使徒行伝17:29
このように、われわれは神の子孫なのであるから、神たる者を、人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫り付けたものと同じと、見なすべきではない。
「心にイエス・キリストへの思いがはっきりと浮かんできた」2023年4月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
この復活祭の時季にわたしが願うことは,わたしたちの心の部屋に,このきわめて重要なイエス・キリストへの思いを,さらに意識的に形作り,強くし,定着させることです。それがしきりに心へ流れ込むようにし,考えや行動の指針となり,継続的に救い主の愛という快い喜びがもたらされますように。
イエス・キリストの力で心を満たすとは,イエスのことだけを考えるという意味ではありません。わたしたちの思いがすべて,主の愛や生涯,教え,贖いの犠牲,輝かしい復活のうちにあるということです。イエスを忘れ去られた心の隅に追いやることは決してありません。主イエスへの思いが常に心にあり,「心〔を〕込めて主を賛めたたえ」(「造り主の主を」『賛美歌』37番)るからです。祈りをささげ,主に近づいたときの経験を心の中で反芻します。忙しい生活の中で心を駆け巡る無数の思いをそっと和らげる,神聖なイメージや聖文,霊感あふれる賛美歌を,心に喜んで迎え入れるのです。主に対する愛が,この死すべき世における不幸や悲しみの盾となってくれるわけではありませんが,自分の力をはるかに超える強さを得て苦難を乗り越えていくことができるようになります。
「主イエスよ,〔汝なれを思えば〕
わが胸 喜び満つ
み前に出づれば
さらにうれし」(「主イエスよ,わが胸」『賛美歌』80番参照)
自分が天の御父の霊の子供だということを覚えていてください。使徒パウロが説明しているように,わたしたちは「神の子孫」(使徒17:29)なのです。地上に来るずっと前に,今ある個々の特質を持って生きていました。御父は,わたしたちが地上に来て学び,御父のみもとに戻るという,完璧な計画を立てられました。御父が御自分の愛する御子を遣わしてくださったので,わたしたちは,御子の無限の贖罪と復活の力によって墓を超えて生きられるようになりました。そして,進んで御子を信じる信仰を働かせて罪を悔い改める(教義と聖約58:42-43参照)ことで,わたしたちは赦され,永遠の命への希望を受けます。(教義と聖約14:7参照)
