ところが兄たちは、主の計らいを理解しなかったので、ニーファイに対して腹を立てた。彼らは主に対して心をかたくなにしたので、海の上でも彼に対して腹を立てた。
「レーマンとレムエルから得られる教訓」(英文)1999年10月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会
実例を挙げれば、「自分たちに当てはめる」べき言葉が、レーマンとレムエルに関連して二つ出てきますが、それによって二人を単なる「浅はかな人物」だと誤解する人がいるようです。そこで、次の聖句が他の人にもどのように当てはまるか考えてみましょう。「このように、レーマンとレムエルがつぶやいたのは、自分たちを造られたあの神の計らいを知らないためであった。」(1ニーファイ2:12。モーサヤ10:14も参照)
神の子に対する主の「計らい」、すなわち神と人との関係や主が人に対して働きかけられる方法を理解していないのは、非常に重大なことです。つぶやきは単なる症状の一つで、唯一の結果でありません。現にこの理解の欠如により、あらゆる面に影響が現れてくるからです。
……
要するにレーマンとレムエルは人格的な間題から、神の属性を完全には理解できなかったのです。預言者ジョセフ・スミスの言葉はもっともです。「人は、神の属性を理解しなければ自分自身を理解できない。」(ジョセフ・スミスの教え, 343) レーマンとレムエルは、愛の神が子どもたちを訓練する天の御父であり、子どもたちが幸福になって御自分のもとに戻って来ることを願っておられる御方であるとは理解していませんでした。
「神の計らい」を十分に知らないために、二人は神の最も大切な属性である神の愛を見落としてしまいました。このように、彼らの不平は、深く悲しい霊的な病気の症状なのです。