「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -284ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ニーファイ3:7
そこで、わたしニーファイは父に言った。「わたしは行って、主が命じられたことを行います。主が命じられることには、それを成し遂げられるように主によって道が備えられており、それでなくては、主は何の命令も人の子らに下されないことを承知しているからです。」


「常に伴侶となる御方」2023年10月、ヘンリー・B・アイリング、大管長会
わたしは同じように,ラバンの版を手に入れるためにエルサレムへ戻るよう求められた,ニーファイの記述にも励まされてきました。ニーファイがした選択を皆さんも覚えていることでしょう。彼はこう言いました。「わたしは行って,主が命じられたことを行います。」1ニーファイ3:7

ニーファイがその用向きにおいて経験した聖霊との交わりは,主からの割り当てであるとは理解しながらも,自分の過去の経験や持てる能力をはるかに超えていると思われる務めに取りかかろうとするときに,何度もわたしに勇気をくれました。

ニーファイが自らの経験について語った言葉を,皆さんも覚えていることでしょう。「時はもう夜であった。わたしは兄たちを城壁の外に忍ばせた。彼らが身を隠してから,わたしニーファイは都に忍び込み,ラバンの家に向かって進んで行った。」

ニーファイはこう続けています。「わたしは,前もって自分のなすべきことを知らないまま,御霊に導かれて行った。」1ニーファイ4:5-6

ニーファイが主の用向きを果たすために,夜通し,毎分,御霊に導かれていたことを知り,わたしは勇気づけられてきました。

わたしたちは,そして皆さんも,聖霊を常に伴侶とすることが必要です。そう望んだとしても,そうすることが容易でないことは,だれもが経験から知っています。わたしたちは日々の生活の中で,自らの思いや言葉,行いによって御霊を遠ざけてしまうのです。

そのようなことがあると,そして実際にあるでしょうが,主のとがめを感じるかもしれません。そして自分は孤独だと感じてしまうかもしれません。ですから毎週,悔い改めて聖餐にあずかる際にわたしたちが受ける,「いつも御子の御霊を受けられるように」という確かな約束を思い起こすことが重要なのです。教義と聖約20:77

もし今日,聖霊の影響力を感じたのであれば,自分の生活に贖いの力がおよんでいる,すてきな証拠だと考えてよいでしょう。

ジェフリー・R・ホランド長老はこのように述べています。「このような窮地に陥るとき,わたしたちは,神に見捨てられたのではないか,神は祈りを聞いてくださらないのではないかという恐れに屈してはなりません。神は確かに聞いておられます。神は確かに見ておられます。神は確かに愛してくださっているのです。」Lessons from Liberty Jail

 

 

Nephi, Go and Do by Jorge Cocco Santangelo

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ニーファイ2:16
さて、わたしニーファイはまだとても若かったが、もう身の丈は高く、また神の奥義を知りたいという大きな望みを抱いていたので、主に叫び求めた。すると見よ、主がわたしを訪れ、心を和らげてくださったので、わたしは、父がこれまでに語った言葉をすべて信じた。そのためにわたしは、兄たちのように父に逆らおうとはしなかったのである。


「個人の啓示 預言者たちの教えと模範」2007年10月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会
預言者が啓示を受ける方法は聖文の中で語られていますが,わたしたちが啓示を受ける方法もこれと同じです。アダムとエバは,主の御名を呼び求めて個人的な啓示を受けました。これには救い主に関する知識も含まれます。モーセ5:4-11 エノクやアブラハム,モーセは,民の幸福を求めて祈りました。そして,高価な真珠に記録されている驚くべき啓示を与えられたのです。創世18:23-3333;出エジプト3:1-332:31-33モーセ1:1-2,246:26-377:2-4アブラハム1:1-2,15-19.)エリヤへの個人の啓示は静かな細い声で与えられました。列王上19:11-12参照)ダニエルの場合は夢で与えられました。ダニエル2:16-20参照)ペテロは,個人の啓示によってイエスはキリストであられるという証を得ました。マタイ16:15-17参照)リーハイとニーファイは救い主と救いの計画に関する啓示を受けました。実際,聖書とモルモン書に出てくるすべての預言者が啓示を受けたと言ってよいでしょう。啓示は預言者とその民に警告や教えを与え,彼らを力づけ,慰めてきました。1ニーファイ2:1611:1-2参照;その他の例としてモーサヤ3:1-4アルマ43:23ヒラマン7-8章ヒラマン10:2-43ニーファイ1:10-13モルモン8:34-35エテル3:1-6,13-14,25も参照)神殿で長い間祈った末に,スペンサー・W・キンボール大管長は神権に関する啓示を受けました。(“Letter of the First Presidency Regarding Revelation on the Priesthood,”Tambuli,1978年7月号)そしてヒンクレー大管長は,もっと多くの教会員が神殿の祝福にあずかれるよう祈った結果,小規模神殿を建設することに関する啓示を受けました。(「神殿,改宗者の定着,伝道活動について」『聖徒の道』1998年1月号,57参照)

預言者は,個人の啓示を受けることによって自分が生きるうえでの助けと,教会の地上における諸事を導く助けを得ています。わたしたちの務めは,自分自身のためと主から与えられた責任を果たすために,個人の啓示を祈り求めることです。

 

 

 

The prayer of Enos

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ニーファイ2:10
またレムエルに向かって言った。「おお、おまえはこの谷のように、主の戒めを守ることにおいて堅く確固として、揺るぎなくあるように。」


「忍耐し続ける」(英文)2010年4月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会
忍耐は神の属性であり,心と霊を癒し,知識と理解の詰まった宝の箱を開き,普通の男性や女性を聖徒や天使に変える力があります。忍耐は御霊の実です。

忍耐とは,あることを最後までやり通すことです。将来の祝福のために,当座の満足を先送りすることです。怒りを制し,不親切な言葉を抑えることです。悪を行う人が裕福に見えるときでも,悪を拒絶することです。

忍耐とは変えられないことを受け入れ,勇気と高潔さと信仰をもって立ち向かうことです。「子供が父に従うように,主が〔わたしたち〕に負わせるのがふさわしいとされるすべてのことに喜んで従う」モーサヤ3:19ことです。結局,忍耐とは,毎日,毎時間,そうすることがたとえ難しいときでも,「主の戒めを守ることにおいて堅く確固として,揺るぎなくある」1 ニーファイ2:10ことです。黙示者ヨハネはこう語っています。「ここに,神の戒めを守り,イエスを信じる信仰を持ち続ける聖徒の忍耐がある。」黙示14:12

忍耐とは完全へ至る過程です。救い主は,あなたがたは堪え忍ぶことによって,自分の魂を勝ち取るであろうと言われました。ルカ21:19 参照)ギリシア語原本からの別の翻訳にはこうあります。「あなたがたは堪え忍ぶことによって,自分の魂を完全に支配するであろう。」ルカ21:19忍耐とは,最大の成長は与えられるときより待つときにあると確信しながら,信仰をもって踏みとどまることです。

これは救い主の時代だけでなく,現代においても真実です。なぜなら,この末日にあっても「あなたがたが完全になるまで忍耐し続けなさい」と命じられているからです。教義と聖約67:13