「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -234ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ2:41

そしてさらにあなたがたは、神の戒めを守る者の祝福された幸福な状態についても考えてほしい。見よ、これらの者は物質的にも霊的にも、すべてのことについて祝福を受ける。そして、もし最後まで忠実であり続けるならば、彼らは天に迎えられ、決して終わりのない幸福な状態で神とともに住めるのである。おお、これらのことが真実であることを記憶にとどめ、覚えておきなさい。主なる神がこれを言われたからである。

 

 

「世に打ち勝ちなさい。そうすれば,休みが与えられるであろう」2022年10月、ラッセル・M・ネルソン大管長

人は,イエス・キリストのより高い律法に従って生活しようと努力していると,心と性質そのものが変わり始めます。救い主は,さらなる慈愛や謙遜さ,寛大さ,優しさ,自制心,平安,休みを祝福として与えることによって,わたしたちをこの堕落した世に引きずり込もうとする力から引き上げてくださいます。

 

さて,これは休みというより,霊的な重労働だと皆さんは考えているかもしれません。しかし,ここに大いなる真理があります。世の人は,権力や財産,人気や肉体的な快楽が幸福をもたらすと主張しますが,それは違います。そこに幸福はありません。そこから生まれるのは,「神の戒めを守る者の祝福された幸福な状態」モーサヤ2:41などではなく,虚しさだけです。

 

ほんとうは,決して見いだせない場所に幸福を求めることのほうが,はるかに重労働なのです。しかし,イエス・キリストとともにくびきを負い,世に打ち勝つうえで必要な霊的な努力をするならば,主は,主のみが持っておられる力で,この世に引きずり込む力から皆さんを引き上げてくださいます。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ2:36-37

さて、わたしの同胞よ、わたしはあなたがたに言う。あなたがたがこれらのことをすべて知った後、また教えられた後、もしもそれに背いてすでに告げられていることに反した行いをし、主の御霊から身を引いて、祝福と繁栄と守りを得るための知恵の道に導く御霊を自分の内に宿さないようにするならば、

 わたしはあなたがたに言うが、このようにする者は、公然と神に背く者であって、悪霊に従うことを望み、あらゆる義の敵となる。したがって、主は清くない宮には住まわれないので、このような者の内には決して宿られない。

 

 

「信仰の礎」2017年4月、クエンティン・L・クック、十二使徒定員会

初期の教会歴史と教義と聖約に記されている啓示には,信仰の礎を築いてもなお,だれもが遭遇するような試練や問題と向き合ってきた人々の優れた模範が書かれています。

 

カートランド神殿の完成は,全教会員にとって礎となる出来事でした。この完成に伴い,霊が豊かに注がれ,教義が啓示され,教会を引き続き確立していくために不可欠な鍵が回復されました。五旬節の日の古代の使徒のように,数多くの会員たちは,カートランド神殿の奉献式に関連して,驚くべき霊的な経験をしました。使徒2章参照)しかし,わたしたちの人生と同様,彼らも,問題に直面したり,行く手に困難が待ち構えているようなことがないわけではなかったのです。この初期の会員であっても,アメリカ合衆国の金融危機であった1837年恐慌に直面することになろうとは,思いも寄らないことでした。正に魂の試練だったのです。※

 

モーサヤ2:36-37参照;ヘンリー・B・アイリング「霊的な備え—早くから始め,絶えず積み重ねる」2005年10月も参照。「このように,人生での大いなる試しとは,人生の嵐の真っただ中でわたしたちが神の命令に聞き従うかどうかを見ることなのです。嵐を堪え忍べるかどうかではなく,荒れ狂う嵐の中で正しいことを選べるかどうかが試されるのです。したがって,人生での悲劇とは,この試しに耐えられず,栄光をまとって天の家へ帰るふさわしさを身につけられないことなのです。」

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ2:30

あなたがたに語っている今でさえ、わたしの全身はひどく震えている。しかし、主なる神がわたしを支えてくださっている。そして、主なる神はあなたがたに語れるようにしてくださり、息子モーサヤがあなたがたを治める王であり統治者であることを、今日宣言するようにわたしに命じられた。

 

 

「証人」2011年10月、ヘンリー・B・アイリング、大管長会

マリオン・G・ロムニー管長はこのような人たちについて次のように述べました。「真に改心した人の心からは,イエス・キリストの福音に〔反する〕ものへの欲望は完全に消えうせます。代わりに,神の戒めを守る確固とした決意と神の愛が心を満たすのです。」(マリオン・G・ロムニー,Conference Report,1963年10月)

 

それは,イエス・キリストの円熟した弟子によく見られる確固とした決意です。娘たちを抱き締めてくれたあの姉妹や,新品の靴を履き,起きて,主のために前進する用意をしていたあの男性のように,彼らは最後まで救い主の命令に従います。皆さんのだれもがそのような人を見てきたことでしょう。

 

モルモン書に戻りましょう。そのような人にまた出会うことができます。ある年老いてなお決意の固い忠実な神の僕の次の言葉を読むと,やはり敬服します。「あなたがたに語っている今でさえ,わたしの全身はひどく震えている。しかし,主なる神がわたしを支えてくださっている。そして,……あなたがたに語れるようにしてくださ〔っている〕の次の言葉を読むと,やはり敬服します。「あなたがたに語っている今でさえ,わたしの全身はひどく震えている。しかし,主なる神がわたしを支えてくださっている。そして,……あなたがたに語れるようにしてくださ〔っている〕」モーサヤ2:30