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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ27:10

さて、彼が神の教会を滅ぼそうとして歩き回っていたときに、すなわち、彼が神の戒めにも王の命令にも逆らって、教会を滅ぼし、主の民を惑わそうと、モーサヤの息子たちとともにひそかに歩き回っていたときに、

 

「価値ある交わり」(英文)1997年10月、ジョセフ・B・ワースリン、十二使徒定員会

義にかなった同僚という祝福に対して、悪い仲間に入るという危険や罪悪もあります。わたしたちは「すべての事物には反対のものがなければならない」2ニーファイ2:11ことを知っています。放蕩息子は、間違った仲間に入ってしまいました。望ましくない同僚と一緒になり、「放蕩に身を持ちくずして財産を使い果たした」ルカ15:13のです。息子アルマとモーサヤの息子たちは、「神に背いて歩き回って」モーサヤ27:11、「神の教会を滅ぼそうとし」モーサヤ27:10ました。わたしたちはよく、つきあう仲間によって評価されます。また、同級生や友達、その他同年代の仲間が、どんなに影響力があるか知っています。もし友達の中に正しくない生活をする傾向があれば、すぐに新しい友人を探した方がよいでしょう。友達は、わたしたちを鼓舞し、最善を尽くせるように助けてくれる同僚であるべきです。

 

真の友は有名な賛美歌「神よまた逢うまで」(賛美歌85番)を歌うとき、別れた後も聖霊が愛する人とともにいてくださるように祈ります。この賛美歌は、互いの交わりと、神の御霊との交わりの必要性を感動的に表現しています。

 

英語で最も一般的な別れの表現は、「グッドバイ」という言葉です。これは、「ゴッド・ビー・ウィズ・ユー」(神ともにいませ)が縮まったものです。その昔、人々が神に頼ることをもっと公に認めていた時代に、このすばらしい言葉は別れる人への愛の表現として使われたのです。それは今でも、別離の間、神がともにおられるように祈る、美しい表現です。

 

ですから「グッドバイ」の完全な意味はこうです。「もしともにいられなければ、別れなければならないなら、わたしが一緒にいられないなら、神がともにおられますように。」

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ27:9

そして彼は、民の心を奪って民の中にひどい不和を生じさせ、神の敵に民を支配する権力を振るう機会を与えたので、神の教会の繁栄にとって大きな妨げとなった。

 

「神の慈しみと偉大さを深く考える」2020年4月、デール・G・レンランド、十二使徒定員会

驚くべき変化を遂げた一つの例は,息子アルマです。アルマが「神に背いて歩き回ってい〔る〕」と,モーサヤ27:11天使が現れ,「雷のような声」をとどろかせて,モーサヤ27:11教会を迫害したり「民の心を奪っ〔たりし〕て」モーサヤ27:913節も参照)はならないと叱責しました。天使はさらにこう訓戒します。「あなたの先祖が……囚われの状態にあったことを思い出しなさい。また,神があなたの先祖のために,どれほど大いなることを行われたかを思い起こしなさい。」モーサヤ27:16考えうるあらゆる勧告の中で天使が強調したのが,これでした。

 

アルマは悔い改め,思い起こしました。後にアルマは,天使のこの訓戒を息子ヒラマンに伝えて,こう勧告しています。「あなたはわたしと同じように,わたしたちの先祖が囚われの身にあったことを思い起こしてもらいたい。わたしたちの先祖は奴隷の状態にあり,アブラハム……,イサク……,ヤコブの神のほかにはだれも彼らを救い出せなかった。そして神は,確かに苦難の中にいる彼らを救い出された。」アルマ36:2アルマは「わたしは神を信頼している」アルマ36:27と簡潔に言いました。束縛から解放され,「あらゆる試練と災難」アルマ36:27-29参照)の中で支えられたことを思い起こすことによって神を知り,神の約束が必ず果たされることを知るようになることを,アルマは理解していたのです。

 

 

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ27:8

ところで、モーサヤの息子たちは不信仰な者たちの中に数えられており、アルマの息子の一人もその中に数えられていた。アルマのその息子は、父の名を取ってアルマと名付けられていた。にもかかわらず、彼は非常に邪悪な男で、偶像を礼拝する者になってしまった。また、彼は言葉数の多い男で、民に多くの世辞を述べ、多くの者に自分と同じような罪悪を犯させた。

 

「心にイエス・キリストへの思いがはっきりと浮かんできた」2023年4月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会

モルモン書には,アルマという名家出身の若者について驚くべき話が記録されています。アルマは,聖文によると,偶像を礼拝する不信仰な者と表現されています。モーサヤ27:8参照)雄弁で説得力のある男で,世辞を述べては言葉巧に人々を自分に従えていました。ところが驚いたことに,天使がアルマと仲間たちのもとに現れました。アルマは地に倒れて力を失い,身動きができないまま,父親の家に運ばれました。それから3日間,昏睡状態が続いているように見えました。アルマ36:10参照)後にアルマは,周りの人から意識を失っていると思われていた間にも,心の動きは活発で,神の戒めをないがしろにしていた自分の生き方を思い,霊的な悲嘆に暮れていたことを明らかにしています。その心境を,「自分の多くの罪を思い出してひどく苦しみながら」,アルマ36:17「永遠の苦痛に責めさいなまれた」アルマ36:12と説明しています。

 

アルマは深い絶望の中で,「イエス・キリストは神の御子であり,世の罪を贖うために来られるという」アルマ36:17ことについて,若いころに教わったのを思い出しました。それから,この非常に切実な言葉を語っています。「心にこの思いがはっきりと浮かんできたとき,わたしは心の中で,『おお,神の御子イエスよ,……わたしを憐れんでください』と叫んだ。」アルマ36:18。「はっきりと浮かんできた」 の原語「caught hold」という言葉は,モルモン書のほかの箇所では「鉄の棒の端をつかんだ」人たちの描写で「つかんだ」(1ニーファイ8:24,30)と訳されています。)救い主の聖なる力にすがると,奇跡が起こりました。アルマはこう述べています。「このことを思ったとき,わたしはもはや苦痛を忘れることができた。」アルマ36:19突如として,アルマは平安と光を感じたのです。「ほかにあり得ないほど麗しく,また快い喜びを味わった」アルマ36:21と語っています。

 

アルマの心に,イエス・キリストに関する真理が「はっきりと浮かんできた」のです。「はっきりと浮かぶ」の英語“caught hold upon”には,物理的に言うと「落ちそうになってガードレールをしっかりつかむ」というように,安定した土台にがっしりと固定されたものにすぐさま手を伸ばし,しっかりとすがりつくという意味があります。

 

アルマの場合は,心の中で,イエス・キリストの贖いの犠牲というこの力強い真理に手を伸ばし,身を委ねました。その真理に基づく信仰をもって行動したこと,また,神の力と恵みによって,彼は絶望から救われ,希望に満たされたのです。

 

わたしたちの経験はアルマのように劇的ではないかもしれませんが,永遠にわたって大きな影響を及ぼします。わたしたちの心も,イエス・キリストと,主の憐れみに満ちた犠牲への「思いがはっきりと浮かんできた」ときに,霊的な光と喜びを感じるのです。