2コリント3:3
そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている。
「わたしの心に書き記す」2000年10月、ヘンリー・B・アイリング、十二使徒定員会
父は頭の中で何かを考えているだけではありませんでした。父の心の中にはある感情があったということが、見て取れました。わたしが守られ、安全でいること。それが父の切なる願いだったのです。両親と暮らしていたときずっと、父の祈りには、また母の祈りにはなおさら、その切なる願いが込められていたことを、わたしは耳で聞き、心で感じていたのです。そこからわたしは教えを受けました。そして、わたしは覚えていたのです。
……
母は救い主を知っており、救い主を愛していました。祈りで天父に近づいた後で、見ず知らずの人の名前で祈りを終えることはないのだと、わたしは母から教えてもらいました。わたしは母の生活を見てきて、長年にわたって主に仕え、主に喜んでいただけるように努力してきたため、母の心は救い主に引きつけられていたことが分かりました。次の聖句にある警告は真実です。「なぜならば、仕えたこともなく、見も知らぬ他人で、心の思いと志を異にしている主人を、どのようにして人は知ることができようか。」(モーサヤ5:13)
父と母が亡くなってから何年も過ぎた今、「イエス・キリストの御名によって」という言葉は、わたしにとってありきたりの言葉ではなくなりました。自分で祈るときも、人の祈りを聞くときもそうです。わたしたちは主の御心を知るために主に仕える必要があります。しかし、それだけではなく、天父がわたしたちの心と思いにこたえてくださるように祈らなければなりません (エレミヤ31:33; ヘブル8:10; 10:16; 2コリント3:3参照)。


