「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -270ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

2ニーファイ4:15

そしてこの版には、わたし自身のことと、真鍮の版に刻まれている聖文の多くを書き記す。わたしは聖文に喜びを感じるからである。わたしは聖文について心に深く考え、わたしの子孫の知識となり利益となるようにこれを書き記す。

 

 

「わたしの心はこれらを絶えず深く考えている」2015年10月、デビン・G・デュラント、中央日曜学校会長会

二つ目の勧めは,最初の勧めとはかなり異なり,また,はるかに重要です。こういう勧めです。毎週,一つの聖句について「沈思暗唱」(ponderize) してください。 「沈思暗唱」 という言葉は,辞書には載っていませんが,わたしのお気に入りの言葉です。では沈思暗唱するとはどういう意味でしょうか。80パーセントはじっくりと深く考えること,20パーセントは覚えること,この二つを合わせた言葉です。

 

……

 

毎週,自分で選んだ聖句について考えることで,さまざまな単語や語句が心に書き記されることでしょう。2コリント3:3 参照) さらには思いに書き記されることでしょう。言い換えれば,より簡単に,より自然に暗記できるようになるでしょう。しかし,沈思暗唱する第一の目的は,あなたの思いを高める場所を備えることです。それは,あなたの思いが主の御霊に近くあるための場所です。

 

救い主は言われました。「 絶えず 命の言葉をあなたがたの心の中に大切に蓄えるようにしなさい。」教義と聖約84:85 沈思暗唱は,まさしくそのようにするための簡潔かつ啓発的な方法です。

 

ニーファイは沈思暗唱を実践した人だと思います。こう言っています。「わたしは聖文に喜びを感じるからである。わたしは聖文について 〔絶えず〕 心に深く考え,わたしの子孫の知識となり利益となるようにこれを書き記す。」2ニーファイ4:15申命6:72ニーファイ4:16 も参照) ニーファイは,聖文について深く考え,それを書き記すときに,自分の子供たちのことを気遣っていました。皆さんが 絶えず 思いを神の御言葉で満たそうと努めるときに,家族はどれほど祝福を受けることでしょうか。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

2ニーファイ4:15

そしてこの版には、わたし自身のことと、真鍮の版に刻まれている聖文の多くを書き記す。わたしは聖文に喜びを感じるからである。わたしは聖文について心に深く考え、わたしの子孫の知識となり利益となるようにこれを書き記す。

 

 

「わたし自身のこと」2021年10月、ロナルド・A・ラズバンド、十二使徒定員会

わたしは今日,父リーハイの死後,民の記録を残した預言者ニーファイの言葉について考えています。ニーファイはこう記しました。「そしてこの版には,わたし自身のこと……を書き記す。」2ニーファイ4:15

 

この聖句にある「things(こと)」という単語は,特に優雅でも霊的でもなく,「わたし自身の」という言葉と並べるに値するほど重要な言葉ではないと思い,以前は読み流していました。ところが,「things」という単語が,聖文の中で2,354回も使われていることを知りました。例えば,モーセ書です。「わたしは初めであり終わりであり,全能の神である。わたしの独り子によって,わたしはこれらのもの(things)を創造した。」モーセ2:1次に,ニーファイの言葉です。「見よ,わたしは主に関すること(things)に喜びを感じる。わたしの心は,これまでに見聞きしたこと(things)を絶えず深く考えている。」2ニーファイ4:16

 

ニーファイの言葉から次のような質問が出てきます。「どんなことを深く考えるのか」「ほんとうに大切なことは何か」「あなた自身のこととは何であるか」。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

2ニーファイ4:4

それは主なる神が、『あなたがたは、わたしの命令を守るかぎり地に栄える。しかし、わたしの命令を守らなければ、わたしの前から絶たれる』と言われたからである。

 

 

「あのね,大変だったんだよ」2008年10月、クエンティン・L・クック、十二使徒定員会

今の時代にわたしたちが直面する問題は,ある意味では過去の問題とよく似ています。最近の経済危機は,世界中で著しい不安を引き起こす原因となっています。雇用や財政の問題はどこででも見受けられます。肉体面や精神面で難題を抱えている人も大勢います。結婚問題や道をそれた子供に悩む人もいます。愛する人を亡くしたばかりの人もいるでしょう。依存症や,不適切で有害な性癖のために心痛を招いている人もいます。そうした試練は,原因が何であれ,本人にも,その人を愛する人たちにも,深い苦悩を引き起こすのです。

 

わたしたちは,聖文を通して試練の中には益となりわたしたち自身の個人的な成長に必要なものもあることを承知しています。教義と聖約122:7参照)また雨が正しい者のうえにも正しくない者のうえにも等しく降ることを知っています。マタイ5:45参照)目にする雲がいつも雨の前兆とは限らないことも確かです。わたしたちの耐える問題や試練,困難がどのようなものであれ,イエス・キリストが成し遂げられた贖しょく罪ざいという,慰めをもたらす教義とは,アルマも教えているように,わたしたちの弱さを救い主が身に受けてくださることであり,「御自分の民を彼らの弱さに応じて……救〔ってくださる〕」アルマ7:12

 

……

 

モルモン書には数多くの場面で,民は「もし彼らが戒めを守れば」2ニーファイ4:4参照)その地で栄えると約束されています。この約束には大抵,もし神の戒めを守らなければ御み前まえから絶たれるであろうという警告が伴います。アルマ36:30参照)御霊の祝福,すなわち聖霊の働きかけを受けるということは,その地で真に栄え,備えをするためには,明らかに不可欠な要素なのです。

 

試練がどのようなものであるかを問わず,現在豊かに頂いているわたしたちが,頂いている祝福をきちんと認識しないとしたら,感謝の心が足りないと言われても仕方ありません。開拓者の受けた艱難がどれほどつらいものであったかを十分知ったうえで,ブリガム・ヤング大管長は,感謝することについて,その重要性を次のように語っています。「わたしは,赦されない罪を別にすれば,忘恩の罪以上に重い罪を知りません。」(『歴代大管長の教え――ブリガム・ヤング』195)