1ニーファイ3:7 常に伴侶となる御方 | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ニーファイ3:7
そこで、わたしニーファイは父に言った。「わたしは行って、主が命じられたことを行います。主が命じられることには、それを成し遂げられるように主によって道が備えられており、それでなくては、主は何の命令も人の子らに下されないことを承知しているからです。」


「常に伴侶となる御方」2023年10月、ヘンリー・B・アイリング、大管長会
わたしは同じように,ラバンの版を手に入れるためにエルサレムへ戻るよう求められた,ニーファイの記述にも励まされてきました。ニーファイがした選択を皆さんも覚えていることでしょう。彼はこう言いました。「わたしは行って,主が命じられたことを行います。」1ニーファイ3:7

ニーファイがその用向きにおいて経験した聖霊との交わりは,主からの割り当てであるとは理解しながらも,自分の過去の経験や持てる能力をはるかに超えていると思われる務めに取りかかろうとするときに,何度もわたしに勇気をくれました。

ニーファイが自らの経験について語った言葉を,皆さんも覚えていることでしょう。「時はもう夜であった。わたしは兄たちを城壁の外に忍ばせた。彼らが身を隠してから,わたしニーファイは都に忍び込み,ラバンの家に向かって進んで行った。」

ニーファイはこう続けています。「わたしは,前もって自分のなすべきことを知らないまま,御霊に導かれて行った。」1ニーファイ4:5-6

ニーファイが主の用向きを果たすために,夜通し,毎分,御霊に導かれていたことを知り,わたしは勇気づけられてきました。

わたしたちは,そして皆さんも,聖霊を常に伴侶とすることが必要です。そう望んだとしても,そうすることが容易でないことは,だれもが経験から知っています。わたしたちは日々の生活の中で,自らの思いや言葉,行いによって御霊を遠ざけてしまうのです。

そのようなことがあると,そして実際にあるでしょうが,主のとがめを感じるかもしれません。そして自分は孤独だと感じてしまうかもしれません。ですから毎週,悔い改めて聖餐にあずかる際にわたしたちが受ける,「いつも御子の御霊を受けられるように」という確かな約束を思い起こすことが重要なのです。教義と聖約20:77

もし今日,聖霊の影響力を感じたのであれば,自分の生活に贖いの力がおよんでいる,すてきな証拠だと考えてよいでしょう。

ジェフリー・R・ホランド長老はこのように述べています。「このような窮地に陥るとき,わたしたちは,神に見捨てられたのではないか,神は祈りを聞いてくださらないのではないかという恐れに屈してはなりません。神は確かに聞いておられます。神は確かに見ておられます。神は確かに愛してくださっているのです。」Lessons from Liberty Jail

 

 

Nephi, Go and Do by Jorge Cocco Santangelo