「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -226ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ10:14

ところが兄たちは、主の計らいを理解しなかったので、ニーファイに対して腹を立てた。彼らは主に対して心をかたくなにしたので、海の上でも彼に対して腹を立てた。

 

「レーマンとレムエルから得られる教訓」(英文)1999年10月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会

実例を挙げれば、「自分たちに当てはめる」べき言葉が、レーマンとレムエルに関連して二つ出てきますが、それによって二人を単なる「浅はかな人物」だと誤解する人がいるようです。そこで、次の聖句が他の人にもどのように当てはまるか考えてみましょう。「このように、レーマンとレムエルがつぶやいたのは、自分たちを造られたあの神の計らいを知らないためであった。」(1ニーファイ2:12モーサヤ10:14も参照)

 

神の子に対する主の「計らい」、すなわち神と人との関係や主が人に対して働きかけられる方法を理解していないのは、非常に重大なことです。つぶやきは単なる症状の一つで、唯一の結果でありません。現にこの理解の欠如により、あらゆる面に影響が現れてくるからです。

 

……

 

要するにレーマンとレムエルは人格的な間題から、神の属性を完全には理解できなかったのです。預言者ジョセフ・スミスの言葉はもっともです。「人は、神の属性を理解しなければ自分自身を理解できない。」(ジョセフ・スミスの教え, 343) レーマンとレムエルは、愛の神が子どもたちを訓練する天の御父であり、子どもたちが幸福になって御自分のもとに戻って来ることを願っておられる御方であるとは理解していませんでした。

 

「神の計らい」を十分に知らないために、二人は神の最も大切な属性である神の愛を見落としてしまいました。このように、彼らの不平は、深く悲しい霊的な病気の症状なのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ10:14

ところが兄たちは、主の計らいを理解しなかったので、ニーファイに対して腹を立てた。彼らは主に対して心をかたくなにしたので、海の上でも彼に対して腹を立てた。

 

「わたしはすべての人をわたしのもとに引き寄せた」2016年4月、デール・G・レンランド、十二使徒定員会

天の御父とイエス・キリストに近くあるかどうかで生じる違いについて,分かりやすい事例がモルモン書に記録されています。ニーファイとその兄レーマン,レムエルのまったく対照的な事例です。

 

ニーファイは「神の奥義を知りたいという大きな望みを抱いていたので,主に叫び求め」,心を和らげられました。1ニーファイ2:16 一方,レーマンとレムエルは神から離れていました。すなわち神を知りませんでした。

 

ニーファイはつぶやくことなく困難な任務を引き受けましたが,レーマンとレムエルは「多くのことで……つぶや〔きまし〕た。」つぶやきは,大人げない泣きごとに関する聖文の中の実例です。聖典には「彼らがつぶやいたのは,自分たちを造られたあの神の計らいを知らないためであった」と記されています。1ニーファイ2:11-12

 

ニーファイは,神を身近に感じていたので,神の「深い憐れみ」を認め,感謝することができました。1ニーファイ1:20それとは対照的に,レーマンとレムエルはニーファイが祝福を受けるのを見て,「主の計らいを理解しなかったので,ニーファイに対して腹を立て〔まし〕た。」モーサヤ10:14レーマンとレムエルは,自分たちが受けた祝福を当然のこととして捉え,怒りを抱き,自分たちこそもっと多くの祝福を受けるべきだと考えました。二人はニーファイの受けた祝福を,自分たちに対して神が犯した「あやまち」と思ったようです。これは満たされない権利意識に関する聖文の中の実例です。

 

……

 

救い主から隔たっていたために,レーマンとレムエルはつぶやき,争いを引き起こし,不信仰に陥りました。人生は不公平であり,自分たちは神の恵みを受けて当然と感じました。それとは対照的に,神に近くあったニーファイはきっと,最も不公平な人生を送ったのはイエス・キリストであると理解していたことでしょう。まったく罪がなかったにもかかわらず,救い主は最も大きな苦しみを受けられたのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ9:18

すると神は、わたしたちの嘆願を聞き、祈りにこたえてくださった。そして、まことにわたしたちは神の力を受けて出て行き、レーマン人と戦って一昼夜に三千四十三人を殺した。わたしたちはレーマン人を殺して、とうとうわたしたちの地から彼らを追い払ってしまった。

 

「耳を傾けて学'ぶ」(英文)1991年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会

物理的な音が聞こえるか聞こえないかにかかわらず、主は神のすべての子供たちに、次のように約束しておられます。「耳を傾け、わたしにきて聞け。そうすれば、あなたがたは生きることができる。」(イザヤ55:3モーサヤ2:9; アルマ5:41; アルマ36:3; 3ニーファイ23:5参照)

 

耳を傾ける姿勢を身に付けるなら皆さんは祝福を受けるでしょう。そして耳を傾けて、子供、親、伴侶、隣人や教会の指導者から学んでください。それらはすべて至高者からの勧めを聞き分ける力を高めてくれるでしょう。

 

注意深く耳を傾けて、真理に導くあの静かな細い声、つまり聖なるみたまを通して、主から学んでください。列王上19:12; 1ニーファイ17:45; 教義と聖約85:6耳を傾け、主のみ旨と精神を記した聖典を勉強して、学んでください。ヨハネ5:39; アルマ14:1; アルマ33:2耳を傾けて祈りの中で学んでください。主は真心から主を求めるへりくだった人に答えを与えてくださるからです。モーサヤ9:18; モーサヤ23:10; アルマ9:26; 教義と聖約19:23; 教義と聖約112:10; アブラハム2:19; ジョセフ・スミス歴史脚注5, p. 59)

 

賢明な人は、耳を傾けて主に学びます。私は主が生きておられることを証します。「耳を傾けて主の声を聞く」なら、祝福が注がれることを証します。それは「主の来る時近い」(教義と聖約133:16-17ためなのです。イエス・キリストのみ名により申しあげました。アーメン。