「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -334ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ガラテヤ3:27-28
キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。 もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。



「キリストにあって一つとなる」2023年4月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会
あまりにも論争の多いこの世において,特に「主は一つ,信仰は一つ,バプテスマは一つ」エペソ4:5と説いている教会において,どうすれば一致することができるのでしょうか。パウロはその鍵を与えています。

「キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは,皆キリストを着たのである。

もはや,ユダヤ人もギリシヤ人もなく,奴隷も自由人もなく,男も女もない。あなたがたは皆,キリスト……にあって一つだからである。」ガラテヤ3:27-28

何らかの基準,あるいは何らかの名の下に一致団結するには,わたしたちはあまりにも違いが多く,時として,調和とは程遠い状態にあります。イエス・キリストにあってのみ,わたしたちは真に一つとなることができるのです。

キリストにあって一つとなることは,各個人から始まります。だれもが自分から始めるのです。わたしたちは肉体と霊を持つ二重の存在であり,自分の中で不和が起こることがあります。パウロが説明したとおりです。

「すなわち,わたしは,内なる人としては神の律法を喜んでいるが,

わたしの〔肉体における〕肢体には別の律法があって,わたしの心の法則に対して戦いをいどみ,そして,肢体に存在する罪の法則の中に,わたしをとりこにしているのを見る。」ローマ7:22-23

イエスもまた,肉体と霊から成る御方でした。試練に遭われたので,理解してくださいます。自分の中の不和を解決できるよう助けてくださいます。へブル4:15参照)ですから,キリストの光と恵みに頼って,わたしたちは肉体を霊と聖なる御霊に従えるために努力します。うまくできなかったときも,キリストは贖罪によって悔い改めの賜物と,やり直す機会を与えてくださっています。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ガラテヤ2:20
生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。



「キリストとその福音に畏敬の念を抱く」2022年4月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会
わたしには,大学教授を定年退職した,多くの著作を持つ,聡明で,何より,強い決意を持ったイエス・キリストの弟子である,愛する友人がいます。彼は,会議や学術的な調査,またツアーの案内のために,何度も聖地を訪れたことがあります。彼によると,主が歩まれた地を訪れる度に,救い主や,主の地上における業,また主の愛する故郷について,必ず何か新しいことや,驚くべきこと,興味深いことを学び,驚嘆を覚えるそうです。わたしの友人が聖地で学んだすべてのことについて語るときに示す畏敬の念には,影響力があります。この驚嘆が,彼の人生における偉大な業績と学術研究の根底にあるのです。

彼の経験に耳を傾け,彼の熱意を感じたとき,わたしはイエス・キリストの福音に対して,どれほどの,いわゆる「霊の驚嘆」をわたしたちが感じられるのか,また感じるべきか,そしてそれが弟子としての生き方や永遠の命に向かう自分の旅にどれほどの影響をもたらすのか,思い巡らしました。わたしが言う驚嘆とは,心を込めて救い主とその教えを中心とした生活をする人や,へりくだって生活の中に主の存在を認めるすべての人が共通して感じる感情,畏敬の念,あるいは驚きの感覚のことです。聖霊の影響によって生じるそのような驚嘆の気持ちは,喜んでキリストの教義に従って生活しようとする熱意を刺激します。(『聖句ガイド』「キリストの教義」)

……

兄弟姉妹の皆さん,イエス・キリストとその福音に真の畏敬の念を抱くとき,わたしたちはもっと幸せになり,神の御業にもっと熱意を持ち,そしてすべてのことの中に主の御手を認めます。さらに,神の御言葉の研究をもっと有意義なものとし,もっと意識して祈り,もっと敬虔に礼拝し,もっと熱心に神の王国で奉仕します。これらすべての行いが,生活の中でもっと頻繁に聖なる御霊の働きかけを受ける要因になります。(『聖句ガイド』「聖霊」)このようにして,救い主とその福音に対する証が強められ,わたしたちはキリストを自分のうちに生かし続け,ガラテヤ2:20参照)「〔主〕に根ざし,〔主〕にあって建てられ,そして……信仰が確立されて,あふれるばかり感謝」コロサイ2:76-8節参照)するのです。このように生活するとき,わたしたちの霊的レジリエンスが高められ,霊的無関心というわなに落ちないように守られます。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ガラテヤ1:11-12
兄弟たちよ。あなたがたに、はっきり言っておく。わたしが宣べ伝えた福音は人間によるものではない。 わたしは、それを人間から受けたのでも教えられたのでもなく、ただイエス・キリストの啓示によったのである。


「主の宮居」(英文)1980年10月、ロハート・L・シンプソン、七十人定員会
この若人たちは, パウロが伝道していた頃に行なわれていた儀式を執行していたのです。パウロはコリントの聖徒たちに次のように書き送っています。「そうでないとすれば, 死者のためにバプテスマを受ける人々は, なぜそれをするのだろうか。もし死者が全くよみがえらないとすれば, なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。」(1コリント15:29)

死者のためのバプテスマとして知られているこの身代わりの儀式が, 新約時代に行なわれていたことは, パウロの証言が示しているように明らかです。そしてこの儀式は, 主イエス・キリストの十字架上の死の後, その使徒たちによって教えられた重要な儀式であることも明白です。これはパウロ自身の言葉を読むとわかります。パウロはガラテヤの人々に次のように証しています。「兄弟たちよ。あなたがたに, はっきり言っておく。わたしが宣べ伝えた福音は人間によるものではない。わたしは, それを人間から受けたのでも教えられたのでもなく, ただイエス・キリストの啓示によったのである。(ガラテヤ1:11-12)

現世でその機会のなかった人々のためにバプテスマのみならずその他の身代わりの儀式の数々を行なうため, 神殿では大勢の人々が長い時間働いています。聖典にはこのように宣言されています。「そうでなければ,主の来臨の時に,全地はことごとく荒廃するであろう。」(ジョセフ・スミスの歴史1:39)

救い主は, 全人類に不死不滅をもたらす力を持っておられましたが, 私たちは, 一度にひとりに限って,身代わりの儀式を行なう力があるだけです。しかし, それは同じ栄えある目的のためであり, 同じ権能によって可能になるのです。再び主の言葉を引用しましょう。「あなたがたは,わたしから日の栄えの世界で一つの場所を与えられることを望むならば,わたしがあなたがたに命じ,あなたがたに求めてきたことを行うことによって,自らを備えなければならない。」(教義と聖約78:7)

釈明もせずに申し上げますが, すべての生命ある人は, 人生の究極の目的として神殿の祝福を熱心に求めるべきではないでしょうか。皆さんは神殿の中で平安を得るでしょう。そして, 本当の安全とは何かを知るでしょう。本当の自由を得るために知る必要のあることを, 皆さんは主の宮において学ぶことができるのです。混乱や不和とは縁のない神殿は, 今の世には珍しく, 完全に私心をなくすことのできる場所なのです。

最後に, 救い主の慈愛に満ちた勧告を読みたいと思います。「それゆえ,小さい群れよ,恐れてはならない。善を行いなさい。この世と地獄をあなたがたに対して連合させなさい。あなたがたがわたしの岩の上に建てられるならば,それらは打ち勝つことができないからである。」(教義と聖約6:34)

神殿より安全なより所はほかにありません。神殿で成し遂げられる業は, そのほかのどのような人間の働きにも勝るものです。神殿の祝福を得るためにあらゆる障害を取り除かれますように。主はそこで神の子である私たち一人一人を待っておられることを証致します。イエス・キリストのみ名によって, アーメン。