されるものになるのではなく作用するものとなるように促す,権威ある勧告なのです(2ニーファイ2:26参照)。 わたしたちの頭に手が置かれてあの言葉が発せられれば,それだけで聖霊が生活の中で働いてくださるわけではありません。この儀式を受けるとき,わたしたち一人一人はほんとうに「聖霊を受け」,それに付随する霊的な賜物を得られるように望み,求め,努力し,ふさわしい生活をするという神聖で途切れることのない責任を受けるのです。「ある人に贈り物が与えられても,彼がそれを受け取らなければ,それは彼にとって何の益があるだろうか。見よ,彼は与えられるものを喜ばず,その贈り物の贈り主をも喜ばない。」(教義と聖約88:33)
神会の第3の御方をとするよう求めるというこの権威ある勧告を常に実現するには何をすべきでしょうか。わたしの提案はこうです。(1)聖霊を受けたいと心から望む。(2)適切な方法で生活に聖霊を招く。(3)神の戒めを忠実に守る。


