2コリント3:3 しかしわたしたちは,彼らのことを気に留めなかった | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

2コリント3:3
そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている。



「しかしわたしたちは,彼らのことを気に留めなかった」2022年4月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会
「神のみ業に進みて」を歌うとき,わたしはリーハイの示現に出てくる命の木に通じる道を押し進む人々のことをよく考えます。彼らはただ鉄の棒に「すが〔る〕」1ニーファイ 8:24だけでなく,「しっかり鉄の棒につかまりながら道を押し進み,ついにやって来ると〔その〕木の実を食べた」1 ニーファイ 8:30のです。リ―ハイは,大きく広々とした建物から大勢の人々が「……その実を食べていた人々を指さしてあざけり笑っ」ている様子について述べています。1ニーファイ8:33そのあざけりと侮辱に対するリーハイの反応は,次のように見事かつ印象的なものでした。 「しかしわたしたちは,彼らのことを気に留めなかった。」 1ニーファイ8:33

今日は,わたしたちが生きる現代社会の悪しき影響やあざけりの声を「気に留めない」でいられるようになるにはどうしたらよいのか一緒に考えていく中で,一人一人が聖霊の祝福を受け,思いが照らされるよう祈ります。

「気に留める」という言葉には,だれかや何かに注目する,または注意を払うという意味があります。ですから,賛美歌「神のみ業に進みて」の歌詞は,「悪の言葉」すなわち邪悪な人の言うことに注意を払わないで,肯定的な決断をするよう勧告しているのです。そして,リーハイと彼とともに木の実を食べていた人々は,大きく広々とした建物から頻繁に投げかけられるあざけりと侮辱を気に留めないという良い模範を示しています。

「生ける神の霊によって,……人の心の板に書かれた」キリストの教義は2コリント3:3,堕落した世にある多くの妨げ,あざけり,気をそらすものを「気に留めない」力を高めてくれます。例えば,主イエス・キリストを中心に据えた信仰は,霊的な強さでわたしたちを守ってくれます。贖い主を信じる信仰は,行動と力の原則です。福音の真理に従って行動するとき,わたしたちは祝福され,救い主が与えてくださる喜びに焦点を当てつつ,死すべき世の試練を乗り越えて前進する霊的な力を手にすることができます。「正しき我ら恐れなし,主は常に近く在ます」(「神の御業に進みて」賛美歌149番)という言葉は真実です。