「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -287ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ニーファイ1:5
さて、父リーハイは、出て行って民のためにまことに一心に主に祈った。


「常に祈りなさい」2008年10月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会
自分の人生に祝福を求めて天の御父に懇願するのは良いことであり,ふさわしいことでもあります。しかし,愛する人のためにも,悪意をもって自分を利用しようとする人のためにも熱心に祈ることは,意義深い祈りにとって大切な要素です。祈りの中でより多くの感謝を述べると啓示を受けやすくなるように,全身全霊で人のために祈ると,主の御声がもっとよく聞こえるようになります。

モルモン書のリーハイの模範から大切な教訓が学べます。リーハイはエルサレムの滅亡に関する預言者の教えや警告に信仰をもってこたえました。彼はそれから「民のためにまことに一心に主に祈〔り〕」ました1ニーファイ1: 5。この熱烈な祈りの答えとして,リーハイは栄光あふれる示現を受け,その中で神と御子,そして差し迫っているエルサレムの滅亡を見ました1ニーファイ1:6-9,13,18参照)。主が見せてくださった事柄のためにリーハイは喜び,胸がいっぱいになりました1ニーファイ1:15参照)この示現は,個人的な教化や導きを求めた結果ではなく,人のためにささげた祈りの答えとして得られたことに注意してください。

 

 

 

Lehi and the pillar of fire by Jorge Cocco Santangelo

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ニーファイ1:1
わたしニーファイは善い両親から生まれたので、父が学んだすべてのことの中から幾らかの教えを受けた。わたしはこれまでの人生で多くの苦難に遭ったが、生まれてこのかた主の厚い恵みを受け、まことに神の慈しみと奥義を深く知った。そこで、生まれてからこれまでの間に行ってきたことを記録する。


「傷を負った人」2018年10月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
過去を振り返り,前世で自分のふさわしさを証明したことを覚えていてください。皆さんは神の勇敢な子供であり,主の助けを受け,この堕落した世での戦いに勝利することができます。かつてのように,もう一度戦いに打ち勝つことができるのです。

今度は未来を見てください。問題や悲しみは確かに実在しますが,永遠に続くのではありません。 なぜなら,御子が「〔御自分の〕翼に癒しを携えて」3ニーファイ25:2よみがえられたからです。

 

※モルモン書の最初の節で,ニーファイはこう説明した。「わたしはこれまでの人生で多くの苦難に遭った」(1ニーファイ1:1)。後に,ニーファイはこう語った。「それでもわたしは神に頼り,一日中神を賛美し,わたしの遭った苦難のことで主に対してつぶやくことはしなかった。」(1ニーファイ18:16

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ニーファイ1:1
わたしニーファイは善い両親から生まれたので、父が学んだすべてのことの中から幾らかの教えを受けた。わたしはこれまでの人生で多くの苦難に遭ったが、生まれてこのかた主の厚い恵みを受け、まことに神の慈しみと奥義を深く知った。そこで、生まれてからこれまでの間に行ってきたことを記録する。



「主の厚い恵みを受ける」2020年10月、ゲーリー・E・スティーブンソン、十二使徒定員会
預言者ニーファイが小版に記録し始めたのは,成人してからのことでした。自分の人生と務めを振り返りながら,モルモン書のまさに最初の節に,大切な言葉を残しています。この節は,現代のわたしたちにとって,深く考えるべき重要な原則を表しています。「わたしニーファイは善い両親から生まれた」という有名な一節の次に「わたしはこれまでの人生で多くの苦難に遭ったが,生まれてこのかた主の厚い恵みを受け〔た〕」と書いているのです。1ニーファイ1:1

モルモン書を学んできたわたしたちは,ニーファイの言う多くの苦難が何を指すのかをよく知っています。しかし,自分の人生に苦難があったことを認めたうえで,ニーファイは生まれてこのかた主の厚い恵みを受けてきたと述べて,福音を通した見方を示しています。苦難と失望の時期にも,主は変わらず慈しみのまなざしでわたしたちを見守り,祝福を与えておられるのです。