ところで、モーサヤの息子たちは不信仰な者たちの中に数えられており、アルマの息子の一人もその中に数えられていた。アルマのその息子は、父の名を取ってアルマと名付けられていた。にもかかわらず、彼は非常に邪悪な男で、偶像を礼拝する者になってしまった。また、彼は言葉数の多い男で、民に多くの世辞を述べ、多くの者に自分と同じような罪悪を犯させた。
「心にイエス・キリストへの思いがはっきりと浮かんできた」2023年4月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
モルモン書には,アルマという名家出身の若者について驚くべき話が記録されています。アルマは,聖文によると,偶像を礼拝する不信仰な者と表現されています。(モーサヤ27:8参照)雄弁で説得力のある男で,世辞を述べては言葉巧に人々を自分に従えていました。ところが驚いたことに,天使がアルマと仲間たちのもとに現れました。アルマは地に倒れて力を失い,身動きができないまま,父親の家に運ばれました。それから3日間,昏睡状態が続いているように見えました。(アルマ36:10参照)後にアルマは,周りの人から意識を失っていると思われていた間にも,心の動きは活発で,神の戒めをないがしろにしていた自分の生き方を思い,霊的な悲嘆に暮れていたことを明らかにしています。その心境を,「自分の多くの罪を思い出してひどく苦しみながら」,(アルマ36:17)「永遠の苦痛に責めさいなまれた」(アルマ36:12)と説明しています。
アルマは深い絶望の中で,「イエス・キリストは神の御子であり,世の罪を贖うために来られるという」(アルマ36:17)ことについて,若いころに教わったのを思い出しました。それから,この非常に切実な言葉を語っています。「心にこの思いがはっきりと浮かんできたとき,わたしは心の中で,『おお,神の御子イエスよ,……わたしを憐れんでください』と叫んだ。」(アルマ36:18。「はっきりと浮かんできた」 の原語「caught hold」という言葉は,モルモン書のほかの箇所では「鉄の棒の端をつかんだ」人たちの描写で「つかんだ」(1ニーファイ8:24,30)と訳されています。)救い主の聖なる力にすがると,奇跡が起こりました。アルマはこう述べています。「このことを思ったとき,わたしはもはや苦痛を忘れることができた。」(アルマ36:19)突如として,アルマは平安と光を感じたのです。「ほかにあり得ないほど麗しく,また快い喜びを味わった」(アルマ36:21)と語っています。
アルマの心に,イエス・キリストに関する真理が「はっきりと浮かんできた」のです。「はっきりと浮かぶ」の英語“caught hold upon”には,物理的に言うと「落ちそうになってガードレールをしっかりつかむ」というように,安定した土台にがっしりと固定されたものにすぐさま手を伸ばし,しっかりとすがりつくという意味があります。
アルマの場合は,心の中で,イエス・キリストの贖いの犠牲というこの力強い真理に手を伸ばし,身を委ねました。その真理に基づく信仰をもって行動したこと,また,神の力と恵みによって,彼は絶望から救われ,希望に満たされたのです。
わたしたちの経験はアルマのように劇的ではないかもしれませんが,永遠にわたって大きな影響を及ぼします。わたしたちの心も,イエス・キリストと,主の憐れみに満ちた犠牲への「思いがはっきりと浮かんできた」ときに,霊的な光と喜びを感じるのです。
