「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -326ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ピリピ4:6-7
何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。 



「決して独りで歩いているのではない」2013年10月、トーマス・S・モンソン、大管長
いばらがまかれ,問題が山積する道を歩くこともあるでしょう。あらゆる良い贈り物を下さる御方から遠く離れてしまった,あるいは絶たれてしまったと感じるときもあるかもしれません。自分は独りで歩いているのではないかと心配になります。恐れが信仰に取って代わってしまうのです。

皆さんが,自分は今そのような境遇にあると感じたら,祈りを思い出してくださるよう心からお願いします。わたしは祈りについて語ったエズラ・タフト・ベンソン大管長の言葉が大好きです。彼はこのように言いました。

「これまでの人生を通じて,祈りに頼りなさいという勧告は,わたしにとってほかのどのような助言よりも貴重なものでした。祈りはわたしにとって欠くことのできないものであり,頼みの綱であり,絶えざる力の源であり,また聖なる事柄に対する知識の基盤となるものです。……

……たとえ……災難が来ようとも,わたしたちは祈ることによって安心感を得ることができます。神がわたしたちの心に平安を下さるからです。この平安,つまり平静な心は人生における最高の祝福です。」(エズラ・タフト・ベンソン「常に祈りなさい」『聖徒の道』1990年6月号,4-5,6)

使徒パウロは次のように勧告しています。

「あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。

そうすれば,人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が,あなたがたの心と思いとを,キリスト・イエスにあって守るであろう。」ピリピ4:6-7

何という輝かしい約束でしょうか。平安こそわたしたちが求めるもの,切望するものなのです。

わたしたちは独りで歩くようにこの地上に置かれたのではありません。実に驚くような力の源,強さの源,慰めの源が一人一人の手の届く所にあります。わたしたち自身よりもわたしたちのことを御存じの御方が,また,はるかに広い視野をお持ちで,初めから終わりまでを御存じの御方が,わたしたちが求めさえすればわたしたちのためにそばにいて助けると約束しておられるのです。わたしたちにはこのような約束があります。「常に祈り,そして信じていなさい。……万事があなたがたの益となるようにともに働くであろう。」教義と聖約90:24

 

 

 


 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ピリピ4:6
何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。



「主の祈りから得られる教訓」2009年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会
祈りは個人が自主的に行うものです。主はこう述べておられます。「見よ,わたしは戸の外に立って,たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら,わたしはその中にはいって彼と食を共にし,彼もまたわたしと食を共にするであろう。」黙示3:20イエス・キリストの御名により天の御父に祈るとき,その戸は開かれるのです。3ニーファイ18:20教義と聖約88:64参照)

いつ祈るべきでしょうか。祈りたいときはいつでも祈ってください。アルマはこう教えています。「あなたのすべての行いについて主と相談しなさい。そうすれば,主はあなたのためになる指示を与えてくださる。まことに,夜寝るときは,……主に身を託して寝なさい。そして,朝起きるときに,神への感謝で心を満たしなさい。これらのことを行うならば,終わりの日に高く上げられるであろう。」アルマ 37:37; ピリピ4:6アルマ 34:18–27教義と聖約 10:593:49も参照) また,イエスは弟子たちに「心の中で祈ることはやめないように」と命じられました。3ニーファイ20:1

教会員の慣習では,毎朝毎晩,ひざまずいて家族の祈りを行い,それに毎日個人で祈り,さらに食事の度に,食物を祝福します。(「主はなぜ祈りを定められたか」『聖徒の道』1976年10月号,487 参照)モンソン大管長はこう述べています。「家族や個人の祈りを主にささげるときは,信仰をもってそれを行い,主を信頼しましょう。」(トーマス・S・モンソン「王国の神権者」『リアホナ』2007年11月号,61)ですから,物質的,霊的な祝福を祈り求めるとき,イエスが主の祈りの中でされたように,「みこころが行われますように」と懇願するべきです。マタイ26:42モルモン書ヤコブ7:14エテル12:29教義と聖約109:44モーセ4:2参照)

世の救い主であるイエス・キリストは,御自身の血によってわたしたちを贖ってくださった贖い主であり,わたしたちの模範です。3ニーファイ27:13-15,21-22参照)主は地上での使命を終えるとき,御父の愛子あいしとして,御心が御父の御心にのみ込まれてしまうように祈られました。モーサヤ15:7参照)あの重大なときに,救い主はこう叫ばれたのです。「父よ,……わたしの思いのままにではなく,〔あなたの〕みこころのままになさって下さい。」マタイ26:39モーセ4:2も参照)ですから,わたしたちも神にこう祈るべきです。「御心が行われますように。」

そして,常にこう祈りましょう。「主の王国が地上に進み行くようにして,地に住む者が……来るべき時に備えられるように……そのとき,人の子〔が〕,地上に建てられた神の王国に会うために,その栄光の輝きをまとって……降くだって来る〔ように〕。」教義と聖約65:5

日常生活の中で,また自分にとって重大な局面で,主から受けたこれらの貴重な教訓を熱心に実行することができますように,イエス・キリストの聖なる御名により祈ります,アーメン

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ピリピ4:1
だから、わたしの愛し慕っている兄弟たちよ。わたしの喜びであり冠である愛する者たちよ。このように、主にあって堅く立ちなさい。 



「あらゆる思いの中でキリストを求める」2020年10月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会
詩的な賛美の歌の中で,詩篇の作者はこう歌っています。

「主よ,あなたはわたしを探り,わたしを知りつくされました。

あなたはわがすわるをも,立つをも知り,遠くからわが思いをわきまえられます。

あなたはわが歩むをも,伏すをも探り出し,わがもろもろの道をことごとく知っておられます。」詩篇139:1-3

この詩で作者は,全知という,主がお持ちの神の属性を対句法で称えています。主は人の魂の隅々まで知り尽くしておられるからです。(『聖句ガイド』「全知」の項,scriptures.ChurchofJesusChrist.org参照。 マタイ6:82ニーファイ2:243ニーファイ28:6教義と聖約6:16も参照)わたしたちがこの世で必要なことをすべて御存じの救い主は,あらゆる思いの中で主を求め,心を尽くして主に従うようにと招いておられます。詩篇119:2イザヤ45:22; モーサヤ7:33教義と聖約6:36参照)これにより,わたしたちの人生の中で主の導きが暗闇の影響を防ぎ,主の光の中を歩むことができるという約束が与えられます。ヨハネ8:12 参照)

あらゆる思いの中でキリストを求め,心を尽くして主に従うためには,思いと望みを主の御心と一致させなければなりません。教義と聖約68:4参照)聖文ではこの一致を「主にあって堅く立〔つ〕」と言っています。ピリピ4:1これは,常にキリストの福音と調和した生活を送り,日々あらゆる善いものに着目するということを意味しています。ピリピ4:8 参照)そうして初めて,「人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安」を得ることができ,それによって,「〔わたしたちの〕心と思いとを,キリスト・イエスにあって守る」ことができるのです。ピリピ4:71831年2月,救い主御自身が教会の長老たちに次のように教えられました。「これらのことをあなたがたの心の中に大切に蓄えておきなさい。 永遠の厳粛さを心にとどめなさい。」教義と聖約43:34